[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.25] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[76] −迦毛大御神[意富多多泥古命]− "迦毛大御神"とは、「古事記」によれば、大国主命と多紀理毘売命@宗像沖津宮の間で産まれた御子 阿遅鉏高日子根神で、父母共通の高比売命/下照比売命と結婚した天若日子@高天原の殯儀式で、喪屋を叩き壊して去って行く神として登場する。 それと、「出雲風土記」や「播磨国風土記」の記載や現存神社の存在を重ね合わせると、瀬戸海(吉備〜伊予〜播磨〜摂津)を支配する王的存在だったようである。大三島の神をも巻き込んだようだし。[→] 大御神と呼ばれるのは、支援を受けて天皇家が明日香に入って覇権を握れたということだろうとの推測はつくが、そこらの経緯はよくわからない。 しかし、その存在を恣意的に消した訳ではなさそうだ。阿遅鉏高日子根神の勢力が大和の地に入ったと考えればよいだけのこと。 724年に奏上したと伝えられる「出雲国造神賀詞」@延喜式祝詞に登場するからだ。天皇代替わり時の儀礼での言上歌といった雰囲気であり、これ以後も慣習として続いたようである。要するに、天皇家と肩を並べるような存在であった勢力が臣として支える誓約儀式ということ。 乃ち、大穴持命の申し給はく、 「皇御孫命の鎮まり坐さむ大倭国」と申して、 己命の和魂を八咫鏡に取り憑かせ、 倭(大和)の大物主 櫛𤭖玉命と名を称へて、大御和(大三輪)の神奈備に坐せ、 己命の御子 阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ、 事代主命の御魂を宇奈提(雲梯)に坐せ、 賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて、 皇御孫命の近き守神と貢り置きて、八百丹杵築宮(出雲大社)に鎮まり坐しき。 (参照:ママ引用ではありません。) 武田祐吉[校注]:「古事記 祝詞」日本古典文学大系 岩波書店 実にわかり易い。 ○大物主⇒大三輪 ○阿遅須伎高孫根命⇒葛木(葛城) ○事代主命⇒雲梯(橿原) ○賀夜奈流美命⇒飛鳥(明日香) "神奈備"とはこの4箇所ということなのだろうが、「古事記」には、それぞれどのような役割を果たしたのかわからないし、賀夜奈流美命に至ってはその存在さえ記載されていない。もっとも、事代主命に突然遭遇した天皇が平身低頭した事績が唐突に記載されている位で、当時の人々にとっては説明の要無しだったのだろう。 とう考えれば、"神奈備"とは、天皇家と肩を並べるような大王的存在の勢力の代表者を御祭神として祀っている地と考えるのが自然だ。大物主は日本海側勢力で、阿遅須伎高孫根命は瀬戸海勢力ということか。 順番に、ざっと眺めていこうと思う。 まずは、大和で一番有名な神奈備から。 【1】大和 御諸山(三輪) 「古事記」には、大物主大~を祀ることになった意富多多泥古の系譜が記載されている。 爾天皇問賜之「汝者誰子也。」 答曰「僕者、大物主大~、娶陶津耳命之女 活玉依毘賣、生子、名櫛御方命之子、飯肩巣見命之子、建甕槌命之子、僕意富多多泥古。」白。 於是天皇大歡以詔之「天下平、人民榮。」 即以意富多多泥古命、爲~主而、於御諸山、拜祭意富美和之大~前。 大物主神┬活玉依毘売(陶都耳命の娘) ┼┼┼┼└櫛御方命┬ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼└飯肩巣見命┬ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└建甕槌命┬ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└意富多多泥古命 ⛩大神神社(意富美和之大神=大物主)@桜井 三輪 ⛩[若宮社]大直禰子神社/大神寺(意富多多泥古命=大神神社神主) ここだけ見れば、大物主神の系譜であって、鴨とはなんら関係無しと勘違いしがちだが、「古事記」には"此意富多多泥古命者、神君 鴨君之祖。"と記載されているのである。 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |