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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.26] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[77]
−迦毛大御神[葛城の鴨]−

724年奏上の「出雲国造神賀詞」@延喜式祝詞では4つの神奈備が登場する。
 ○大物主⇒大三輪
 ○阿遅須伎高孫根命⇒葛木(葛城)
 ○事代主命⇒雲梯(橿原)
 ○賀夜奈流美命⇒飛鳥(明日香)


1つ目の大物主は大三輪で祀ることになったが、その担当である意富多多泥古命は「古事記」では、神君 鴨君之祖とされていた。 [→]

続いて、葛城神奈備を採り上げよう。

【2】大和 葛城
「古事記」には、葛城がどのような地かわかる歌が収載されている。
大雀の命、難波の高津宮に坐しまして天の下治しめしき。
:
ここに大后
(葛城 曾都毘古の娘 石之日賣命)
大きに恨み怒りて、
其の御船に載せたる御綱柏は悉く海に投げ棄てき。
故、其の地を號けて御津前
(難波港)と謂う。
即ち宮に入り坐さずして
其の御船を引き避りて堀江に泝り
河の隨に山城
(京都南部)に上り幸しき。
此の時に歌いて曰く、
  次峰経
(つぎねふ)山代川(淀川)を 川上り
  吾が上れば 川の辺に 生ひ立てる 鳥草樹
(さしぶ:小小坊)
  鳥草樹の木 其が下に 生ひ立てる 葉広 五百箇真椿
(≒榊)
  其が花の 照りいまし
  其が葉の 広りいますは 大君ろかも
即ち山代より迴りて奈良
(平城山)の山口に到り
坐して歌いて曰く、
  次峰経や 山代川を 宮上り
  吾が上れば 青丹よし 奈良を過ぎ
  小楯 倭
(大和)を過ぎ
  吾が 見が欲し国は 葛城高宮 吾家の辺り
かく歌いて還りて暫く筒木の韓人、
名は奴理能美の家に入り坐しき。

言うまでもなく、ココ葛城こそが、阿遅志貴高日子根命を祖とする鴨一族の本拠地ということになろう。
[下]鴨都波神社(積羽八重事代主命)@御所 宮前
[上]高鴨社(阿遅志貴高日子根命)@御所 鴨神
葛城坐御歳神社(御歳神)@御所 東持田
葛城一言主神社(一言主)@御所 森脇
高天彦神社(高皇産霊神)@御所 北窪
葛城坐火雷神社(火雷大神)
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