[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.10.1] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[82] −古代鏡の鳥− 古代鏡と言っても、唐代はインターナショナルな大帝国だったから、様々なデザインで溢れかえっていた筈で、現存するのはその一部分と考えて間違いないだろう。 これに対して、殷時代の鏡は出土も希少。そもそも、どのような扱いだったかもはっきりしていない。漢代になると、デザインが定式化されており、儒教的ヒエラルキーに組み込まれた道具と化していた可能性が高い。 その辺りの研究は進んでいるのだろうが、そもそもコレクションが公開されているとは言い難い状況だから、素人には全体像がわかりにくい分野である。 しかし、鳥信仰を考えるなら、ここは見ておかなければなるまい。神の降臨の象徴が神のお遣いたる鳥への信仰に繋がっていると考ええると、鏡と鳥の関連性がどうなっているのか気になるからである。 そうなるとどうしても、「鏡」信仰を整理しておく必要に迫られる。 いくら解説を読んでも、小生はさっぱりピント来ないのだが、それは鏡の用途分類が全くなされていないせいである。鏡をすべて一括りにして形や模様で分類してどれだけ意味があるのかはなはだ疑問だから。以下の3つのカテゴリーで分けて考える必要があるのでは。 □ 紀年 □ 装飾 □ 呪術 どれも拙い用語であり、そこらはご容赦願いたいが、簡単に説明しておこう。 先ず、"紀年"。 何のために年号を入れるのか、さっぱり説明を見かけない。現代アートなら署名と作品完成年があるのが当たり前だが、誰が誰のために何を目的にしたモノか示したいなら、記載事項は年号だけで終わる訳がない。しかも、文字が多いのに年号を記載しない鏡もあるし、全く文字が無いものが普通だ。 このことは、この手の鏡は歴史的紀念品だったことを意味しているのではなかろうか。精神的紐帯を確認するための品と考えてもよいのでは。 ただ、ご下賜される印綬や美麗な武器のように、従属関係を示すための品とは思われない。中央統制の国家が形作られる前の、部族連立王国における標章物といった趣が強かろう。 そんな古代の息吹を感じさせる鏡だとすれば、鏡を眺めて歴史に思いをいたすための品と考えてよいのでは。知的階層にとっては、一種の飾りでもあったろう。年号が入っていなくとも、そのような役割の鏡なら、このカテゴリーに入ることになる。 続いては、"装飾"。 要するに、現代のドレッサー的鏡である。天子にとっては、自らの姿を確認するためには不可欠だったろうし、朝見の儀参列者は身支度と整えるたもの必須の道具だった筈。実用性第一だが、これが女性用になるとそれを越え、華美な過少道具一式の中心的存在と化す。 唐代鏡には、とてつもない高度な技法で装飾された鏡も少なくない。 最後は、"呪術"。 「酉陽雑俎」には鏡話が収録されている。魑魅魍魎や鬼の類は、その姿が鏡に映らないらしく、恐ろしい世界に入る場合、鏡を抱えて入るのは当たり前だったようだ。特に、修行者は大きな鏡を背負っていたりもしたようで、邪を避ける絶大な効果ありと信じられていたのは間違いなさそう。 この3カテゴリーは全く異なるモノと言ってよいだろう。しかし、実際にはどれに当てはまるのかわからないから曖昧なままにしておくことが多い。 そんな例として、「枕草子」第二十七段の、"心ときめきするもの。・・・唐鏡の少し暗き見たる。"があげられる。大切な鏡が曇ってしまった不安感との解説が多いが、それは姿見の"装飾"用と判断しているからだろう。普通の女房ならそれでよかろうが、"山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば、なぐさむらむ、心わかう、いとあはれなり。"[→]と書くようなインテリの最高峰である。そんな世知辛いことを気にするとは思えまい。従って、ココは"呪術"カテゴリーと見なして読みたいもの。つまり、鏡が曇ってきてつい嬉しくなってしまい、期待で心臓ががドキドキする訳である。そのような信仰についての知識を欠くと"心がときめく"と言うのに、不安感に苛まれるというおかしな解釈を暗記させられることになる。 (参照) 張培華:「『枕草子』における「唐鏡」考―「心ときめきするもの」章段を中心に―」総研大文化科学研究第 6号 2010年 と言っても、明確にカテゴリーを峻別できる訳ではない。 「三種の神器」の八尺鏡はご神体であるが、一般的な「鏡」の由来にはそのような意味はなかった筈である。・・・ "高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせ"たという、特別仕様の鏡を岩戸の前に設置したことで、この鏡に映ったご自身に興味を持ったお蔭で外に引き出すことができたのである。機転を利かして、姿見用品の「鏡」を使ったことが奏功し、高天原と葦原中国を明るくさせることができたのである。従って、もともとは、"装飾"品カテゴリー。 しかし、その後、「鏡」を天照大神ご自身と思って祀るようにとの神勅が邇邇芸命に授けられる。この経緯からすれば、依代そのものだから、明らかに信仰対象。"装飾"品カテゴリーとは無縁である。 (この譚は信仰上の大転換を意味していそう。初期の磐座祭祀では、石と榊が依代だったと想定されるが、それが"鏡、玉、刀"に変わる切欠を意味するからだ。) 「魏志倭人伝」での、倭人が鏡を所望した話は有名だ。中国のセンスとは違っているかの如き書きっぷりだが、倭に於ける鏡の役割ははっきりしていない。常識的には、連合王国の絆を強化するために、大陸の帝との交流を分かち合うための"紀年"品であり、その配布権を握ることで権威を高めることが目的と思われるが、あくまでも推定でしかない。その魏鏡と言われていた「三角縁神獣鏡」にしても、国内ですでに500枚以上出土しており、大量生産品だったことが判明しているからだ。 遺骸に大量に被せる如く埋められているところを見ると、死霊を"正しく"祀らないとただならぬ祟りありという考え方が一挙に広まったように見える。大和で形勢された様式に従わず、祟る神を信仰する勢力は次々と制圧されていったということか。そのメルクマールが鏡信仰ということになろうか。 「鏡」は素人が簡単に作れるものではなく、技術を習得した上で組織的に製造することになる訳で、注力できたのは"呪術"の威力を感じさせたからであるのは間違いないだろう。しかし、供犠用具ではないから、出自がはっきりしていない。大陸でも、日本のようにご神体とされたことがあるのかもよくわからない。 素人センスが通用するのか、はなはだ疑問ではあるが、現存する古鏡を眺めて想像するしかなさそうである。どの鏡をピックアップするかも難しいところだが、4タイプあると判断して、わかり易いものを取り上げてみることにした。 ●西域/ソグド タイプ →「鸚哥禽獣葡萄文鏡」(C)根津美術館 素人的用語なら【二重円紋様型】である。 二重円の界圏に《鋸歯文》が存在するのが一大特徴。意味なく飾りを入れる訳もなく、除邪記号=文字と見なすこともできそうだ。 外側円には《唐草(葡萄)+鳥+狼的獣》、内側円には《唐草(葡萄)+鸚哥》。インコとは音呼という意味でもあり、囀ることが妙なる調べとされたのであろう。鳥装をして鏡に映す祭祀が行われたのではあるまいか。神のお遣いと一緒になって喜ぶ風習ありと見たらどうか。 このデザインが、中華帝国に入って《龍鳳 or 鸚鵡》に変っていったと見ることもできるのでは。 ●ササン朝ペルシャ タイプ →"海獣葡萄鏡"@「鏡の魔力 村上コレクションの古鏡」(C)根津美術館 こちらは、《鋸歯文》は無いが、全体は【二重円紋様型】で同じ形式であるが、鳥ではなくなり、《唐草(葡萄)+狻猊(獅子的海獣)》。 西域ということで、ソグド系と一緒にしたいところだが、唐代にはペルシア伝来の"三夷教"が入って来ているから別途設定しただけ。「鏡」が祭祀に関係していた話はなさそうだし、残滓もほとんど現存していないのでよくわからない。(日本に残滓が存在している可能性はあろう。) 景教(キリスト教ネストリウス派/アッシリア東方教会)@波斯寺/大秦寺 祆教/拝火教(ゾロアスター))@祆祠 摩尼教(マニ教)@大雲寺 ●天竺仏教 タイプ →「中国の古鏡」(守屋コレクション)(C)五島美術館 形状は蓮花になるから、原則、【八花型】である。浄土を想起するための用具だろうから、《人面鳥身の迦陵頻伽》と《天衣飛天》が必ず入ってくる筈である。 「酉陽雑俎」を読むと、修行という観点で、道教と仏教の親和性は高いから、デザインは《人面鳥身の九天玄女+黄帝》に変ることになる。 もっとも、仙道修行の際に除鬼用に鏡を装備することは必須だったようだから、その鏡が仏教に取り入れられたと言う経緯かも。 ●"天円地方"の宇宙観 タイプ →「方格規矩四神鏡」(C)京都国立博物館蔵 【方格規矩型】が、大陸的鏡の基本形と言ってよいのかも。帝国として、「鏡」の規格を定めたと見てよさそう。・・・ 外周+内円[四神+渦状文様(気)+規矩(TLV)]+方格4弁花]+紐 ─┐ ┼│・ ┼├┤┼L …Tは地の足でLは紐掛け鍵か? ┼│・ ─┘ ┼┼┼┌ …Vはドーム押さえか? 四神は"東西南北+中華"の基本形であるが、その付属形として、《月宮》や《十二支》が入ってくる。《西王母+東王公 & 獣》に変ったりすることもあるようだ。天子を支える標章ということだろう。 さらに、伝来鏡の影響からか、《人首鳥身"句芒"+"黄帝" & 弾琴"伯牙"+"鐘子期"》になったりする。 (参照) →[PDF]「千石コレクション 古代中国鏡の至宝」(C)兵庫県立考古博物館加西分館"古代鏡展示館" こうして眺めると、中国に伝来した際にすでに鳥祭祀と関連付けられていたように見える。鏡に降臨的イメージが生まれるのは当然だろう。「三角縁神獣鏡」には、中華帝国的と言うより、西域的雰囲気を感じさせるものがある訳だし。 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |