→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.30] ■■■ [附66] 世俗 v.s. 仏法概念 この人なかりせば、600年に渡って、完璧に埋もれ続けていた書が世に知られるようにはならなかった可能性が高いからである。 芥川龍之介が使った原本は、おそらくこの本。 井沢長秀がしっかりと全編に目を通しているのは確かだが、編集加工がされており、中身も手抜き的なところがある。その程度の扱いでかまわぬ書との評価ということか。 欠文・欠語が多いから緻密な校訂をする必要もなさそうと踏んだのかも。それに、「今昔物語集」は杜撰と"考訂"に書いているし。(伊勢御息所≠藤原忠房の子、棊聖+寛蓮[1名]、権中納言敦忠土御門中納言[2名]) 結局のところ、和朝しか出版されずに終わったが、天竺・震旦部は仏教話ばかりだから、その部分の出版には初めから乗り気ではなかったのではあるまいか。武芸者かつ神道の博学的国学者であり、なんら仏教にかかわりがないお方だし。 編集の仕方を見ても、現代の通説とは違い、「今昔物語集」を仏教説話集とは考えていないのは明らかである。 〇日本部1〜30巻 【出版前編】 __1〜12 世俗傳 13〜15 恠異傳 【出版後編】 16〜19 悪行傳 20〜23 宿報傳 24〜27 佛法傳 28〜30 雜事傳 【未出版】 〇天竺部31〜45巻 〇震旦部46〜60巻 尚、宇治大納言源隆國の家系については以下の記載がある。鳥羽僧正は9男なので記載されていないが。📖系譜@鳥羽絵と「今昔物語集」成立過程 <系譜> 〇醍醐天皇 │ 〇高明親王 ├┐ 〇顕基 ┼〇隆國 ┼├┬┐ ┼〇隆俊…中納言 ┼│〇隆綱…左中将 ┼│┼〇俊明…大納言 ┼│┼│ ┼〇俊實 ┼┼┼〇能俊 ・・・井沢長秀は「今昔物語集」編纂者を源隆國としている訳である。 編纂者は誰なのかは分からないものの、源隆國では無いというのが現代の定説。宇治大納言本は散逸してしまい、どのような内容かわからないものの、別書なのは間違いないとされているからだ。 ただ、井沢長秀が源隆國と認定したセンスは決して悪いものではない。 常識的には身分の高いパトロンなくして1,000譚を越す収録書など作れる訳がないし、僧の悪行譚や、およそ仏教説話になりそうもない話がある以上、教団の組織的関与も考えにくいから中枢に居る貴族と考えるのは理にかなっている。 (他にありえそうなのは、サロン活動をしている出家皇族か、破格の扱いで自由自在に動ける高僧位。) そして、源隆國が行ったからこそ、杜撰になっていると見ているともいえよう。一知半解な手下や、懇意な純粋培養的な僧を使って成書化すれば、間違いが生まれて当然だからだ。 そういう意味では、上記のように、【本朝世俗部】の配列を大胆に変えたのも、慧眼と言えるかも。 編纂者の視点はあくまでも世俗にあり、と指摘しているようなものだからだ。 そう考えると、現代の編纂方針の方が大きな問題を抱えていると言えなくもない。 "日本部"を【本朝仏法部】と【本朝世俗部】に分けているからだ。 巻数・譚数から見れば【本朝仏法部】が大きなグループだから、本朝を2つに分けたくなるが、そのような編集方針であるとの証拠はどこにもない。井沢長秀のように6グループにする方が、編纂者の意向に沿っているのは明らかなのだから。 そうは言っても、現代人にとっては、2グループ化の方がしっくりくるのは確か。 何故かといえば、我々の住む社会がすでに西欧化してしまっているからだ。つまり、キリスト教社会に於ける、"宗教 v.s. 世俗"という2分概念が当たり前の世界にすでに浸り切っているということ。その観念から離れた見方をせよと言われてもすぐにできるものではない。 そのため、"宗教 v.s. 世俗"という見方に普遍性を与えてしまうことになる。院政時代にも当然通用すると考えてしまうことになる。 しかし、「今昔物語集」では、世俗部は、怪異部や悪行部と並ぶone of themでしかない。概念が違う筈だが、それならどう考えるべきと言われたところで、頭が回らない。 一方、西欧化以前の人である井沢長秀は、2グループにするなど思いもよらない。そんなことより、仏法部が余りに肥大化しすぎていると感じたに違いない。 (日本の土壌では、もともと"宗教 v.s. 世俗"的峻別がそぐわないと言えなくもない。) もっとも、そこらが、井沢長秀の限界を示しているとも言える。それは、同時に、仏法部をそれ以外と対比して考えてしまう現代人の限界の裏返しでもある。 「酉陽雑俎」を読んでいると、その辺りをつくづく考えさせられる。伝承譚の世界はインターナショナルな精神的交流の場でもあるからだ。 良く知られているように、唐代の本だというのに、シンデレラの原形ストーリーが収録されている。📖シンデレラの原典@「酉陽雑俎」の面白さ言うまでもなく、それは世俗の話である。そこだけハイライトをあててしまいがちだが、収録譚には仏法の話もあり、それは同列なのである。 このことは、仏法譚とそれ以外の譚を峻別してしまうと、社会の実相は見えなくなってしまうことを意味する。猿蟹合戦と兎捨身供養の間に線引きはすべきではないのだ。 震旦では、天竺やソグドの仏法譚から、多くのモチーフが非仏教説話になだれ込んでいる可能性が高いからでもある。「今昔物語集」の本朝譚にも天竺、ソグド、震旦の話の断片が入り込んでいておかしくないのである。 仏法譚ではあるものの、社会風土を反映した話であり、そこに含まれている異質文化が社会に取り込まれ、土着の伝承譚と化していたりする訳だ。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |