→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.23] ■■■ [54] 平維茂 【承平・天慶の乱】の次ぎは、"桓武平氏"が固定化した武家の"兵(つわもの)"文化の話となる。 修辞を避けるのが「今昔物語集」の鉄則であり、創作をせずに、淡々と事実(引用)を記載する姿勢は守っているにもっかわらず、その記述は戦記文学域に達していると思う。 それこそ、"かんらからから"といった擬音をつけて、色彩表現を加えれば、平家物語顔負けでは。大衆に聴かせる琵琶法師の語り文学と、仏教サロンのインテリを対象とするノンフィクション小説の違いがあるから比較はできぬが。 ●[巻二十五#3]源宛平良文合戦語 源宛/箕田源二 v.s. 平良文/村岳五郎の戦いである。桓武平氏と嵯峨源氏の精神風土がほぼ一致してきたことを互いに確認しあった大事な闘いと言ってよいだろう。 簡単に言えば、スポーツマンシップ的なルールの下で戦うことが賞賛される風土ができあがったということ。平将門の郎党や、海賊の藤原純友一派のように、有無を言わせずともかく殺すという文化からの脱皮を実現したのである。 筋はなんということもないが、・・・ 両者は武勇自慢。 郎党間の中傷合戦もあったり、 告げ口等も多いため、 仲が悪くなっていった。 郎党が、立腹させるよう仕掛けるので ついに、戦を始めざるを得なくなった。 広野で互いに退治し 開戦状を取り交わせば 互いに矢を射かける体制が整った時のこと。 良文は充に使いを出した。 軍勢同士の戦いにはたいした興味がなかろう。 二人だけで、射合うのは如何、と。 と言うことで、早速、対戦。 しかし、勝負がつかない。 二人は相談の上、 互いに、力はわかったから、 軍勢を引こうとなった。 兵はハラハラして見ていたが 突然、戦いが取り止めになったので 分からずにいたが、 話を聞いて大喜び。 この話の〆はこんな言葉になっている。・・・ 昔の兵、此く有ける。 其の後よりは、 宛も良文も中吉くて、 露隔つる心無く、 思ひ通はしてぞ過ける ●[巻二十五#4]平維茂郎等被殺語 後世、倫理としての儒教が入ってきたので、読み間違い易い話なので注意を要する。中華帝国の宗教たる儒教は、天帝の下でのヒエラルキーを第一義としており、血族たる宗族が恥辱にさらされたら、子々孫々まで、その相手を絶滅させる使命を帯びる。親が殺されたら、報復は何代にもわたっての義務と化す。 仏教徒はそのようなルールで動いている訳ではない。殺人行為一般を否定していないから、親の"かたき"を殺すことは、悪行から足を洗わせる利他行為とも言える訳で、もちろん、諭して、許すこともありうる。ケース・バイ・ケースである。 余計な話を書いてしまったが、この譚は"兵(もののふ)"の仇討ち讃。 兼忠のもとに、 子息の余五将軍維茂が郎党を引き連れて訪問。 兼忠に仕える若い侍、 その郎党代表格の勇猛で鳴らす太郎介が親を殺した輩と 兼忠から直に教えてもらう。 用意周到、すぐに、亡父の仇討ちを果たす。 維茂は、引き渡しを要求。 兼忠は拒否。 吾輩が死んでも仇討ちせずか、と捨て台詞。 その後、太郎介を殺した男は、 喪服を着用し兼忠のもとに参上。 全員、その姿を見て涙。 ●[巻二十五#5]平維茂罸藤原諸任語 この譚はすでに取り上げた。[→橘朝臣] 武士の時代の統治がどのようなものか、見せてくれるなかなかよくできた話である。 2大勢力は、いつか全面的対決必至。結局は、平維茂が勝利することになるというだけのことだが、注目すべきは、名目的な統治者は別に存在するのである。 両者を政治的にうまくコントロールしながら、治める技術を持っており、流石の感あり。それが、橘朝臣なのである。公卿で、武家ではないが、その統治手法は武家も見習うしかなかろう。 尚、本譚からは、全くわからないが、平維茂は源信に帰依したという。 《桓武平氏係累》 →橘朝臣《坂東平氏系譜》 ○高望親王(柏原の桓武天皇の孫) │ ├┬┬┬┬┬┬┐ ○国香 │○良将 │┼○良文 │┼┼○良広 │┼┼┼○良持/良将…将門の父 [→平将門(系譜)] │┼┼┼┼○良兼 │┼┼┼┼┼○良茂 │┼┼┼┼┼┼○良正 │┼│↑良文 │┼○忠光 │┼│ │┼○(碓井)貞光/貞道…頼光四天王 ├┬┐ ○貞盛将門に勝利 ┼○繁盛(大掾氏) ┼│○兼任 ┼│ ┼├┐ ┼○兼忠 ┼│○維幹、維茂、安忠 ┼│ ┼├┬┐ ┼○維良 ┼┼○維茂/余五(=貞盛の第15養子) ┼┼┼○高衡(関氏) 《嵯峨源氏係累》 ○嵯峨天皇[786-842年] │17人臣籍降下(源氏) │ ○融/嵯峨第十二源氏[822-895年] │ ├┬┬┬┐ ○湛、泊 ┼┼○昇[848-918年] ┼┼│○望、副 ┌─┘ ○仕[891-942年] │ ○宛 │ ○(渡辺)綱/源次…源頼光四天王だが、恣意的に除外されている。[→源頼光] 源敦(仁明源氏)の養子 [ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。 (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |