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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.10] ■■■
[163] 止ん事無き医師
「酉陽雑俎」では、医師の地位は低いが、その診断能力は高く、本気で治療したいなら、まずはそこからと明言している。流石、インテリ。合理的判断である。
おそらく、「今昔物語集」編纂者も似た考えを持っていると思うが、それを公言できるような社会ではなさそうである。

医師譚はまとまって収載されている。・・・
  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#_7]行典薬寮治病女語
  [巻二十四#_8]女行医師家治瘡逃語
  [巻二十四#_9]嫁蛇女医師治語
  [巻二十四#10]震旦僧長秀来此朝被仕医師
  [巻二十四#11]忠明値竜者語
  [巻二十四#12]雅忠見人家指有瘡病語 (欠文)

他に、オドロオドロしい胎児の肝による治療の話もあるが、すでに取り上げた。効能はあったようである。
こちらは、傷を負ったことを隠すために、京から呼寄せた医師の口封じを命ずる話でもある。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#25]丹波守平貞盛取児干語 [→平貞盛]

《治した瘡患者に逃亡された医師》
「今昔物語集」人気のお話のようである。
どうも、「田辺聖子の今昔物語」角川文庫1993年(徹底して滑稽で、哀切で、怪くて、ロマンティックな29話。)に、"女とハレモノ"というタイトルで所収されているかららしい。
原文では意図的とみられる脱落があり、薬の処方は記載されていないが、田辺聖子版ではしっかりと書いてあるとのことだから、単に現代文にしただけの作品ではなさそう。情報が少ないので治療の推定は簡単ではなさそうだが、生々しさを出すためにあえて加えたのだろうか。
この医師の活動そのものだけ見ると、やってきた患者の治療に全精力を注ぎ込み、完治させたようだ。すると、お礼のモノだけ残してサッサと逃げ去ってしまう。女が男女の仲となることを了承していたと思っていたのに、と、懸想した医師は落胆し、大いに残念がるの図。医師といっても、ヒトであるから魅力的な女の人に夢中になるのはいかんともし難い。それに、患部の場所が場所だけに。
一種の滑稽譚ではあるものの、女性の、医師の扱い上手が光る話である。そして、医師の能力と言えば、一流そのもの。

《真田虫病と正確に判定した医師達》
 典薬の頭は、特別な医師として、公私にわたって重用されていた。
 7月7日夕刻、
 典薬の頭一族の医師達と寮に勤める医師、
 さらに仕える者共迄、全員が集まり宴会。
 寮の広間に長筵を敷き詰め、そこに居並んで、
 各々一品、酒肴を持ち寄って、皆で遊ぶ日だったのである。
 その時、下女に手を引かれ寮の前にやってきた。
 年の頃は50位、
 浅黄色の糊張り単衣に粗末な袴という身なりで、
 水を含んだ青鈍色の練り絹の様な顔色。
 全身がブヨブヨに腫れているのである。
 皆、これを見て、何者だ、何者だ、と集まって来た。
 そこで、腫れている女は訴えたのである。
 「私がこうなってから5〜6年経ちまして
  なんとか診察して頂きたいと思っていましたが
  生憎と遥か田舎住い。
  往診して頂く訳にもいきませんし
  皆様方が御集りの時に罷り出でて、
  見て頂こうと考えたのでございます。
  お一人づつにお願いすると、診断は分かれかねません。
  どれに従うべきかわかりませんので
  このように皆様方がお集りの場に御邪魔したのでございます。
  どうか、ご覧になって、どうすればおいかお教え下さいませ。」
 と行って平伏。
 頭も、皆も、「賢い。道理だ。」と思ったのである。

こうして診断が始まり、頭の見立ては"寸白(真田虫)"。さらに優秀な医師にも診断させたが、同意見。
治療が行われ、長い虫が引き出され、顔立ちも顔色も普通の人のように戻った。そして、後は慧苡湯で養生すればよい、ということで治癒したのである。
寄生中駆除が簡単にできるとは思えないが、切れないように用心すれば、真田虫を引きずり出すことは可能かも知れない。ともあれ、それなりの方法論が確立していたということだろう。
患者の賢さもさることながら、医師に、的確な診断能力と治療法の豊富な知識と臨床経験があることが示唆されていると言ってよいだろう。集団で、そのレベルを高める工夫もなされていそうだ。
それに、宴会の場に患者が現れるというおよそ場違いなことが発生したにもかかわらず、医療現場にすぐに様変わりしており、医師としてのプロフェッショナル感が溢れている。
「今昔物語集」編纂者はその辺りに注目しているのではなかろうか。

《蛇に性行為を強要され気絶した娘を治癒させた医師》
河内讚良馬甘の郷の話である。
トンデモ事件だが、状況そのものは詳述されている。しかしながら、それが何を意味しているのか想像することはえらく難しい。
ともあれ、優れた医師が呼ばれ、娘は助かる。ただ、その治療は呪術に近い。対象が、地霊の祟りとか、呪詛現象にも映るから、それは当然の対処方法なのかも知れぬが。
 一体になっているままの娘と蛇を庭に置いて措置。
 処方薬はその場で創られた。
   三尺をの稲藁を一束にまとめたもの三束を焼く。
   その灰を湯に混ぜて三斗に。
   それを煮詰めて二斗に。
   そさらに、猪の毛を十把刻んで粉にし、
   この汁に混ぜる。
 娘を、頭に足が当たるくらい折り曲げて杭に釣り下げ、
 この汁を娘の性器に注ぎ込むと
 一斗ほど入ったところで蛇が離れる。
 這って逃げようしたところを、打ち殺し捨てた。
 その時、蛇の子が凝固し、蛙の子のようになったが、
 猪の毛が突き立っており、性器から五升ほど流れ出した。
 そのようにして、蛇の子が皆出てしまった途端に、
 娘は目を覚まし、回復。

マ、「酉陽雑俎」を見ても、この手の訳のわからぬ医療話はそこそこ存在していたようである。
尚、娘は再度同じ目にあうが、二度目の治療は行われなかった。因果応報と見られたようだが、蛇に関しては特別な観念があるので、治療という次元では考えられぬということだろう。[→蛇の性譚]

胡散臭さを感じさせる話もある。
生薬"桂心"が日本でも手に入るというもの。
唐では、生薬の知識が豊富な仏僧が多かったようだが、渡来した僧はその点では見掛け倒しと見てもよかろう。
唐では桂心"はシナモンのことで、南方からの取り寄せ品。遣唐使が持ち込み正倉院に所蔵されているから間違いない。シナモン代用品の肉桂は日本でも栽培可能だが、シナモンは無理である。この肉桂だが、香りが似ているだけで有効成分が同一な訳ではない。
一方、桂は日本では古くから大切にされている樹木であり、シナモン類とは全く異なる。桂樹に対する都の人々の信仰を知っていて、文字が同じなので、心理的効果を狙ったということかも知れない。
   →「落葉が待ち遠しい木」[2012.10.26]

尚、文字上は、桂枝の樹皮が桂皮で、樹皮とコルク質を除去したものが桂心だが、この3つの用語はほとんど区別されずに使われるようになっている。この話の頃から始まったのかも。
《渡来の医師僧》
 天歴期[947〜957年 村上天皇代]
 震旦から渡来した僧長秀はもともとは医師。
 九州に着きそのまま住み付き、帰国のつもりもないので、
 都に召されて医師として用いられていた。
 貴い僧なので、梵釈寺のご本尊供養役も仰せつかっていた。
 年月を経てのこと。
 五条西洞院の桂の宮は、前にその木があるのでそう呼ばれていたが、
 長秀が訪問した時、話込んでいて、その木の梢を見上げ
 「薬剤"桂心"はこの国にもありますが、
  それが桂の心であることは知られていないようです。
  一つ、取ってさしあげましょう。」と言い、
 従者に枝を指し、斬り落とさせた。
 その枝から刀で所用部分を切り取り、宮の御前に。
 長秀は、そのうちの一部をお願いして頂戴し
 使っていたが、唐渡来の"桂心"より効能が高かった。
 せっかく、この国にもあるのに、
 見分ける者がいなくて残念至極と話していたのである。
 結局のところ、長秀はその見分け方を伝授しなかったが。
 薬は朝廷に献上した。
 その処方は今もって有効である。


もう一つの譚には、雷に打たれたのかはっきりしないが、ともあれ、突発的なショックを受け意識不明の患者の治療方法が記載されている。
なかなかに面白い。
現代でも、これほどひどい症状ではないにしても、この手の患者は少なくないが、その発祥原理の解説を読んでもよくわからないことが多い。と言う事は、妥当と言える治療方法も無いのである。
登場する医師は、治療方法は分からないと断言しているが、その通りである。
《意識喪失の回復処置を指示した医師》
 夏の頃。
 大勢の滝口の武士達が涼しさを求めて八省院の廊下に出ていた。
 手持無沙汰だから、酒と肴でも、と提案する者がいて、皆同意。
 早速に、従者に松明を持たせて出発させた。
 従者は南の方に走って出て行き、しばらくすると、
 にわかに空が曇り夕立に。
 やがて雨が止み空も晴れたが、
 待てど暮らせど、従者が帰って来ない。
 しかたがないので、皆、内裏に戻ってしまった。
 取りに行かせた武士は、えらく立腹したが、
 従者は夜になっても帰って来ないので一晩中心配した。
 早朝、急いで男の家に飛んで行くと
 家の者は、男は、昨日帰って来て以来、
 物も言えず死んだように寝ているとのこと。
 確かに、話しかけても、僅かに身体を動かすだけ。
 そこで、近くの医師、滝口忠明朝臣を訪ねた。
 どうすべきか訊くと、どうにも分かりかねるが、
 灰を沢山取り集め、その中に男を埋めて置き
 しばらく様子を見るとよい、との指示。
 滝口の武士は男の家で、その通りに措置すると
 1〜2時ほど経って、男は意識を取り戻し、
 時間を置いてから、水を飲ませると通常の状態に。
 そこで状況を尋ねると、
 「昨日、八省院の廊下で仰せられてから、
  急いで美福門の通りを南へと走っておりました。
  神泉苑の西側で、俄かに雷鳴が轟き、夕立が降ってきました。
  神泉苑の中が真っ暗になって、それが西に向かって広がり、
  それを見ていますと、
  暗がりの中に金色の手が光ったのでございます。
  見た途端、四方が真っ暗闇になってしまい。前後不覚に。
  道に寝込む訳にもいきませんので
  どうにか気力を振り絞って家まで辿り着いたのです。
  そこまではどうにか覚えておりますが、
  その後は記憶がございません。」と言ったのである。
 滝口の武士はこれを聞いて、不思議に思い、忠明のもとに報告に。
 忠明は笑いながら、
 「思った通りだ。
  人が竜の姿を見て病みついた時は、
  あの治療法しかないのだ。」と言った。
 滝口の武士は、他の武士たちにこの事を話した。
 皆、医師の忠明を褒めまくり、大いに感心。


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