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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.1.3] ■■■
[187] 落冠嘲笑
成人男子のマナーとして、公的場では衣冠束帯である。冠無しは恥ずかしくて表にでられたものではない。だからこそ、清原元輔のとった行動が愉快な訳で。
  [→"禿頭に冠"で大爆笑]
武官にとっては、いかにも動きの邪魔になりそうだが、流石に後頭部から垂れ下がる"纓"は無くしたものの、被らないではいられなかったようだ。

もちろん、私的な場では狩衣と烏帽子になる。烏帽子が無いと、頭が剥き出しになり、皆の居る場にはとても出られない。だからこそ、それをお笑のタネにできるのである。
  [→"烏帽子道化]
現代だと、寛ぐ時は帽子は脱ぐものだが、廻りに人がいなくても烏帽子を被っていないと落ち着かなかった様子である。

従って、他人の冠を落とす行為はとんでもなきことになる。
ただ、悪気なく、不注意で落とされると、怒ることもできず処置無しである。そんな話が収載されている。
尚、"落冠"は、"男人二十落冠(弱冠)、三十而立、四十不惑、五十知天命"としても使われる。漢語だから、VO構造で、冠を落とすであり、上から冠が落ちてくるのはない。
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#26]安房守文室清忠落冠被咲語
 文室清忠は外記を長く務めた褒賞として安房守の地位を得た。
 外記だった頃は、
 したり顔の面構えで
 気色悪い様子を見せ、
 背を伸ばし、張り詰めた姿勢を取り、
 官人的な対応をしていた人る。
 一方、
 同じ時期の外記に、
 出羽守に成った大江時棟がいたが、
 こちらは、
 腰を屈げており、嗚呼のような風情。
 そして昇進した訳だが、
 除目の儀式があり、
 陣の定めにより、陣の御座に召された。清忠と時棟は並んで、
 箱文を給はることになるのだが、
 時棟は、
 手に盛った笏を廻して指そうとして、
 清忠の冠に打ち当ててしまい冠が落ちてしまった。
 これをつぶさに見ていた上達部は嘲笑の渦。
 清忠は、うろうろしたが、土間に落した冠を取り指を入れ、
 箱文受領もせずに逃が去った。
 時棟の方と言えば、
 奇異な気分になった顔付で、立っていた。
 この事件で、清忠は世の笑い者となってしまったが、どうにもならない。


「今昔物語集」編纂者は、この嘲笑そのものに対しては批判的だろうが、小心者にして慇懃無礼な官人は嘲笑されてしかるべきと見ているのではなかろうか。
清原元輔の行動は愉快極まるが、この官人の行為は不愉快極まるといったところかも。

そう思うのは、冠落としでは有名な、宮中で実方が行成の冠を落とした話の収載を見送っているからだ。即興歌を旨とする実方を評価することはあっても、その面白姿勢を烏滸と揶揄するような御仁は大嫌いと思われるから。
  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#37]藤原実方朝臣於陸奥国読和歌語・・・3首 [→和歌集]
しかし、それは、世間一般の見方とは正反対である。
「今昔物語集」はどういうことで編纂されたかを考えていると、どうしてもこのようは見方に帰結せざるを得ないのである。

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