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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.23] ■■■
[267] 鼻欠猿と一角仙人
猿譚[→]で取り上げなかった譚がある。

仏教説話として、手を入れられて使われていそうなので避けたのである。アレか、と通り過ごすには余りにもったいないから。

翻案バージョンを調べてはいないが、おそらく、この手の寓話になっている筈。・・・
一番ありそうなのは、独り v.s. 大多数か。
 ○1,000のなかに1だけまともな意見があっても、
  999の間違った主張の前に押し切られてしまうとの説話。

その発展形も。
 ○真面目に生活しているにもかかわらず、
  見かけが皆と少々違うので、
  誹謗中傷悪行雑言を浴び、虐め尽くされるという、
  イジメが多いナ〜との嘆き。

現代的なものもあろう。
 ○身体上の"異常"を指摘して差別したり、
  異なる文化を徹底的に賤しめるのが
  楽しくて嬉しい人だらけの社会への警告。

どれにしても、道徳的な寓話に仕上げた、政治的説話。

もちろん、この譚を現代的に取り上げるつもりなら、それはその通りと言っても間違いなかろう。
しかし、それでは仏教説話にはならない。前世の因果応報が絡まないからだ。

ただ、小生は、そんなことを問題視したくはない。仏教説話として読むのではさっぱり面白くないし、そう読んでもらおうと編纂されているとも思えないからだ。

なんとなれば、「今昔物語集」は仏陀の教えを伝える書き物でないから。
つまり、仏教経典たるジャータカとは目的が違うのである。
当たり前だが、戒律や道徳規範のやさしい解説書でもなければ、教義を議論するための問題提起の本でもない。
そして、ここが肝心な点だが、大衆教宣用の仏教説話集や霊験集成書でもない。およそ不適当な話がそこらじゅうにバラ撒かれており、逆効果の方が大きかろう。

それを踏まえて読んでこその、「今昔物語集」の価値と言うこと。

それでは、・・・
《鼻欠猿》🐒 [→ジャータカ猿]
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#23]舎衛国鼻欠猿供養帝釈語
 舎衛国[拘薩羅国/コーサラ首都]の山に大きな樹木が生えていた。
 その樹上には、1,000匹の猿が住んでおり
 道心があり、皆で、帝釈天を供養していした。
 うち、999匹は鼻がなかったが、唯1一匹だけ鼻があった。
 そこで、鼻無し猿達は集まっては、鼻有り猿を笑い侮蔑していた。
 「汝は此れ片輪者也。
  我等が中に交はるべからず。」と言い、
 虐めて追っ払ったのである。
 ということで、その一匹の猿は嘆き悲しんでいた。
 そんなことで、
 999匹猿だけで、
 種々の珍菓を備えて帝釈天に供養。
 しかし、帝釈天は一つも受け取らなかったのである。
 ところが、1匹の鼻有り猿の供養の物は受け取った。
 猿達は、その理由を問いただしたところ
 「汝等は、前世の謗法の罪で鼻を欠く報いを受けている。
  その一方、
  あの猿は、前世の功徳で、六根がすべて揃っている。
  只、愚痴で、師を疑ったので畜生に転生したのである。
  汝等は、そのような麗しき者を笑い侮蔑しておる。
  従って、汝等から供養の物を受けることは無い。」と。
 これを聞いて、我身の欠陥を観ることができたのである。
 そして、1匹の猿を笑い侮蔑することはしなくなった。


先ず、猿が大挙して住む場所だが、 祇園精舎から遠くない地に聳える高木。その地で、皆揃って、一心になって天に居られる帝釈を供養するとある。
おそらく、猿は帝釈天の使徒役も務めているのだろうし、全体的には仏教的に描かれてはいる。しかし、天竺伝統のインドラ神信仰そのものが未だ生き続けていると言わんばかりのシーンでもある。帝釈天は仏教に帰依したが、仏僧を尊ばない大衆は猿に転生ということ。天竺の中心地の大衆とは、そんな体質といわんばかり。
そう考えると、この樹木は宇宙木を意味していることになろう。

このような見方が通用するものかは、自信はないが、猿譚には注意が必要である。

と言うのは、日本猿的な種は、現在も、台湾、屋久島、それこそ本州最北までは棲息するが、この種の類縁どころか、猿自体、朝鮮半島〜黄河流域の大陸には存在しないからだ。
猿転生譚は長安〜洛陽はもとより、船山半島や朝鮮半島で一般的に語られることなど、およそ考えられないのだ。
「今昔物語集」編纂者は、唐代の書「酉陽雑俎」を読んでいた可能性は高いし、渡来僧とも交流していたのだから、そこらは常識レベルだったろう。

もう一つは動物譚ではない。知る人そ知るといったところ。
《一角仙人》 [→ジャータカ一角仙人]…[#526那利伽王女]
  [巻五#_4]一角仙人被負女人従山来王城語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」巻第二 健邏国ガンダーラ
 額に角があるので一角仙人と呼ばれていた仙人の話。
 山奥で長期間修行。
 雲に乗り空を飛び、高山を動かすことができ、
 動物達が従っていた。
 突然の大降雨で地面が泥濘状態になった時、
 一角仙人はわざわざそんな場所を歩いて転倒。
 老いていたからでもあるが、それにひどくご立腹。
 「雨が降るからぬかるんでしまう。
  だから、転ぶことになる。
  濡れた苔衣の着心地は最悪。
  竜王のお蔭でこうなった。」と。
 そこで、すぐに、竜王達を捕獲して水瓶に入れてしまった。
 皆、ひどく嘆き悲しんだのである。
 しかも、大きな身体なのに、小さな容器に押し込まれ
 たまらなかったが、仙人の力には太刀打ちできない。
 そんな訳で、12年間、降雨皆無。
 日照りが続いたので人々は大いに嘆いた。
 十六国のすべてて、王が雨乞い祈祷したものの効果無し。
 その理由も分からなかった。
 そうこうするうち、占師が指摘。
 「丑寅の方角の山奥に住んでいる仙人が
  雨を降らす竜王達を捕捉幽閉しているせいだ。
  聖人の祈祷では、仙人の力には勝てない。」と。
 と言って、有効な手立ても思いつかなかった。
 ところが、大臣の一人が思いつく。
 「尊い聖人でも、女の声でもすれば、色欲で心が乱れ
  夢中にならない筈がないでしょう。
  昔のことですが、
  鬱頭藍仙人は、一角仙人に優るとも劣らないお方でしたが、
  色欲に溺れて、たちまちにして神通力喪失とのこと。
  試して見るものよいのでは。
  十六国で格段に麗しい容姿と美声を持つ女達を集め、
  山へ送り込んで、高く聳える峯や深い谷といった
  仙人が居そうな処で歌わせれば、
  それを耳にした聖人も心が動かされる筈です。」と。
 と言うことで、
 500人を選抜し、美麗な衣装を身に着けさせ
 白檀・枕水を付香の上、500台の装飾車で送り込んだのである。
 山や谷の仙人が居そうな場所では、ことごとく、歌声が響いた。
 天人も空から舞い降りて来るし、竜神も聞き入るほど。
 すると、人気のかった洞窟の側らに、
 みすぼらしい身なりの聖人が独り立ち尽くしていた。
 ほとんと、骨と皮だけで、魂などなさそうに映る状態。
 ただ、額に角が一つ生えており、恐ろしい形相。
 杖に寄りかかり、水瓶を手にしており、
 大笑いしながら、ふらりと出てき来たのである。

まだまだ話は続くが、久米仙人とたいして変らず、女に心を動かされ、ついには都まで女を背負って送って行くことになるのである。

どう考えるかは簡単ではないが、《鼻欠猿》的に考えると、、ヒトの一角とは額の上や頭頂にできる瘤の可能性もある。
仙人だから、深山幽谷に棲む一角山羊的イメージを重ねることもできるが、出生を考えるべきかも。成長して角を持つ子ということになれば、それこそ、悪魔を産んだとされかねない。親としては、山での隠匿生活をさせるしかなかろう。
突拍子もない想像という訳ではない。日本での症例は無いようだが、見かけ山羊の角が伸びた様な症状を呈することがあると言われているからだ。原因は不明だが。

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