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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.7] ■■■
[282] 兄弟殺意
👥兄弟間で殺意を抱くのは、持って生まれた業と考えるべきものなのだろうか。・・・
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#24]山城国人射兄不当其箭存命語
 山城に住む兄弟。弟が兄殺害を狙っていた。
 その事情は不明。
 その思いは胸に秘めていたから、兄にとっては思いもよらぬこと。
 弟は、隙あらばと、油断していそうな時を伺っていた。
 12月20日こと。
 兄は近隣の家で、夕暮から夜遅く迄、飲食談義に耽っていた。
 弟はチャンス到来と見て、
 真っ暗闇の中、弓矢だけ持って、その家の門の陰に隠れ、
 出てきたら、即一発で射殺すべく、待ち構えていた。
 夜も次第に更けていき、
 今か今かと待ち続けていたのである。
 兄の方は、そんなこととは露知らず、
 話が終わって、お供に燈火を持たせて出て来た。
 弟は喜んで、
 大きな矢を弓に番え、強く引き搾り、
 一段ほどの距離から狙いを付けて射た。
 この状態なら、
 弓矢の心得がたいしてなくとも外すことはない。
 しかも、この弟は弓達者。
 身体の中心に矢が当たり手応えあり、と見ていたが、
 矢は音を立てて脇にそれたて行ったのである。
 「なんたること。」と思い、次ぎの矢を構えようとしたが
 兄は矢が飛んできて当たったものだから
 慌てて引き返し戸を閉めてしまった。
 兄は驚いてしまい、呆然としたが、
 差している刀に付けていた貝細工の目貫を見ると
 矢が当たった跡がある。
 ここに当たり跳ね返ったことがわかった。
 そこで、家中の者が大騒ぎ。村人達も聞きつけ、
 弓矢を持ち灯を持ち、罵りながら犯人探索。
 弟は矢を射てから、踊るように逃げ去ったので
 見つかってしまうことはなかった。
 弟の仕業とは最初は分からなかったが、
 矢が見つかり、それが弟が日頃持っている矢だったから、
 犯行がバレてしまった。
 以上、兄が話したこと。その後の経緯は不明である。
 

ご教訓は、"弟・骨肉とても、心は許まじき也けり。"

もう一つ。
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#34] 天竺人兄弟持金通山語
 兄弟それぞれが千両の金を得た。
 山々を通っていくうちに、兄は考えた。
 「弟を殺し、千両の金を奪い取り、
  我が千両に加えれば、二千両になる。」
 一方、弟も考えていた。
 「兄を殺し、千両の金を奪い取り、
  我が千両に加えて、二千両にしたい。」
 お互い、この様に考えていたが、決心がつかずにいた。
 そのうち、山を通り過ぎて、河の側に着いた。
 兄は、自分が持っていた千両の金を河に投げ入れた。
 弟は、これを見て、兄に問う。
 「どうして、金を河に投げ入れられたのですか?」
 兄は、答えた。
 「山を通っているあいだ、
  "汝を殺して、持っている金を取ってやろう。"と思っていた。
  たった一人の弟だというのに。
  この金が無かったなら、"汝を殺そう"とは考えなかった筈。
  そういうことでだから、投げ入れたのだ。」
 弟は言った。
 「我も又、同じ様なもの。
  "兄を殺そう。"と思いました。
  これ、皆、金のせい。」
 そう言ってから、弟も持っていた金を河に投げ入れた。

ご教訓は一重に仏教的。・・・
 人は食味を求めて命を奪われ、財に依って身を害することもある。
 財を持たず身が貧しいことを、もっぱら嘆く必要などない。
 六道四生を廻る事も、財を貪ることで生じるのだ。

財の獲得に関心を持つようになれば、で兄弟愛などどこかへ吹っ飛ぶというシナリオだが、普段は気付かずに覆い隠していた兄弟の相克が、財への執着で表面にでてきたという話として収載した可能性もあろう。

常識的には、財の獲得に血道を上げる理由は、生まれながらの身分は自分の力でどうにもならないが、財ならどうにかなるということで、どうしても避けられない。兄弟にしても、両親の愛を取り合うことになる訳で、避けられぬ対立を見ないふりをするか、直視するかという問題であろう。(身分違いの恋愛感情が、財への執着に転化してしまう悲話と似たところがある。)

シリース的には別な扱いだが、そのなかでは違和感を与える譚も、この問題を扱っていると考えることもできよう。こちらは、殺人未遂ではなく、完遂後の話。
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#31]髑髏報高麗僧道登恩語 [→架橋]
 高麗渡来僧の道登は元興寺に住んでいた。
 功徳の為に、
  宇治に初めての橋を造営しようとの心根。
 道登は北山科の恵満の家に通っていたが、
  その帰り道の奈良坂山で
  人に踏躪されている髑髏を見つけ
  従者の童に木の上に取り置かせた。
 その後のこと。
  大晦日の夕暮時、
  道登大徳の童子に会いたいと訪問者。
  童子が門外で会うと、話始める。・・・
   汝の師の恩を蒙ったので、安息を得た。
   その恩を今夜報いたい。
 童子は里のとある家に連れて行かれ、
   沢山の食べ物でもてなされ、
   そのまま泊まることに。
  深夜、その家に人の気配がすると、
   兄が来たようなので、去ると伝えられる。
   どういうことか尋ねると、
    兄は商いで得たカネを独り占めしようと
    奈良坂山で我を殺し、
    それを盗賊のせいにした。
    お蔭で、髑髏は踏躪され続けていた、と。
  男は消えてしまった。
 そこに入って来たのは、霊の母と件の兄。
  大晦日に霊魂を祀るためである。
  童子はすべてを語ったので
  母は涙し、童子にお礼を言い、食べ物で布施。
 師の大徳は、童子からそれを聞き、悲しんだ。


兄弟の相克は、《家》の文化に対する保守 v.s. 革新の問題でもあろう。「古事記」の"山幸彦/火遠理命 v.s. 海幸彦/火照命@上巻"や"秋山の下氷壯夫 v.s. 春山の霞壯夫@中巻"はそれに擬えた歴史のうねりを示していそうであり、家族関係における解決のつかぬ問題でもあろう。
それは、萱草 v.s. 紫苑としても描かれている訳で。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#27]兄弟二人殖萱草紫苑語 [→「鬼の醜草」]

現代日本の兄弟愛や兄弟対立話は概して歯切れが悪いように思う。これは、儒教的道徳をさらにプラグマティックに導入た日本文化の風土下でおきる現象ではなかろうか。
震旦の儒教はあくまでも宗族第一主義の宗教で、その信仰護持のための家内部での兄弟関係でしかない。一方、日本の仏教派、利他を根本命題としており、それをあくまでも個人信仰を土台として構築していく。従って、宗教の儒教と、仏教とは根本的に兄弟感覚が違ってくる。
そこらの思想的仕分けができるかどうかは、「今昔物語集」編纂者も気にしていた可能性があろう。
兄弟は必ず、二択に直面する訳で。
例えば、魯国義士兄弟の、実子と継子のどちらを救うかは、親からすれば、プラグマティクな問題でもあり、そう単純ではないのである。
  【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚)
  [巻九#_4]魯州人殺隣人不負過 [→「孝子伝」]
 少失父、以与後母居。・・・
 隣人酒酔、罵辱其母、兄弟聞之、・・・
 遂往殺之。・・・
 使到其家、問曰:「誰是凶身。」・・・
 母曰:「願殺小児。」
 王曰:「少者人之所重。如何殺之。」
 母曰:「小者自妾之子。大者前母。・・・  [「孝子伝」魯義士{32}]


マ、思想にかかわらず、誰でも納得しそうな話も収録している訳だが、草木の情を取り上げている点で、古の感性を取り込んだ仏教的話になっている点が特徴的と言えよう。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻十#27]震旦三人兄弟売家見荊枯返直返住語 [→「孝子伝」]
 田達、田旬、田烟の3兄弟、両親が亡くなったが
 一緒に住んでいた。
 家の前に荊が生えていて、四季咲き誇り、
 面白いし、類い稀ということで皆感動。
 そのうち、別々に住もうということになり三等分することに。
 明朝、掘って分けようとしたところ
 その夜のうちに荊が消失してしまった。
 そこで、3兄弟は互いに語り合ったのである。
 「ヒトが取る前に失してしまった。
  我々が此処を去るからだ。
  草木でさえもが別離を惜しんでいるのだ。
  ヒトなら尚更。
  我々は此処から去るべきではなかろう。」
 と云うことで元の鞘に。
 荊は再び元のように栄えるようになったという。


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