→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.30] ■■■ [305] 天竺の仏像霊験 釈尊存命時は偶像崇拝はなかったし、涅槃後もシンボルはあったものの、身像は作られなかった時代があったことを踏まえての、収載譚ではなかろうか。 【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動) ●[巻四#16]天竺乾陀羅国絵仏為二人女成半身語 ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年二 健馱邏国ガンダーラ 乾陀羅国(=健馱邏国)に波斯利迦王(=迦膩色迦王)がおられ、 七重の宝塔(…如來懸記,七燒七立,佛法方盡)を建立。 その東方一里の所に(⇒塔南面)半身の仏の絵像があった。 「どうして半身(分現兩身)なのか?」と尋ねると、 一人の貧しい女(⇒貧士)が仏道に帰依し「仏像を描き奉ろう。」と考え、 仏師に描かせた。 その側にもう一人の女がいて、 「我も。」と考え、同じ仏師に描かせた。 二人とも貧しく、画料は僅少。 仏師は丈六絵像を一枚描き上げた。(高一丈六尺) 数日後、最初の女が参拝に来たので 仏師が絵像を出して見せていると、 もう一人の女も参拝に来て鉢合わせ。 仏絵が完成したか女が仏師に尋ねると、 同じ絵像を、これが汝の仏と言った。 最初の女は、汝の仏とは、他の人の絵像なのかと問う。 後からの女も、同じことを言う。 二人ともに当惑。仏師と言い争いに。 仏師は言う。 「画料が少ないので、 丹も金も僅かしか用意できなかった。 仏絵は、容姿の一部分でも欠ければ、 仏師も施主も地獄に堕ちることになるので 一体の仏を描くに至った訳です。 絵像は一仏ですが、ご利益は二体と同じです。 二人で、心を一つにして供養なさるとよい。」 しかし、二人とも文句を言い続けた。 そこで、仏師は、仏前に詣で、 啓を打ち鳴らして申し上げた。 「そもそも施主の画料が不足していたので、 私はほんの僅かも掠め取ってはいません。 二人からの画料で一仏を描きましたが、 私は責められております。 説得しても、納得してもらえません。 どうすべきか、世尊のお考えを頂きたく。 我は、罪など犯しておりません。」と。 すると、その日のうち、 仏絵像が御腰より上がたちまち分割し半身に。 御胸より下はもとのままのお姿。 仏師は誠心で、掠めとっていなかったから、 事情を申し上げると、仏は二つに別れられたのである。 二人の女は、仏の霊験あらたかということで、 さらに、心をこめて供養恭敬し奉った。 玄奘:「大唐西域記」@646年二 健馱邏国ガンダーラ 卑缽羅樹及迦膩色迦王大窣堵波 卑缽羅樹南有窣堵波,迦膩色迦王之所建也。 大窣堵波周近諸佛像 大窣堵波石陛南面有畫佛像,高一丈六尺,自胸已上,分現兩身,從胸已下,合為一體。 聞諸先誌曰: 初,有貧士傭力自濟,得一金錢,願造佛像。 至窣堵波所,謂畫工曰: 「我今欲圖如來妙相,有一金錢,酬工尚少,宿心憂負,迫於貧乏。」 時彼畫工鑒其至誠,無雲價直,許為成功。 復有一人,事同前跡,持一金錢,求畫佛像。 畫工是時受二人錢,求妙丹青,共畫一像。 二人同日俱來禮敬,畫工乃同指一像,示彼二人, 而謂之曰: 「此是汝所作之佛像也。」 二人相視,若有所懷。畫工心知其疑也,謂二人曰: 「何思慮之久乎? 凡所受物,毫厘不虧。斯言不謬,像必神變。」 言聲未靜,像現靈異,分身交影,光相昭著。 二人ス服,心信歡喜。 : 此窣堵波者,如來懸記,七燒七立,佛法方盡。 ●[巻四#17]天竺仏為盗人低被取眉間玉語 ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年十一僧伽羅国シンガラ 僧迦羅国@スリランカの前国王/天皇が御立願された小伽藍の寺があり、 等身大の仏像が安置されていた。 その御頭の眉間に玉が入っており、 世に並ぶものなきもので、その価値は計り知れない。 ある時、貧しい男が考えた。 「あの玉は飛び抜けて素晴らしい宝物。 もしも、あの宝を盗んで、欲しい人に売ったら、 子孫七代まで富貴で貧窮することはなかろう。」と。 と言うことで、夜半、寺に忍び込もうとしたが 東西とも閉門の上、門番が警備。 出入の者の姓名と行先を確認するので、術なし。 そこで思案の上、門戸の下に穴を開け壊して侵入。 そして、仏像に近寄り玉を取ろうとしたが 仏像の背が次第に伸びて行き届かない。 踏み台に乗っても、ますます高くなっていき無理。 「この仏像は等身大のお姿だったのに、 これほど背が伸びるのは玉を惜しんでいるのだ。」と考え、 踏み台から下り、合掌頂礼し、仏に申し上げた。 「仏がこの世に現れなさり 菩薩道を行って下さるのは 我等衆生にご利益を与え救済されようとのこと。 伝え聞けば、 Ⓙ本生譚 人を救う道とは、 自身で貪ることなく、命でさえお捨てになられること、と。 世間で語られる話では、 ○一羽の鳩のために身を棄て…"尸毘王の捨身"[→] ○七頭の虎に命を与え…"投身餓虎"[→] ○眼をえぐり婆羅門に施し…"施眼老婆羅門" [#499]尸毘王の布施 ○血を出して婆羅門に飲ませた。 …商人だが[巻五#11]五百人商人通山餓水語[→五百羅漢] …五夜叉だが「大唐西域記」卷二烏仗那國[盧醯呾迦塔]"慈力王" 等々の、有難き施しをなされました。 それなら、この玉を惜しまれることなど、ございませんでしょう。 貧しき者を救済し、下賤の者を助けられるということですから、 はっきりしてはいませんが、 仏の眉間の玉を下賜されることになるのでしょう。 (頂戴できませんと、) 気がすすみませんのに、色々なことをしでかし、 思い通りにいかずに世間に当たり、 数限りなく罪を犯すことになります。 何故に、背を高くされて、頭の玉を惜しまれるのでしょう。 我の思いとは全く違っております。」 と泣哭しながら申し上げた。 すると、高くなっていた仏像が頭を垂れ、盗人の手が届くように。 そこで、 「仏は、我の申し上げたことをお聞き及びになり "玉を取れ。"とお思いになられた。」と考えて、 眉間の玉を取りって出て行ったのである。 夜が明け、寺内の比丘達はこれを見て、 「仏の眉間の宝玉は何故無くなったのだろう。 盗人が取ったのだろう。」と思って捜したが、盗人不明。 誰が盗んだのか分からない。 その後、この盗人が、この玉を市に出して売ろうとした。 ところが、この玉を見知っている人がおり、 「この玉は、あの寺に安置されている仏像の眉間の玉であり、 最近、失ったもの。」と指摘。 この玉を売ろうとした者を捕らえ、国王のもとに連行。 召されて尋問されたが、隠すことなく有りのままを申し立てた。 国王は、この事を信用せず、寺に使者を派遣し見分させた。 使者がその寺に行って見てみると、 仏像は、頭をうな垂れて立っておられた。 使者は帰還して、この由を申し上げた。 国王は報告を聞き、慈悲の心を発し、盗人を召し、 言われたまま玉を買い取り、もとの寺の仏像に返し奉って、 盗人を赦免。 真心から祈念すると、仏は、慈悲で、盗人をも哀れまれるのだ。 その仏像は、今に至るまで、うな垂れて立っておられるそうだ。 玄奘:「大唐西域記」@646年十一僧伽羅国シンガラ 俯首佛像傳説 佛牙精舍側有小精舍,亦以衆寶而為瑩飾。 中有金佛像,此國先王等身而鑄,肉髻則貴寶飾焉。 其後有盜,伺欲竊取,而重門周檻,衛守清切。 盜乃鑿通孔道,入精舍而穴之,遂欲取寶,像漸高遠。 其盜既不果求,退而嘆曰: 「如來在昔修菩薩行,起廣大心,發弘誓願,上自身命,下至國城,悲湣四生,周給一切。 今者,如何遺像吝寶? 靜言於此,不明昔行。」 佛乃俯首而授寶焉。 是盜得已,尋持貨賣,人或見者,鹹謂之曰: 「此寶乃先王金佛像頂髻寶也,爾從何獲,來此鬻賣?」 遂擒以白王。 王問所從得,盜曰: 「佛自與我,我非盜也。」 王以為不誠,命使觀驗,像猶俯首。 王睹聖靈,信心淳固,不罪其人,重贖其寶,莊嚴像髻,重置頂焉。 像因俯首,以至於今。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |