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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.12] ■■■
[317] 釈尊在世時の衆生救済
巻三を大きく見れば、弟子(#1〜6)、衆生救済(#7〜27)、涅槃の3部(#28〜35)に別れているが[→]、衆生救済で眺めていない譚に触れておこう。

この箇所は、教団創成期の活動ではなく、組織的にも成熟し一定の運営スタイルが確立しいる状況での事績を描いている筈。しかし、それらを編年的に配列するのはほぼ不可能だろうし、思想的系譜を措定するのはさらに難しかろう。
そうなると、個々の譚毎にピンポイント的に見ておくべき事項を記載するしかない。もちろん、順不同扱いになる。しかし、それでは余りに雑然としてしまい、読みずらいから、類似的な譚を塊にして並べることにんる。
つまり、書き留めるべき事項毎に最適譚が選ばれ、それらを話の筋に合わせ整理配列したと考えるのが自然だろう。・・・
  【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  -----《1-6 直弟子》-----
  -----《7-12 異類(龍&鳥)救済》-----
  [巻三#12]須達長者家鸚鵡語 [→聖鸚鵡]
  ⇒「賢愚經」 巻十二 二鸚鵡聞四諦品(第五十一)
  【ご教訓】法を聞て歓喜する功徳、量無し。
  -----《13-15 転生》-----
  [巻三#13]仏耶説輸多羅宿業給語
  【ご教訓】世々に夫婦と成ると云へど、此の如く快からざる也。
     つまらぬ食べ物のことぐらいで、(墓無かりし亀の肉村に依て、)
     虚言をもし、瞋恚をも発さしめてき。
  [巻三#14]波斯匿王娘金剛醜女語
  ⇒「賢愚經」 巻二 波斯匿王女金剛品(第八)
  【ご教訓】僧を謗ずる事無かれ。
     又、譬ひ罪を造る事有とも、心を至して懺悔すべし。
     懺悔は第一の善根の道也。
  [巻三#15]摩竭提国王燼杭太子語
  ⇒「賢愚經」 巻二 降六師品(第十四)
  【ご教訓】油一勺を僧に施たる功徳、此の如し。
     何に況や、万灯会を修せらむ人の功徳、思ひ遣るべし。
  [巻三#16]貧女現身成后語
  -----《16 現世転身》-----
  【解釈】母に孝養しける徳に、現身に身を改て后と成れる也けり。
  -----《17-18 阿羅漢への罪を許す》-----
  -----《19-20 供養》-----
  -----《21》-----
  [巻三#21]長者家浄屎尿女得道語
  ⇒「賢愚經」 巻六 尼提度縁品(第三十)
  【単なる事実】長者、此の事を聞て、("罪重くして、地獄に堕て、多の苦を受くべし。")
     恥て、家に返て、咎を悔けり。
  -----《22-24 貪欲者教化》-----
  -----《25-26 仏法未伝地区教化》-----
  -----《27 大逆罪王教化》-----
  -----《28-35 涅槃告知〜仏舎利分骨》-----
「賢愚(因縁)經」については巻二と巻五記載分をすでに取り上げた。…[→]

ざっと眺めておこう。

すでに取り上げたが[→]、再度、触れておきたい譚がある。
教化対象は鳥ではあるものの、「四諦(苦集滅道)法」を授けたとされているからだ。これは釈尊成道の原点でもある。引用元の「賢愚經」では、阿難が嬉し気に教説する感じが出ているが、極めて簡略。そのためか、「今昔物語集」では、かなり装飾されているが、衆生教化の流れを見つめる上では象徴的ということでそうなったのでは。
⑫《鸚鵡》
  【「賢愚經」巻十二 二鸚鵡聞四諦品(第五十一)】
 須達家内,有二鸚鵡:
  一名律提,二名律提;
  稟性黠慧,能知人語。
  阿難:「欲教汝法。」
  二鳥歡喜,授
四諦法,教令誦習,而説偈言:
   "豆 三牟提耶 尼樓陀 末加" (晉言:苦 習/集 滅 道)


#13〜15譚は、転生としたが、因縁の前生譚と言った方がわかり易いだろう。その第一弾では、釈尊自ら、食欲から自由になるのは難しいことを吐露している話とも言え、仏もそうだったのかと、衆生が納得する内容になっている。
⑬《耶輸多羅》
 釈尊が悉達太子だった頃のこと。
 三人の妻の一人、耶輸多羅に対して、
 懇ろにしていたにもかかわらず、さっぱり無関心。
 沢山の珍宝を与えても、喜ぶ兆さえない。

 本生譚
 太子が仏になられ、耶輸多羅の宿業を説かれた。・・・
  加羅国の王は、はなはだ暴虐悪態で邪心の持主。
  后 波羅那との間に
  太子がいたが微罪の咎で国外追放に。
  太子は、妻を連れ、国境外の社の傍に宿泊。
  食物が無いので、自ら弓矢で諸々の獣を狩猟。
  しかし、時が経って、食べ物が無くなり
  飢渇状態になり、死ぬしかなくなってしまった。
  そんな時、這っている大きな亀を見つけ、
  殺して甲羅をはなし、鍋に入れて煮た。
  太子は妻に、
   「汝は、水を汲んで来るように。
    これをよく煮てから一緒に食べよう。」と。
  妻は水を汲むため、桶を頭に載せ遠い所まで行った。
  その間に、太子は飢餓で耐えられなくなり、
  まだ煮えていない肉を一切れづつ取って食べていたが、
  結局、全部食べてしまった。
  太子は
   「妻に水汲みに行かせたが、
    帰ってきて 問われたらどう答えようか?」
  と嘆き、考えていたとこと、妻が返って来た。
  嘘が通用する訳もなく、
  限り無く、恨むことに。
  そうこうするうち、
  父の王が重病で逝去。
  そこで、太子は呼び戻され国王に。
  太子の妻は后に。
  王は后に財宝を与えても喜ばないのは、
  亀肉に由来していたのである。
  あの時、一切れも残してくれなかったのだから、
  飢え死にしていたかも知れない訳で。
 と言うことで、
    其の時太子の、亀の肉を独り食しは、今、我が身此れ也。
    水を汲に行し妻は、今の耶輸多羅也。


ここからは、"前世因縁で生まれつき醜貌だったが美貌にしてもらった。"という話が連続する。最初は、仏教を厚く保護した舎衛国の波斯匿王后 末利夫人が産んだ娘。王への因縁の説教。
⑭《金剛醜女》
  【「賢愚經」巻二 波斯匿王女金剛品(第八)】
 佛告大王:
 「
夫人處世,端政醜陋,皆由宿行罪福之報。
  乃往過去久遠世時,
  時有大國,名波羅
  時彼國中,有大長者,財富無量,舉家恒共供養一辟支佛,身體惡形状醜陋,憔悴看。
  時彼長者,有一小女,日日見彼辟支佛來,惡心輕慢,呵罵毀言:
  『面貌醜陋,身皮惡,何其可憎?乃至如是。』
  時辟支佛,數至其家,受其供養,在世經久,欲入涅槃,
  為其檀越,作種種變,飛騰虚空,
  身出水火,東踊西沒,西踊東沒,南踊北沒,北踊南沒,坐臥虚空,
  種種變現,咸使彼家覩見神足,即從空下,還至其家。
  長者見已,倍懷歡喜,其女即時悔過自責:
  『唯願尊者!當見原恕,我前惡心,罪釁過厚,幸不在懷,勿令有罪也。』
  時辟支佛聽其懺悔。
  爾時女者今王女是。
  由其爾時惡不善心,毀呰賢聖辟支佛故,自造口過,於是以來,常受醜形。
  後見神變,自改悔故,還得端正,英才越群,無能及者。
  由供養辟支佛故,世世富貴,縁得解脱。
  如是大王!一切衆生有形之類,應護身口,勿妄為非、輕呵於人。

「今昔物語集」譚末では、冒頭の一覧に示した【ご教訓】を釈尊が説くことになる。

醜貌 v.s. 美貌といえばもっぱら女人だが、対譚的に男人話を収録している。
⑮《燼杭太子》
  【「賢愚經」巻二 降六師品(第十四)】
 摩竭提国には、五百人の太子がおり、それぞれに威勢をほこっていた。
 ただ、長男の燼杭太子だけは鬼神の如き醜貌だったので方丈に軟禁していた。
 ある日、王宮に騒動が発生したことに気付いた太子は乳母に尋ねると、
 大軍に攻撃され、滅亡させられそう、と。すぐに逃げ出さねば、とも。
 そんなことなら、軍勢を追い払ってやろうという。
 天井裏に保管されている、祖父の転輪聖王の弓を持ってこさせ
 弦を打ち鳴らし、法螺貝を腰に着け独りで出陣しようとする。
 父母は、王子なのだから行くな、と泣いて止めるが聞かない。
 しかし、敵前で弓を鳴らすと、敵兵は怖れで皆倒れ、逃亡。
 そして王宮に凱旋。
 そこで、上品な妻との結婚を決意。すでに50才だった。
 醜貌なことを知らない他国から娶り、闇のなかだけの契の生活。
 ところが、ついに知られてしまい、妻は故国の実家へ逃げ帰ってしまった。
 太子は深く嘆いて、深山に入り身投したが、樹神が出現し救われる。
 そして、帝釈天から前世での所業を教えてもらい、
 さらに玉を授与されると、容姿端麗に。・・・
  「汝は貧乏人の子だった。
   その時、油を乞う乞食僧に対し父は清油を与えるように言ったのに、
   惜しんで、汚れた油を与えた。
   この功徳で、父は国王、汝はその王子に転生。
   しかし、汚れた油を与えたから、醜貌になったのだ。
   我は帝釈天。
   汝を哀れに思い、玉を髪に懸けたのである。」
 その玉のお蔭で、太子の容貌は一変し、端正で光を放つよう。
 王宮に戻ると、大王と后は限りなく喜んだ。
 そして、その数日後、太子は妻の国へ。
 妻は夫の姿を見て嬉しくなったので、
 舅である国王も喜び、太子に譲位。
 妻を連れ本国に帰還すると、父である大王も譲位。
 太子は両国の王として君臨。


衆生救済の《13-15 転生》の続きである《16 現世転身》は、実に不可思議。
仏教団に関係していそうな人が一人として登場しないからだ。
内容にしても、老母孝行娘が大王后になるというだけで、前生の報いという因果論になっていない。現世での孝行を認めた大王が后にするとのストーリーであり、因果という仏法感は薄い。
ただ、皆無という訳ではなく、老母の言葉に仏への祈願が含まれている。
話の主人公が女人ということもあるから、後世、釈尊の説教部分が削除されてしまった転生譚として扱っているのか、現世における善行の果が来世ではなく直ちに顕れたというに過ぎないのかも、はっきりしない。
というか、"解釈"とは本質的にそういうモノで、釈尊在世の時でもそうだったと指摘しているのかも。
⑯《貧窮賤孝子》
 摩竭提国の貧しい老女。80才台であり、孝行娘がいた。
  国王の行幸があり、上下にかかわらず、皆、見物に。
  老母:「明日は大王の御行と聞く、汝、見むやと思ふ。
      若し、汝、出なば、我は水餓なむとす。」
  娘:「我、更に見るべからず。」
 当日は、母の為、菜採。たまたま大王一行にであったが見物せず。
 それに気付いた大王は、
 どうして我を見ようとしないのか、使いに尋ねさせた。
 眼目手足すべて問題なく、ご一行を見たいと思っているものの、
 家は貧しく、老母を養っているので、見物の暇が無とれない、との答。
 養うために菜採にでたところ、ご一行に出会ってしまいましたと、言う。
 それを聞いた大王は感心し、召して言葉をかけた。
  大王:「汝、世に有難き孝養の心深し。速に我に随ふべし。」と。
  娘:「大王の仰せ、極て喜ばし。
     然而も、家に貧き老母有り。我独りして孝養するに、暇無し。
     然れば、先づ還て、母の此の由を申して、免さば還参るべし。
     猶、卿の暇を給らむ。」
 娘、大王の了承を得て帰宅。
  娘:「久く還らず、とや思給つる。」
  老母:「然か思つ。」
  娘:「大王の仰せ、此の如き有りつ。」
 母、喜ぶ。
  老母:「我、汝を生じて養育せし時、『国王の后妃と成さばや』と思き。
    この本意の相ひ叶へるにや。
    今日、大王の遷に仰せ給ひつらむ事、極て喜ばし。
    
願くは、十方の諸仏如来、加護を垂て、我が娘、我に孝養の心深し、
    此の徳に依て、必ず大王忘給はずして迎へしめ給へ。

 ・・・と祈願。
 そうして、その日は暮れた。
 王宮に帰還した大王はこの下女を忘れ難く、
 翌日に、30両の車を出して迎へに派遣。
 貧しい家で、その門に多くの車が到着したので、
 通りがかりかと思っていたところ、迎えだった。
 七宝で装飾されたお輿が持ち出され、
 娘を呼び出すと、素晴らしい衣服を着せて、乗せて王宮へと。
 これを見た老母は涙を流し、際限なく喜んだのである。
 王宮では早速に大王が謁見。
 寵愛されていた3,000人の妃は見劣りするとされてしまった。
 そして、大王は終日終夜一緒に過ごされたが
 それでも足りずというほどで、天下太平。


さて、ここで取り上げる最後は、芥川龍之介:「尼提」のネタとして知られる譚。
おそらく、「今昔物語集」編纂者はこの話を読んで、全巻のどこでもよいから収載したかったのだと思う。巻末に自分でご教訓を書くことがはばかれると感じた筈だ。これを読んで、悔悟の念を覚えておかしくないから。
ただ、筋としては、長者の家の糞尿処理掃除担当者を釈尊が救済したというに過ぎず、どうということもない。・・・人々の生活に不可欠な職業であり、皆、お世話になっているにもかかわらず、感謝どころか蔑まれているのを見かねた釈尊が山に連れ出し教化。長者はそれが面白くなく、仏のもとへと行くが、その途中で神通力を発揮している女人を見かける。ところが、それこそが屎尿浄化人と、釈尊から告げられて悔悟。
この譚は本朝の説教でもよく使われていたのではあるまいか。
その過程で、アドリブ的に様々なバリエーションが生まれてもおかしくない。従って、「今昔物語集」でも、ママ引用ではない。龍之介と同じ姿勢と言えないでもないが、おそらくそういうことではなかろう。
「今昔物語集」編纂者は、ふと、この「賢愚經」記載譚は、釈尊の《屎尿浄化女人》教化を曖昧化させかねないと考えたのでは。
㉑《屎尿浄化女人》
  【「賢愚經」巻六 尼提度縁品(第三十)】
  佛告王曰:
 「諦聽善持!吾當解説令汝開悟。
  乃往過去,迦葉如來,出現世間,滅度之後,有比丘僧凡十萬人。
  中有一沙門,作僧自在,身有疾患服藥自下,憍慠恃勢,不出便利,以金銀澡槃,就中盛尿,令一弟子擔往棄之。
  然其弟子,是須陀
 由在彼世,不能謙順,自恃多財,秉捉僧事,暫有微患,懶不自起,驅役聖人,令除糞穢。
  以是因縁,流浪生死,恒為下賤,五百世中,為人除糞,乃至於今。
  由其出家,持戒功コ,今我世,聞法得道。」
 佛告大王:
 「欲知爾時僧自在者,今尼提比丘是。」
 波斯匿王白世尊言:
 「如來出世,實為奇特,利益無量苦惱衆生。」
 佛告大王:
 「善哉善哉!如汝所言。」
 佛又告曰:
 「三界輪轉,無有定品,積善仁和,生於豪尊;習惡放恣,便生卑賤。」


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