→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.30] ■■■ [366] 天竺の比丘尼 【有名な比丘尼】 (摩訶)波闍波提/憍曇弥/瞿曇彌/大愛道 …《最初の比丘尼》釈尊叔母&養母 孫陀羅・難陀の母 耶輸陀羅…釈尊妃 羅睺羅の母 差摩/讖摩…頻毘娑羅王后 妙賢/跋陀羅迦毘羅(賢色黄女)…大迦葉元妻 優缽羅色(蓮華色)…舎衛城長者の娘 菴摩羅(㮈女)…遊女 孫陀羅難陀(歓喜)…波闍波提の子 《「賢愚經」》📖「賢愚因縁經」 叔離/叔釐…仏、瞿曇彌に付す。 微妙…仏、大愛道に付す。 金光明(金光の妻)…仏、大愛道に付す。 《「揶鼈「含經」卷三比丘尼品》 大愛道瞿曇彌…"第一" 識摩…智慧聰明 優缽華色…神足第一,感致諸神 機梨舍瞿曇彌…行頭陀法,十一限礙 奢拘梨…天眼第一,所照無礙 奢摩…坐禪入定,意不分散 波頭蘭闍那…分別義趣,廣演道教 波羅遮那…奉持律教,無所加犯 迦旃延…得信解脱,不復退還 最勝…得四辯才,不懷怯弱 拔陀迦毘離…自識宿命,無數劫事 醯摩闍…顏色端正,人所敬愛 輸那…降伏外道,立以正教 曇摩提那…分別義趣,廣説分部 優多羅…身著麤衣,不以為愧 光明…諸根寂靜,恒若一心 禪頭…衣服齊整,常如法教 檀多…能雜種論,亦無疑滯 天與…堪任造偈,讚如來コ 瞿卑…多聞博知,恩慧接下 当然、"女人の出家する事、此れに始れり。"譚が収録されることになる。・・・ ●[巻一#19]仏夷母憍曇弥出家語📖仏伝 憍曇弥[釈尊の夷母]:「我れ、 女人なるが故に、 出家を得ずして歎き悲む也。」 阿難:「我れ、仏に随ひ奉て聞くに、 女人も精進なれば、沙門の四果を得べし。 今、憍曇弥は至れる心を以て、 出家を求め、法律を受けむと思へり。 願くは、仏、此れを許し給へ」 釈尊:「此の事、願ふ事無かれ。 女人は我が法の中にして、沙門と成る事無かるべし。 其の故は、 女人出家して清浄に梵行を修せば、 仏法をして、久しく世に住せむ事非じ。 譬ば、人の家に多少の男子を生ぜるは、 此れを以て家の栄とす。 此の男子に仏法を修行せしめて、 世に仏法を久く持(たも)たしむべき也。 其れに、女人に出家を許せらば、 女人、男子を生ずる事絶ぬべきが故に、 出家を許さざる也。」 : 憍曇弥、出家して、戒を受て、 比丘尼と成り、法律を受け、羅漢果を得つ。 ところが、#19より前の#10にすでに比丘尼が登場しており、時間軸での仏伝構成をわざわざ壊している。 つまり、尼の存在は社会的に大きな反感をかっていたことを、最初にご注意申し上げておきたいということ。それは天竺社会特有と言えないでもないが、本朝にその風潮が無いと言う訳ではないですゾ、と見ていたのだと思われる。 (天竺社会は古代から、大家族制とフラグメント化した職業別クラスで成り立っているため、女性は、どうしても家が所有する商品になってしまう。商品価値を失うとアウトカースト同様の家内奴隷と化す。「今昔物語集」編纂者はそれを知っていた可能性が高い。「酉陽雑俎」の著者は、天竺僧との交流も深く、そんなことは百も承知だった筈だが、書籍には鯨の存在を記載する程度に留めているのと同様な姿勢だと思う。本朝は、古代の歌垣や「源氏物語」の世界がママ残っており、天竺とは全く異なるが、すでに、女性は経済的に自立できる存在ではなくなっており、反尼感情が生まれていておかしくないと考えていたのではないか。)・・・ ●[巻一#10]提婆達多奉諍仏語📖逆罪者提婆達多 提婆達多、 花色(=蓮花)と云ふ、羅漢の比丘尼の頭を打つ。 此れ、第三逆罪也。 羅漢の比丘尼は打殺されぬ。 尚、釈尊は、最初の比丘尼である摩訶波闍波提/憍曇弥/瞿曇彌/大愛に蓮華色、微妙、叔離を付したとされている。 本朝では、光明皇后が尼寺の法華寺建立との譚を欠文にしているが、天竺でも耶輸陀羅(=羅睺羅の母)の出家譚を欠文にしており、「今昔物語集」編纂者には、尼に関する記述にはなにか思いがあるようだ。 ● [巻一#20]仏耶輸陀羅令出家語 (欠文) 比丘尼題名の譚が巻二に2つ収録されているが、それが上記3名の残りである。。 ●[巻二#13]舎衛城叔離比丘尼語📖「賢愚因縁經」 舎衛城の、家大きく裕富で財宝豊な長者が娘を得た。 端正で世に並び者が無い程の容姿。 出生時、細い白畳に身が包まれていたので、 両親は叔離と命名。 成長すると、出家を希求し、厭世姿勢に。 ついには「仏の御許に詣でて出家する。」と言い出したので、 釈尊も、「汝、善く来れり。」とおっしゃった、 すると、叔離の頭髪は自然に落し、 着ていた白畳は五衣に変ってしまった。 釈尊は、叔離のために説法し。 それを聞いて、すぐに羅漢果を得た。 阿難に、この比丘尼の宿世を尋ねられて 釈尊は叔離の前世が貧窮夫婦の妻であり、 比丘に、なけなしの 身にまとっている一畳の垢畳を布施した、と。 ●[巻二#31]微妙比丘尼語📖「賢愚因縁經」 微妙は阿羅漢果を得た尼。 自分の前世での善悪業を語った。・・・ 家には財宝が溢れている大変に豊かな長者の妻だった。 子供がいなかったので、妾をとることになり、 子供が生まれ、皆可愛がったが、 本妻は妬ましく思い、殺してしまった。 殺したと追求されたので、呪誓し、無実と主張。 しかし、すぐに死んでしまい、地獄に堕ちた。 そして、呪誓通りに、 幾世も、夫は毒蛇に噛み殺され、子は溺死し、 自分だけは、その都度生死を繰り返したのである。 そこで、命のあるうちに、 祇園精舎の釈迦仏の元で出家させて頂こうと。 そんなことがかなったのは、 辟支仏の世に、食物を布施し、願をかけたから。 結果、仏にお会いでき、出家して修行。 羅漢となった。 前世の殺生の罪で地獄に堕ちただけでなく、 現在も呪誓の罪での悪報は続いている。 羅漢果を得ても、常に熱鉄の針が、 頭の頂から入り足の下に抜け出る。 昼夜この堪え難き苦痛に苛まれている。 この譚の細かな話は、なかなかに面白いが、そこに主軸があるのではないと見て割愛した。 そのような"人々を唸らせるような、"因縁事例を尼自らが語るという点が重要だからだ。 そこが、二巻の同様な因縁事例と大きく違う点。 前世の因縁を解説する役割は、通常は釈尊。つまり、ここでは尼がそのレベルとして扱われていることを意味しよう。 尼が教化活動の主導的メンバーであることを物語っている訳だ。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |