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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.1] ■■■
[429] 終南山悟真寺
長安藍田の終南山は道教の祖的な地であるが、鳩摩羅什の翻訳が行われたこともあって[→鳩摩羅什]、ここから律(道宣)、華厳(杜順)、三論(吉蔵)が始まったと言われている。

そして、浄土教の善導/光明大師[613-681年]が修行した悟真寺[594年 開基:浄業(師:浄影寺慧遠・曇遷)]の地でもある。(埋葬地は別所:神禾原 香積寺)[→震旦浄土宗祖曇鸞]
当初は法華三昧道場だったと伝わるが、7世紀には浄土観想の修行拠点となっていた。

尚、巻七[#41]に涅槃経講経僧が突然死し終南山に埋葬すると季節外れの花が咲いたとの譚が収録されている。[→震旦諸々霊験]

  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  <像>
   《15-20弥陀仏》
  [巻六#15] 震旦悟真寺恵鏡造弥陀像生極楽語
  ⇒「三寶感應要略」上_7悟真寺釋惠鏡造釋迦彌陀像見淨土相感應
 長安の悟真寺の僧 恵鏡は@山東出身。
 出家してからは常に蔬食で、仏道修行を怠らなかった。
 細工の技量を身に着けていたので、
 釈迦・阿弥陀、二つの仏像を自作造像し、供養し奉っていた。
 もっぱら浄土転生を祈願しており、
 常にこの二体の仏像を礼拝、恭敬し奉っていた。
 そうこうするうち、67才を迎え、
 正月十五日の夜、夢を見た。
  僧が一人でやって来た。
  身体の色が金色で、光を放っていた。
  僧:「汝、浄土を見たいと思っておるのか?」
  恵鏡:「願わくは、たいものです。」
  僧:「仏を見奉ろうと思っておるか?」
  恵鏡:「仏を見奉らうと思う心は深いものがございます。」
  すると、僧は、鉢を1個以、恵鏡に授けた。
  僧:「汝、この鉢の中を見てみよ。」
  そこで、鉢の内を見るに、これが鉢の内なのかと思ふ程、
  そこには遥に広い世界が広がっており、
  それこそが仏の浄土だったのである。
  大地は黄金。重層の宮殿・楼閣が並ぶ。
  皆、衆宝で荘厳し飾り立てている。
  総て考える以上で、見たこともない。
  諸天・童子は遊戯に夢中。
  菩薩・声聞は仏を囲遶し、前後にも。
  有りつる僧も、仏の御前に。
  恵鏡は、その僧の後に随って、
  漸く仏の御前に進んで行くと、
  僧は忽然と消滅してしまった。
  恵鏡、合掌。
  恵鏡:「我をお導き下さった僧は、どなたでしょうか?」
  仏:「汝が造った釈迦像である。」
  恵鏡:「今、又、ここでお教え下さる仏は、どなたでしょうか?」
  仏:「我は、汝が造った阿弥陀像である。
     釈迦は父の如く、我れは母の如き者。
     娑婆世界の衆生は赤子の如し也。
     譬えれば、父母に、多くの子がいるとしよう。
     幼稚で、さとり無ければ、泥の深みに堕ち入ってしまう。
     父は、その深い泥の中に入り、
      その子を抱き高い岸に引き上げる。
     母は、その子を養育し、
      指導し教えることで、泥中に還らないようにする。
     我等は、このようなもの。
     釈迦仏は娑婆濁世の愚痴・無識の衆生を教化し
     引導するために、この浄土の道を示すのである。
     我は、浄土に居り、請われて、帰還させるのである。」
  恵鏡は、これを聞いて歓喜。
  そんなことで、急に、見えなくなってしまった。
 すると、急に、夢から覚ねたのである。
 その後、ますます真心から、
 この二仏の像を際限なきほど礼拝恭敬し奉った。
 そうこうするうち、
 再び、夢に前の僧が出現。
  僧:「汝、これより12年後、浄土に生まれることになる。」
 そこで、夢から覚めた。
 これを聞いてから、昼夜、身心怠らずに、恭敬供養し奉ったのである。
 そして、遂に、79才で逝去。
 臨終の際、隣房の僧の夢に、
  百千の菩薩・聖衆が、西方より恵鏡の房に来たりて、
  恵鏡を迎えて西へと去って言った。
  その時、妙なる音楽が空から聞えてきて、
  香しき匂いが、室に満ちた。
 世の中で、その音楽を聞いた人は、少なくない。


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