→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.6] ■■■ [464] 熊凝精舎 しかし、聖徳太子関連譚を眺めていて、本朝仏教の初期の広がりを考える上で重要であると、「今昔物語集」で初めて知った。 ●[巻十一#16] 代々天皇造大安寺所々語📖南都の寺 (後半欠文) ○聖徳太子 熊凝の村に寺建造。 ○未完成。太子逝去。 <推古〜聖武 9代>継続して造成。 ○欽明天皇の御代[舒明である。📖仏教公伝] 百済河の辺の広き地に移転造成。名称、百済大寺。 神社の杜伐採で焼失。…雷神、嗔の心火 天皇は恐れたが造営続行。 ○天智天皇代、丈六釈迦像造像。 ○元明天皇代、710年、奈良の京に移転。 ○聖武天皇造営受け継ぐ。 入唐僧 道慈に改築命。 ・中天竺 舎衛国 祇園精舎のモデルは兜率天宮。 ・震旦 西明寺は祇園精舎を写し建造。 ・本朝 大安寺は西明寺を写し建造。 ・都合14年。 大官大寺改名、大安寺。 欠文化末尾に入り文の流れが判然としない。・・・ ○女帝持統天皇が継承。[持統は天武天皇の皇后。 聖武を継いだのは高野姫天皇である。] あえて、「今昔物語集」編纂者がこのような欠文状態にしたとすれば、 <推古〜聖武 9代>の公的歴史のストーリーメーカーは持統天皇ということかネ。 一般に流布されている情報をもとに、上記を年譜化するとこんな具合か。 _536年 28代宣化天皇即位 _538年 [推定]仏教伝来 _539年 29代欽明天皇即位 _552年 百済から仏像・経文伝来@「日本書紀」 _571年 30代敏達天皇即位 _585年 31代用明天皇即位 _587年 32代崇峻天皇即位 _593年 33代推古天皇即位 _617年 熊凝道場@平群/大和郡山額田…聖徳太子創建(モデル:祇園精舎) _621年 聖徳太子没 _629年 34代舒明天皇即位[田村皇子]@岡本宮(飛鳥) _636年 田中宮遷都(岡本宮焼失) _639年 百済大寺(移転改称@十市百済川辺/桜井吉備池)…太子遺言 本朝初官寺 焼失…近隣(大三輪)の子部大神の怨 _640年 百済宮遷都 _641年 35代皇極天皇[皇后]即位 _642年 百済寺造営継続…造寺司:阿倍倉橋麻呂、穂積百足 _643年 飛鳥板蓋宮遷都 _645年 百済寺寺主僧:恵妙 《乙巳の変》 36代孝徳天皇[弟軽皇子]即位 難波宮遷都 _655年 37代斉明天皇[皇極天皇]重祚@飛鳥板蓋宮 _668年 38代天智天皇即位 _672年 39代弘文天皇即位 _673年 40代天武天皇即位@飛鳥浄御原宮 高市大官寺(移転改称@高市) _677年 大官大寺(改名) _690年 41代持統天皇即位 _694年 藤原宮遷都 _697年 42代文武天皇即位 _701年 九重塔・金堂造営 _707年 43代元明天皇即位 _710年 平城京遷都 _711年 焼失 _715年 44代元正天皇即位 _716年 大安寺(移転改称@平城京左京六条四坊) 聖武天皇造営継続 護持僧:律師道慈 _724年 45代聖武天皇即位 46代[749-758年]48代[764-770年]孝謙・称徳天皇 47代淳仁天皇 49代光仁天皇 百済大寺の場所だが、溜池になっている吉備池の遺跡が該当することが、現代になってようやくわかってきた。ここは伊波禮/磐余の地でもあり、旧宮地は伽藍に聳え立つ塔の一猊下。 三輪山から巻向の古墳群祭祀の時代に終わりを告げさせるための一大宗教施設であると考えるべきだろう。 30代の御陵は終末期タイプの前方後円墳だが、31代は方墳となり、以後の皇族は八角墳タイプに変わっていくのである。📖桜井時代 (薄葬令は646年) ┼┼┼│┼┼┼↓初瀬川 ┼┼┼│┼┼┼││三輪駅 ┼┼┼└┐┼┼│○┼>┼┼▲ ←三輪山 ┼┼┼┼└┐┼││┼>┼┼┼┼┼┼┼┼↓白川 ┼┼香┼┼│┼└│┐┼ΛΛΛΛΛΛΛ∴│ ←長谷列木宮◆25 ┼┼久大┼│┼桜││┼┼┼┼∴┼┼┼┼│ ←長谷朝倉宮◆21 ┼┼山福┼└┐井│└┐∴┌─────── ←師木島大宮◆29 ─┐駅駅┼∴│駅│┼└─│─────┬┴ ←他田宮◆30 ───○───○─────○───────○─ ──○────○┘┼┼┌┘大和朝倉駅│┼┼長谷寺駅 ┼│┼┼┼┼└─┐┼┌┘┼┼┼┼┼┼│ ──────────┘ ←R165 ┼└┐┼■┼卍┼│ ←吉備池(百済廃寺+百済宮) 阿部文殊院 ┼┼└┐┼⛩┼┼│ ←春日神社=池邊宮◆31 ┼┼┼└┐┼┼┼│ ┼┼┼┼└┐┼┼│ ┼┼┼┼∴│┼┼│ ←伊波禮若櫻宮◆17 伊波禮玉穂宮◆26 ┼┼┼┼┼↑米川 ↑寺川 ┼⛩┼┼┼│┼┼│ ←御厨子神社=伊波禮甕栗宮◆22 ▲┼┼┼┼│┼┼│ ←香久山 ┼┼┼┼┼│┼┼└┬──■ ←倉橋池 ┼┼┼┼┼│┼┼┼│卍 ←金福寺=倉橋柴垣宮◆32 吉備池に百済廃寺が存在するとは知られていなかった頃は、それを引き継ぐとされる別な場所の現存寺が比定地とされていた訳で、廃寺の存在はタブー化されていたと考えるべきだろう。 従って、聖徳太子信仰者はそれに抗して百済寺と命名し伝統を護ったものと思われる。 それを考えると、当初の地かはなんとも言い難いが熊凝精舎を継ぐお寺も現存する。年譜的には、このようにまとめることができそう。 _617年 熊凝道場@平群/大和郡山額田…聖徳太子創建(モデル:祇園精舎) _639年 百済大寺(移転改称@十市百済川辺/桜井吉備池)…太子遺言 本朝初官寺 【伝熊凝精舎跡地】 _8世紀 [額田部氏寺]額田寺@大和川/初瀬川・佐保川合流点…道慈創建(出自) 衰退 13世紀 再興(西大寺僧叡尊・忍性・慈信) 1499年 焼失…細川政元家臣赤沢朝経侵攻 1580年 没収…織田信長 再興…豊臣秀吉(五重塔寄進とのバーター) 1606年 本堂再建 衰退 現時点 熊凝山額安寺@大和郡山額田部寺 尚、「日本書紀」推古天皇代624年 秋九月には、寺46所、僧816人、尼569人が存在したとされるが、該当する寺のリストは無いし、推定も難しい。百済大寺はなかったかも知れぬが、以下の寺は入っていたのでは。 法隆寺/斑鳩寺 法起寺/池後寺 法輪寺 中宮寺 上宮王院/夢殿 施鹿薗寺/平群寺 熊凝精舎(⇒額安寺) 元興寺/飛鳥寺/法興寺 菩提寺/橘寺 豊浦寺/桜井寺 金剛寺/坂田寺 葛城寺 【摂津】四天王寺 【山城】広隆寺/蜂丘寺 【近江】百済寺 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |