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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.13] ■■■
[470] 本朝地蔵信仰の意義
「今昔物語集」をここまで眺めて来て、ようやくにして小生なりの地蔵菩薩霊験譚の由緒が読めるようになって来た。

すでに取り上げたように、【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)には50譚が収載されているが、そのうち1〜32譚が地蔵菩薩霊験譚。
そのほとんどが散逸してしまった三井寺(園城寺)僧実睿[撰]:「地蔵菩薩霊験記」1057年で民間地蔵説話を集成したもの。📖→
ところが、この僧に関する情報がほとんど得られない。日本全国津々浦々、寺内から山道まで見かけ、田圃にさえも安置されていたりしている上に、それぞれに様々な伝承がついてくる。それほどまでにポピュラーな割に、随分と冷淡な扱いである。

ただ、三井寺が恣意的に無視した訳ではなさそう。
  [巻十七#19]三井寺浄照依地蔵助得活語📖閻魔王
  [巻十七#12]改綵色地蔵人得夢告語
 阿弥陀仏造像の際、古い地蔵菩薩を綵色し直して正法寺に安置。
 それを補修したところ、子供の夢告。
 三井寺の前上座僧だが、妻の尼が作った、と。

いかにも街寺らしく妻帯僧であるし、地蔵造像は世間的に珍しくなかったことを意味していそう。
京洛でも、小三井寺[@五条壬生1005年園城寺僧快賢建立]は、991年地蔵像安置(亡母供養)とされ、地蔵院[白川天皇行幸1077年勅号]となった。(その後⇒1213年移設@梛ノ宮⇒宝幢三昧寺/心浄光院/壬生寺[1259年再興])

ただ、この辺りを地蔵菩薩信仰広がりの端緒と見るべきではなかろう。
本朝で古そうな像安置の記録としては安祥寺@山科のようだし。開基の入唐僧 恵運[798-871年]が持ち込み彩色したと伝わる。寺名が見られる収録譚では、地蔵でなく国上山の十羅刹の救済譚だが。

造像を別とすれば、最初は、空海の教えと、曼荼羅から入って来たと見るのが自然だ。📖胎蔵曼荼羅[9]地蔵菩薩
従って、南都でも地蔵造像は少なからずあった筈。
例えば、京で知られる地蔵でも発祥は違うこともある位で。
  大和矢田寺別院 矢田地蔵寺@五条坊門 満慶創基
     (⇒1579年移設@寺町三条上る天性寺前町)


このことは、三井寺での地蔵信仰は、空海の曼荼羅の流れとは違うことを意味する。しかし、その大元を云々したくない事情があったに違いないが、そんな姿勢をとっていても一世風靡状況になってしまったのである。
そこで、思わず難しさを感じてしまうが、「今昔物語集」で俯瞰的な見方の訓練をさせて頂けば、ナーんだそんなことかと気付かされることになる。

錫杖と宝珠を持ち、剃髪した修行僧の風貌の地蔵の造像手法が、震旦の九華山から、そこに留学した新羅僧を通じて比叡山の円珍系僧の集団に入って来たと考えれば辻褄が合うからだ。

それは、すぐに、僧兵集団の信仰対象になってしまったのだろう。
最初は、おそらく、幼児や子供といった自発的に善行ができなくて救われる道が閉ざされている可哀そうな人々を対象とした供養の法事に登場したのだと思う。
考えてみれば、それは寺内では、成人しても比丘にしてもらえそうになく、無学な沙弥の境遇に終わること確実の、下働きで毎日を過ごす童達をも救う仏像ということになろう。本朝における地蔵は、そうした層を救うが故に「小僧」でなければならないのである。

つまり、三井寺の僧兵の信仰が全国に広がったと見ることもできる訳だ。
そこから各地の話を聞き集めたのが、「地蔵菩薩霊験記」である。撰者の出自は、寺内では差別されていた、房の下働きの可能性が高い。だからこそ、「今昔物語集」最終譚は嘲笑されながらお暇を頂戴し単独で往生していった"童"で〆ていると見ることができよう。

しかし、宗派教団内での、天皇家や公家出身者と下賎僧や僧兵の軋轢で、地蔵像の出自を語らなくなった訳ではないと思う。
地蔵信仰ほど、大乗的なものはないからである。

様々な信仰と習合しており、そのご利益の幅も広いので、地獄で救ってもらおう感にどうしても注目してしまいがちだが、その根底にある心根は他利であろう。

「今昔物語集」からすれば、ずっと後世のことだが、例えば、町衆は通りのコミュニティ毎に地蔵を造像して祀ったし、辻々にも協力して安置している。明治維新で全廃させられたらしいが、多くの場合、どこからか戻って来たといわれる。
街を護ってくれる尊像だから、それなら力がある他の神々でもよさそうに思うが、そうはいかないのである。例えば、街道なら、道祖神でもよいが、習合した地蔵が好まれたようだ。
つまり、自利だけでなく、他利が鮮明だからだ。

街人や旅人にとっては、自分の厄除け第一ではあるのは当たり前。しかし、街や街道に行き倒れが到来するのは避けられないし、瀕死の兵もやってくる。そんな係累も知れぬ人達の供養もしてくれるのが地蔵菩薩。人々はそこに深い感動を覚えたに違いないのである。

おわかりだと思うが、血族第一主義で宗族祭祀以外は避けたい儒教にとっては危険思想そのもの。
本朝は儒教国ではないものの、支配階層に儒教信仰者がいない訳ではない。従って、表だって、地蔵信仰を掲げることを避けるのが得策であるのは自明。
それだけの話。詮索無用だ。

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