→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.11] ■■■ [499] 藤原惟規の歌 ●[巻二十四#57]藤原惟規読和歌被免語 大斎院(村上天皇御子第十皇女 選子内親王)は和歌の達人。📖大斎院 蔵人の藤原惟規が📖紫式部の父弟 賀茂斎院の女房と密かに語り合う間柄に。 毎夜、局に入ろうとするのを、侍が見咎め 誰なのか確かめようとしたが 答えずに入ってしまうので すべて閉門してしまった。 女房は困り果てて斎院に申し上げたので 惟規は御門から出ることが出来た。 その時に歌を詠んだ。 神垣は 木の丸殿に あらねども 名告りをせねば 人咎めけり [金葉集#990] ⇒源俊頼[1055-1129年]:「俊頼髄脳/俊頼朝臣無名抄/俊頼口伝集」1113年 【十一】季語・歌語の由来 📖「俊頼髄脳」好み 後日、これを知った斎院は、木の丸殿は聞いて知っているとおっしゃった。 題しらず 天智天皇 朝倉や(斉明天皇行在所) 木の丸殿に(丸太御殿) 我が居れば 名告りをしつつ 行くは誰が子ぞ [新古今#1689] 惟規の子孫の盛房の伝聞。 惟規は和歌の巧者なのである。 所謂、本歌とり。 お蔭で、勅撰和歌集を丸暗記していないと、無教養で才無しとされるのだろう。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |