→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.11.15] ■■■ [503] 夜叉信仰 実は、小生が、欠文や欠字が恣意的なもので、伏字や削除であるとした理由のひとつがココにある。 写本に白紙部分をわざわざ作る必要はないからだ。 そうなると、原本には、実は注意書きがあり、禁書写箇所について、その理由も含めて指示書がついていたということかも知れぬということになる。伏字や欠文は存在していないのではなく、文字の上に線が引かれていたりもしたのである。 写本に、白紙部分があるということは、抹消線引きの禁書写部分を読むと、どうということもなさそうな内容なので、写すべきか頭を捻ったことを意味しているのでは。ここは要相談ということで、空けておいたと見る訳だ。 【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚) ●[巻十七#50]元興寺中門夜叉施霊験語 (後半欠文) 元興寺の中門に二天(持国天+増長天)が安置されている。 その使者として夜叉(8体)も。 この夜叉だが、 限りないほどの霊験が知られている。 そのため、 寺僧を始めとして、里の男女が夜叉を参詣し、 法施を奉り、供具をそなえ、心願を祈り請う。 それがかなわなかったという話は無い。 <以下欠文> おそらく、説経唱導用の義昭@本元興寺[撰]:「日本感霊録」850年から夜叉霊験譚を採録するつもりだったのを止めたのであろう。(2巻58話だが、完本は残存していないが、元興寺中門の四天王とその眷属である夜叉の雷神的霊験譚が収録されている。) この夜叉像だが、大江親通[n.a.-1151年]:「七大寺日記」三 元興寺にも記載されている。 中門の二天幷八夜叉の像 心を静で可見、言語道断せる也。 夜叉の左の手に虵を取・・・ と。 中門とは、伽藍の総門と言える南側の大門とは違い、仏像を安置するお堂や塔を取り囲む回廊の入口である。総門では阿吽の仁王/金剛力士が門衛として入場者を睨んでいるのが普通だが、中門では四方を守護する四天王のうち東西二天とその眷属たる夜叉が安置されるという構成と思われる。 しかし、二天の選定は替わることもあるようだし、夜叉だけ別途の門に安置したり、存在しなかったりと、その選び方が決まっている訳でもなさそうだ。基本形が、本元興寺様式ということかも。 もともと、個々の天尊毎、地域毎に、眷属である特定の夜叉がいる筈で、その種類は本来的にはいくらでも。それを限定した代表に絞り込んだのが、曼荼羅に描かれた夜叉と考えるのが自然だろう。📖毘沙門@曼荼羅を知る 唐でも、門には天像と夜叉像は必須とされており、特に夜叉は耳目を集める姿形をしていたようである。 門内西側は火目夜叉と北方天王だが、 甚だしく奇怪で猛々しく描かれていた。 門東の内側には、夜叉や鬼神の画。 特に鬼の頭上に蜷局を巻く蛇は冷や汗モノの怖ろしさ。 📖浄域寺[2:呉道玄 v.s. 皇甫軫]@「酉陽雑俎」の面白さ そのような守護の役割を務めるだけの夜叉を信仰する動きはえらくわかににくいが、肝は虵と違うか。 南都には飛鳥から続く蛇信仰が根強かったこともあり、蛇を抑えつける力を持つ仏法というイメージを棄て、蛇を崇めるが如き習合が進んでいたことになる。普通は、信仰対象としては蛇体ではなく、龍神とされるのだが、時代の流れと逆行していることになる。 その程度なら、文章削除に踏み切らなくともよさそうに思うが、天竺や震旦の信仰状況を知ってしまった「今昔物語集」編纂者としては、そうもいかないということ。 上記のように、ほんの少々だけ文章を残したのは、その辺りを理解してもらおうとの意図があったのかも知れず、そうなると、諸天霊験最終譚として、心してあたるようにとのご注意文となろう。 ここらは、一番わかりずらいところでもある。 特に、樹木にも精霊が宿るという原始信仰と仏教は馴染むという眼鏡をかけて眺めていると全く気付かないかも。 非大乗経典でもある、ジャータカを読んで、ようやく、天竺と本朝の違いがわかり始めるというのが実情なのだから。 📖夜叉@ジャータカを知る 天竺では、樹木霊とは恐ろしい存在でもある。供犠で祀らねばならないのだが、本朝感覚でそれを理解すると誤解する。動物を生贄として捧げる必要があるからだ。夜叉が人を喰うというのは、恐ろしさを格段に増すためのお話という訳ではなく、発祥からして生肉を求める精霊だからだ。ベーダ教の時代から、天竺の風土として根付いた信仰である。 樹木精霊こと夜叉は、供養を怠れば、たちどころにコブラや大蛇になってヒトの命を奪おうと現れるのである。従って、蛇除け祈祷だけは例外的に、釈尊も容認していた。(釈尊も前世は樹霊だったことがあるが、それを本朝感覚で理解すると読み間違う可能性があり、要注意である。) 但し、小生は、信仰対象の夜叉は、天竺由来の樹木神とは関係はなく、非コブラ毒蛇信仰のソグド由来と見る。📖夜叉城@「酉陽雑俎」の面白さ 本朝では、雑炊的文化を愛好しているとはいえども、流石に、この手の信仰を取り入れる動きは、"待った"をかけたくなったに違いない。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |