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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.16] ■■■
[522a] 葵祭の雑事譚
最終巻巻本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)の構成についてまとめてみたが、さっぱりピンとこない向きも多かろうということで、例を一つ。
賀茂祭/葵祭譚をわざわざ雑事の最終巻に収録しているので。
  [巻三十一#_6] 賀茂祭日一条大路立札見物翁
この譚は、陽成院ということで他譚と一緒して、すでに触れた。📖陽成院の御殿「今昔物語集」的連続譚構成に似せてまとめてみたのである。

こうした構成にすると、必ず、話の焦点がボケル。それなりの姿勢で臨んでいる読者だけしか、この譚で注目したい箇所に目が行かなくなる。
それを狙った嗜好だと思う。

つまり、この譚の焦点はあくまでも御祭であって、登場人物は刺身のツマ。こんなことが起きるほど、京都の民総出の、とんでもない人気の大祭が挙行されているという事実。
一般に、寺は法会/講や法要の集まりは少なくないし、○○祭が無い訳ではないが、この手の派手なお祭りは例外的である、その落差のほどを指摘したいとの目論見があると読んだのである。

院政期、葵祭とは呼ばないことが多かったようだが、源氏物語にすでに"葵"が当たり前のように登場するから、そう記載してもよかったと思うが、避けたようだ。
何故に"葵"かと言えば、冬でも枯れず、葉に向日性があるから。もちろん、渡来植物である。植物学的には、野葵/冬葵[仰日]で、原産地は中国かもしれないが、欧州〜エジプト〜インド〜ミャンマーまで分布しており大陸では珍しい植物ではない。
だからナンダということになるが、この祭が、震旦から渡来したと自称する"秦氏"に関係していることを如実に示すモノとして押さえておく必要があるということで。

そして、実は、そのような祭りだからこそ、京都人が誇り、なんとしても続けるとの、強烈な意志を示すのである。それが自覚した上なのか、否かは、外部の者には定かではないが。
  📖体質を見抜く。[古事記命]@古都散策方法 京都-
小生は、「今昔物語集」編纂者はそれを知っているからこそ、この譚を最終巻に入れ込んだと考えるのである。筋が余りに下らないからでもある。

と言うか、この譚の存在で、"やはりそうか。”感が湧いてきたのである。

話は少々飛ぶが、梅原猛[1925-2019年]について触れるとそこらの感触がわかり易くなるかも。・・・
小生はファンではないので、人となりは知らないが、精力的活動には畏れ入るといったところ。にもかかわらず、取り上げるのは、「隠された十字架-法隆寺論」1972年が出色の出来だから。しかし、法隆寺論ということだからではない。京都に長く住み続けていれば、インテリで教団関係者でなければ、余り表だっては言わないが、"秦氏"の信仰について薄々は感付いていることがありそうだからだ。(司馬遼太郎:「兜率天の巡礼」1957年)それをこの書で上手に表現していそうに思ったから。
もちろん、「今昔物語集」編纂者も似た想いを持っているのではないかということ。

聖徳太子+秦河勝の仏教は、救済者としての弥勒信仰が色濃いが、梅原猛の法隆寺論の示唆から言えば、西方に伝わって大秦教を成立させた可能性もあるし、それが震旦に流入し、さらに本朝渡来仏教に救済思想が取り込まれたかも。
"葵祭"、"やすらい祭(イスライ井戸)"、"イスノキ"という名称が残っていることもあるし。
  📖櫛の木-イスノキ-@日本の樹木

とは言え、梅原猛の主張が正しそうかなど、どうでもよい、と言うと語弊があるが、このようなことを読者に考えさせる機会を提供することこそ、「今昔物語集」の大きな目的。ご教訓を伝えるつもりなどサラサラないと思う。

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