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技術マネジメント論 [2]  2006年7月25日
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グローバル化を振り返る…

  時代の流れをつかむことができると、どうして新しいマネジメントの仕組みがあらわれてきたか、納得感が生まれる。  これが大事だと想う。

 前回は、事業観が、“マス→セグメント→コミュニティ”と進んできたとの、雑駁な話をした。
   → 技術マネジメント論 [1]  「コミュニティの時代」  (2006年7月18日)

 コミュニティ型と勝手に名付けたが、これは巷で語られている用語とは違う。歴史的な意味をとらえかえすのに便利な言葉だから、利用したのである。

 経済のグローバル化が進み、国民経済の考え方にしばられる時代ではなくなったことを示すための、軽い表現と考えてもらえばよい。

 この場合、グローバル化を狭い意味で考えないで欲しい。
 90年代に発生したこの動きは、世界を変える歴史的なものだった。この認識が重要だと思う。

 ちょっと振り返って、まとめてみよう。

 グローバル化とは、政治的には、社会主義圏が自由主義経済圏に取り込まれたことを意味する。米国の圧倒的軍事力と競争する体力が不足し、独自の政治・経済ブロックを維持できなくなった訳である。
 その動きは、は金融分野で見れば、資金のグローバル化ということでもある。投資魅力が高いところに、お金が流れるようになったわけである。
 その流れを後押ししたのが、インターネットによる通信とグローバル物流の仕組みである。
 その結果、世界経済は好調裏に伸びてきたと見てよいだろう。

 しかし、マクロで見れば好調だが、競争原理が持ち込まれた訳だから、力が無く、投資魅力も薄い地域は見捨てられる。

 グローバル化というと、こんな姿を想いうかべるのが普通だろう。
 この程度なら、技術マネジメント上、それほど大きなインパクトを与えることはなかった。

 グローバル化は地理的な垣根を壊しただけではなかったのである。
 技術分野間の垣根も無くなってしまったのだ。

 そのきっかけは、軍事分野から始まった。冷戦終結で、軍事分野の技術者が大挙して民間に流れ込んできたからである。しかも、軍事技術の移転も許されるようになった。典型はインターネットである。
 このことは、狭い技術領域でダントツな力を発揮するタイプの人達が民間市場で活動し始めたことを意味した。そのため、技術開発体制が変わり始めた。競争力なき技術分野は、外部の優れた力を利用せざるを得なくなったのである。
 それぞれの技術分野の強者を組み合わせ、統合して力を発揮しなければ競争に勝てないのではないかと考えるようになった訳だ。
 今までは、ビジネスで競争力を発揮するためには、すべての技術を統合して管理する、バンドル化がベストと考えられていたが、全く逆の動きが始まったのである。

 こうなると、特徴があり、代替しがたい技術の魅力が生まれる。そのため、そんな技術開発にお金が回るようになった。基礎研究への投資は割りが合わないとは言えなくなった。
 しかも、その動きを確固としたものにすべく、知財保護政策が強化された。こうなると、サイエンスがビジネスにダイレクトに絡む。

 要するに、軍事分野、科学の世界、産業技術領域の3つは別だったのに、その垣根が消えてしまったのである。
 これがもう一つのグローバル化である。

 これに加えて、産業構造も変わり始めた。
 企業ができる限り自由に動けるように、規制撤廃が進んだからである。
 お蔭で、産業融合や、アウトソーシングといった、今迄は理屈だけの世界が現実化した。

 これだけ大きな変化が生じれば、当然ながらマネジメントの仕組みを変えざるを得まい。

  →続く 技術マネジメント論 [3]  (2006年7月26日予定)


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