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技術マネジメント論 [11]  2006年8月29日
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合併・買収の真の“嬉しさ”…

 前回、つい、企業買収の話に触れてしまった。
   →  技術マネジメント論 [10]  「分析思考からの脱却」  (2006年8月21日)

 買収の話をすると、技術マネジメントとは関係ないとか、企業をモノのように取引する発想では技術者の心はつかめない、といった反感を持つ人が結構多いようだ。

 企業は人の力で動いているから、働いている人の感情が重要なのは当たり前である。しかし、産業構造が変わろうとしている時に、自分達の会社だけは変わらなくても大丈夫という理屈が成り立つものだろうか。
 この感覚が無いから、合併・買収を株主価値向上のためのマネーゲームとしてしか見れないのかもしれない。

 企業はNPOとは違う。資金を調達し、そのお金を元手にして市場で競争し、利潤をあげていく組織である。投資家や貸し手から、利益を約束してお金を集めたのだ。そして、社会には税金として利益を還元していく訳だ。
 十分な利益が出せる自信があり、生き残りも確実であり、合併・買収には無縁でいたいなら、MBOで非公開にすればよい。それができないなら、金を吸い込むブラックホールになりかねないと見られている可能性さえある。もしも、本当に、そんな状態なら、消えてもらうしかない。
 資本コストを上回る見込みが無いのに、事業続行をするとしたら、倫理感喪失と言わざるを得まい。そのような企業を野放しにしていたら、社会は腐敗一途になりかねない。危険な動きである。

 先ずは、倫理感を確立する必要があるのではなかろうか。

 誰が考えても、将来的にジリ貧化が予想されるなら、抜本的改革は避けて通れない。これを先送りにすると、たいていは事態を悪化させ、どうにもならなくなる。

 合併・買収話がでてくるということは、一大飛躍の可能性を秘めているか、抜本的改革が不可欠、のどちらかのことが多い。

 嫌われるのが、後者。
 ここで感情的反撥で対応すれば、姑息な先送りを狙っていると映りかねない。心した方がよかろう。

 実は、こんな話をしたくて合併・買収をとりあげているのではない。この影で、見落とされている重要な問題があると思うからだ。
 嫌われない合併・買収や、企業の大グループ化の動きの方にも注意を払うべきだと思う。

 典型は、○○グループに属す、○○A企業と○○B企業との合併のようなタイプである。もちろん、もともとペーパーカンパニーで、組織変更のために行うような合併・買収のことではない。全く独立していた企業を突然一緒にして、規模の効果を狙った動きである。

 言うまでもないが、違う文化の集団を混ぜこぜにすれば、必ず問題が発生する。同じグループに属していても、企業文化は大きく異なることが多いから、副作用は小さいとは思えない。
 にもかかわらず、表面的には、スムースに進んでいるように見える。

 これは危険な兆候なのではないのか。

 反対の動きが表面化しないのは、荒療治がないということ。変革につながる合併・買収ではないのだ。
 しかも、文化が違っても、問題が発生していない。このことは、モザイク的な組織になっている可能性が高い。様々な部隊が名目上集まっている組織なのかもしれない。そうなると、各組織は、狭い枠のなかで最適経営を進めている可能性が高い。
 当然ながら、本社部門は苦労する。
 技術マネジメントの高度化をスローガンに掲げたところで、バラバラな組織だから、ほとんど機能しない。本社からは、各組織の真意は皆目わからないから、プロジェクトの評価基準や評価プロセスを精緻化する以外に手の打ちようがなくなる。採点結果を眺め、機械的に投資判断するしかないのである。これでは、株の投資家と、ほとんど変わらない。違うのは、鞘を抜いて儲けないだけかも知れぬ。
 評価の厳密化に邁進すれば、玉の小粒化を招くことになろう。企業規模を拡大し、集中投資するのかと思うと、全く逆になる。しかも、堅実なものばかりで、収益性は底這いになる。
 これが合併の成果である。

 部外者からいえば、合併・買収を進めるなら、困難が予想されても、グループの枠組みを越えた合併・買収の方がよいと思う。
 この場合、はなから、文化的な対立が予想される。
 下手をすると、社内2組織化もあり得る。日本では、そんな事例は至るところにあるからだ。

 従って、合併・買収は上手くいくまいと、考え勝ちである。
 しかし、それは、社内に緊迫感が薄い場合の話。競争相手と戦う前に、社内で戦う余裕があると見ているからだ。
 今でもそんな調子なら、何をやっても同じである。どの道、衰微する。

 抜本的変革を目指そうと考える人が存在するなら、合併・買収は一大チャンスになる筈だ。
 両者の良さを生かして戦える体制を作らなければ、沈没は免れない。組織全体に緊張感が漲る。これが改革を後押ししてくれる。改革派が、今までのしがらみを外れて“動ける”からである。
 研究開発の方針設定にしても、両者で議論を尽くすしかあるまい。多くの場面で深刻な対立が発生するに違いない。しかし、一つにまとめなけば戦えないのだ。両者ともに知恵を出尽くせざるを得ない。
 こうした徹底した議論を通じて、互いに何を考えており、どうしたいのかもわかってくる。そして、ついには、意思の疎通ができる時が来る。
 これが、抜本的改革の端緒になるのである。

 狙うべき合併効果とは、実は、算数で出した、目に見える規模の経済性ではない。合併・買収の真の“嬉しさ”とは、新しい組織能力の獲得にある。
 真摯に考える人達を組織化し、飛躍に繋がる知恵を継続的に生み出す、新しい仕掛けをつくることができるのである。

 合併・買収成功の鍵は、組織能力を向上させる仕掛けを組み込むことなのだ。

 話が、それてしまったが、次回は本題に戻ろう。

  →続く 技術マネジメント論 [11]  (2006年9月5日予定)


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