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■■■ 太安万侶史観を探る 2014.7.13 ■■■


祭政分離の萌芽

ずいぶんとご無沙汰だったが、いよいよ、上巻の最終に入る。【11期】である。

ここから天孫降臨の話になるが、途端に、何を意味しているのか解釈は難しくなる。しかしながら、高千穂峰を選定した理由を考えていると時代感覚が伝わってくるような気がしてくるから不思議だ。もっとも、結論ありきで読むと、様々な話を詰め込んだバラバラな記述に映るかも知れぬ。
  「高千穂峰降臨の見方」 →(1) →(2) →(3)

降臨地もさることながら、降臨部隊の編成を眺めることも重要である。出雲を盟主とする連合王国的な体制からの脱皮を感じさせるからである。

降臨の命を受けたのは「」の系譜。漢字では「」かつ「」ということだろう。河川中上流の盆地での、高度な水田耕作技術を持ち、海洋・河川航行能力に長けた神々と考えるのが自然だ。
  ─・─ 系譜 ─・─
   【アマテラス大御~の「うけい」で誕生した5柱】
 [長男]正勝吾勝勝速日天之オシミミ命
 [次男]天之ヒ命
 [他]天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命
 [長男后]ヨロヅハタトヨアキツシ毘売[高木~娘]
   【誕生した2御子】
 [長男]天之アカリ命
 [次男]日子ニニギ命

ここで注目すべきは、降臨随伴。天の岩戸での神々が任命されている点。ここがアマテラス大御~信仰の原点ということでもあろう。
 <五伴緒部族
 天宇受売~ [女君]
 天児屋命 [中臣連・・・祝詞/祭祀次第]
 布刀玉命 [忌部首・・・祭具/宮作]
 伊斯許理度売命 [作鏡連]
 玉命 [玉祖連]
この随伴神々が岩戸前で行った祭祀が世の中を一変させた訳だが、その執行次第を整えたのは部族神ではない。子孫が存在しないからだ。政治を司る役割ということで、実行部隊とは独立ということになる。祭祀と政治の分離が始まったことを意味していよう。
 <"政"事
 (常世)思金~

天の岩戸の場面では、布刀玉命は「太御幣と取り持たして」、天児屋命は「太祝詞言ぎ白して」とされており、天宇受売は「楽し」である。これに、鏡と玉作りを揃えている訳で、祭祀運営の基本セットが確立したといえよう。

これがどれだけ重要なのか、祭祀用具(御幣:麻製品)担当の、布刀玉命 こと忌部首の名残りを見るだけでもわかろうというもの。
 【国作り原初】
  淡路・・・アワへの道路たる島
 【黒潮樹木系忌部】
  阿波 勝浦
  南紀 那智勝浦
  中伊豆 勝浦
  安房(南房総[麻])勝浦
 【白布産地系忌部】
  阿波 大麻山
  讃岐 大麻山
  備前 浦伊部、多麻
  筑紫 n.a.
  石見 大麻山
  隠岐 (社家:忌部)
  越前 麻気神
 【後の中央統治後の忌部】
  大和 橿原
  伊勢
  出雲・・・玉作

それに加えて、軍事部門も別途に編成された点も注目に値する。
 <御前(先導)族
 天忍日命 [大伴蓮・・・軍事統率]
 天津久米命 [久米直・・・先遣隊]
大伴家持の歌[万葉集#4465]で、その気分を伺い知ることができよう。
  久方の 天の門開き 高千穂の
  岳に天降りし 皇祖の
  神の御代より はじ弓を
  手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて
  大久米の ますらたけをを 先に立て
  靫取り負ほせ 山川を
  岩根さくみて 踏み通り
  国求ぎしつつ ちはやぶる
  神を言向け まつろはぬ 人をも和し
  掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島
  大和の国の 橿原の
  畝傍の宮に 宮柱
  太知り立てて 天の下
  知らしめしける 天皇の
  天の日継と 継ぎてくる
  君の御代御代 隠さはぬ
  明き心を すめらへに
  極め尽して 仕へくる
  祖の官と 言立てて
  授けたまへる 子孫の
  いや継ぎ継ぎに 見る人の
  語り継ぎてて 聞く人の
  鏡にせむを 惜しき 清きその名ぞ おぼろかに
  心思ひて 空言も
  祖の名絶つな 大伴の
  氏と名に負へる 大夫の伴

  
国家の運営体制が、組織的に整備された訳である。

しかし、唐突にも、これとは無関係な神が登場する。
 <国ッ神
 田毘古~ [・・・案内役]
海で溺れてしまうような山の民だが、海人勢力とはねんごろだったのが特徴。
山間部の狭い盆地に先端技術を携えた一行を紹介していく役割を率先して担ったようだ。
山海の珍味での大宴会付の、お遊びで大騒ぎする形のお祭が大好きな部族だったのだろう。従って、そうした文化に染まっていた伊勢辺りの海人系部族と懇意にしていただろうし、降臨一行とも、えらく波長が合ったということだろう。
だからこそ以下の神々が登場することになったと言えそう。
 <伊勢別三神
 登由宇氣~ [外ッ宮度相]
  伊耶那美ノ~の神生みで・・・
  次に和久産巣日ノ~。この~の子を豊宇氣毘売ノ~といふ。
 手力男~ [佐那縣:五十鈴宮]
 天石門別~ [御門:五十鈴宮]

国生みのシーンでわかるように、多島海的な地勢が倭の発祥地であり、最大の島たる本州で、そのような場所と言えば伊勢志摩である。(ついでながら、「韓」で同様な地といえば、朝鮮半島南西部の海域から済州島にかけて。)
ここには、本州の古い海人勢力が存在しており、五十鈴川の川縁にも一大拠点を構築していたのだと思われる。
祭祀の始まりは、「楽し」からというのが定式化されたから、それを仕切る女君の一族がそれを通じて、漁労民に「天ッ~の御子に仕えまつらむ」ように仕向けた訳で、その拠点が伊勢の多島海ということになろう。しかしながら、海鼠[コ]の産地のなかには受け入れなかったところもあったようだ。[美保あるいは備讃瀬戸かも]
まあ、雰囲気的には女族は、海女集団。田毘古~の三つの御魂を信奉する役割も担っているのだろう。

さて、「専ら我が御魂として、吾が御前を拝くがごと、斎きまつれ。」とのりたまいき、とされているだが、最終的には伊勢神宮で祀られることになったようだ。鏡はあくまでもアマテラス大御~の依代で、皇統のシンボルではないから、別三神が祀られている伊勢に落ち着いたということか。(尚、太安万侶は、伊勢神宮の本貫は「高木~」/心の御柱と考えていたと思われる。)

流れから見ると、大八島を治める首長の象徴は八尺の勾(玉)ではなかろうか・・・。
 <御身
  伊邪那岐ノ命・・・
  筑紫の日向の橘ノ小門の阿波岐原にいでまして、
  禊ぎ祓ひたまひき。
  :
  ここに左の御目を洗ひたまう時に成りませる神の名は、
  天照大御神。
  :
  やがてその御頸珠の玉の緒もゆらに取り揺らかして、
  天照大御神に賜ひて詔りたまはく、
  汝が命は高天ノ原を知らせと、
  ことよさして賜ひき。

 <石屋戸閉て刺し隠りましましき
  八百萬の神、・・・
  思菌ノ神に思わしめ
  :
  玉ノ祖ノ命命に科せて
  八尺の勾
  五百津の御統の珠を
  作らしめて、
  :
  天ノ香山の五百津真賢木を根掘にこじて、
  上枝に
  八尺の勾
  五百津の御統の玉を
  取り著け

 <河を中に置きて誓ふ時
  速須佐之男ノ命、
  天照大御神の左の御に纏かせる
  八尺の勾
  五百津の御統の珠を
  乞ひ度して、
  :
  成りませる神の御名は、
  正勝吾勝勝速日天之忍穂耳ノ命

だからこそ、海の神の宮前で、山佐知毘古が御頸の(瓊)を解かして、口中に入れ、玉器にはきだし、その貴さを示すことができたのだろう。

(使用テキスト) 旧版岩波文庫 校注:幸田成友 1951---底本は「古訓古事記」(本居宣長)

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