[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 古代の都 [2018.10.15] ■■■ [14] 穴門之豊浦宮 & 筑紫訶志比宮 14代 帯中津日子天皇仲哀天皇の宮は穴門之豊浦宮 & 筑紫訶志比宮。 御陵は河内惠賀之長江。 362年[壬戌]に52歳で崩御。 12代、13代の御子ではなく、即位していない11代御子[太子]倭建命の御子。11代から、記載の中心はもっぱら倭建命であり、ついに来たかろいう印象はある。しかし、敬称になっているのか疑問が湧くし、先代に引き続いて名前が無い。先代同様に、精神的支柱になるような天皇ではなく、流れにのっかって即位しただけと見られたか。 倭建命の系譜を見ておこう。 倭建命┬布多遅能伊理毘売命(伊玖米天皇[11]の娘) ┼┼┼└─帯中津日子命⇒皇位継承[14] 倭建命┬弟橘比売命…入水 ┼┼┼└─若建王┬真黒比売 ┼┼┼┼┼┼┼┼└─須売伊呂大中日子王 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼〃┬柴野比売(淡海 柴野入杵の娘) ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─迦具漏比売命 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼⇒大帯日子天皇[12]の妃↓* 倭建命┬布多遅比売(近淡海 安国造の祖 意富多牟和気の娘) ┼┼┼└─稲依別王(祖:犬上君, 建部君) 倭建命┬大吉備建比売(吉備臣 建日子の妹 大吉備建比売) ┼┼┼└─建貝児王(祖:讃岐綾君, 伊勢之別, 登袁之別, 麻佐首, 宮首別) 倭建命┬玖玖麻毛理比売@山代 ┼┼┼└─足鏡別王(祖:鎌倉之別,小津の石代之別, 漁田之別) 倭建命┬n.a. ┼┼┼└─息長田別王┬n,a, ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─杙俣長日子王 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼〃┬n,a, ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─飯野真黒比売命 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─息長真若中比売 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─弟比売 ↑* [12]代天皇との婚姻関係: ┼┼┬訶具漏比売(倭建命の曽孫 須売伊呂大中日子王の娘) ┼┼└─大枝王/大江王┬(庶妹)銀王 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ ├─大名方王 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼ └─大中比売命([14]天皇の妃)↓** 突然にして、中央から遠く離れた長門と筑前に造営した宮が登場してくる。御陵もその地という訳ではないから、出発地に即位儀式を行った宮があった筈で、行宮と解釈するしかないが、ここは今迄とは意趣が違うので注意せよと言っているようなもの。つまり、国内統治の話ではなく、中国〜朝鮮半島〜倭国という視点で考えヨということ。 換言すれば、奈良盆地内の伝統的皇位継承の覇権争いは一部の貴族内での揉め事と化し、軍事的采配を揮える統率者に権力が集中したということになろう。それなくしては軍事的勝利をあげられないのは自明な訳で。 中央に残ったのは謂わば正妃勢力であり、奈良盆地内の実権派に支えられていたことになろう。そこだけ見れば強固な政権だが、海外派兵を一手に牛耳ってきた大本営の宮から撤収してくる軍事勢力とまともに戦える訳がない。半島への出征は、海軍指揮官統治につながったとも言えそう。 穴門とは関門海峡のことだろうから、長門 豊浦宮の地は下関長府宮ノ内の忌宮神社とされている。この神社では、「数方庭祭」と呼ばれる、大勢の人々が白幟旗の竹竿を持って回る歓喜の戦勝祭が伝わっている。新羅の塵輪の首を埋葬し覆った石の周囲で行われる儀式とのこと。(数方庭は、日本の視点では奇祭に類するが、「魏書」東夷伝馬韓の"蘇塗"の流れを汲むだけの話。おそらく、済州島から朝鮮半島南部や北部九州から広がった風習。鳥トーテム信仰時代だから竿の天辺には丸鶏の象徴としての鶏羽が飾られていた筈。尚、朝鮮の史書は12世紀編纂であり、しかも旧版を消滅させて新版を作成した書だから、参考にしない方が無難。中国の史書の記載からすれば、中華帝国支配地域以外は、百済を除いた朝鮮半島を倭国の支配下と認めていたことになる。) 筑紫訶志比宮とは香椎宮だが、現存する社殿は1801年に福岡藩主が古宮近くに造営。 御廟信仰もさることながら、大宰府の官人にとっては、潟からの出兵を控えたシーンに想いを寄せる心情が強かったようだ。 ▼冬十一月、太宰の官人等、香椎の廟を拝み奉り、訖へて退帰れる時、馬を香椎の浦に駐めて、各懐おもひを述べてよめる歌[「万葉集」巻六#957-959] 帥大伴の卿の歌一首 いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さへ濡れて 朝菜摘みてむ 大弐小野老朝臣が歌一首 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな 豊前守宇努首男人歌一首 往き還り 常に吾が見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁もなし 宮ではあるものの、奏琴中の天皇がコト切れた地。皇后と建内宿祢が朝鮮出兵のために造営した本拠地イメージの方が強い。熊曽撃退のために来たのであり、大海に興味なかった天皇とは違い、神がかりして西方の国へ進撃すべしと語る皇后の姿勢の対比が鮮やかに記載されている。 ↓和白潟 ■│┼┼┼┼┼┼┼│↑《JR門司港駅方面》 ■○唐の原駅┼┼┼│┼┼┼┼┼┼▲ ←立端山/二神山 ■────────────── ←唐原川 ■│┼┼┼┼┼┼┼│ ■│┼┼┼┼┼┼┼○九産大前駅 ■○香椎花園前駅┼│ ■│┼┼┼┼┼┼┼│ ■│┼┼┼┼┼┼┼│ ■────────────── ←浜男川 ■○西鉄香椎駅┼┼○香椎駅┐┼┼⛩ ←香椎宮 ■──────────────┼▲ ←香椎川 城ノ越山 ■│┼┼┼┼┼┼┼│┼┼┼└○香椎神宮駅─ ■○香椎宮前駅┼┼│ ■│┼┼┼┼┼┼┼│ ■│┼┼┼┼┼┼┼○千早駅 ■│┼┼┼┼┼┼┼│↓《JR博多駅方面》 ↑香椎潟 天皇の系譜記載はあるものの、簡素であり、存在感に乏しい。倭建命の系譜に連なるという以上ではなさそう。 天皇┬大中津比売命(大江王の娘)↑** ┼┼├─香坂王 ┼┼└─忍熊王 天皇┬息長帯比売命神功皇后 ┼┼└─大鞆和気命/品陀和気命 ⇒皇位継承 《古市古墳群》 ┼┼┼┼⊥┼┼┼┼┼┼┼││ ←津堂城山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○│ ←喜志駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ =河内多治比高鸇◇21 ┼⊥┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ ←島泉丸山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼││ ←市ノ山古墳 ─○──○────○──┤│ =河内之惠賀長枝陵◇19 ┼┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼││ ←仲津山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼┼○│ ←古室山古墳 道明寺駅 ┼┼┼┼⊥┼┼┼┼┼┼┼││ ←岡ミサンザイ古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ =河内惠賀之長江陵◇14☚ ┼┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼┼││ ←誉田御廟山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ =恵賀之裳伏岡◇15 ┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼┼┼││ ←墓山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼○─ ←古市駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼⊥││ ←軽里大塚古墳=白鳥陵◇ ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼⊥ ←高屋築山古墳 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼││┼┼┼=河内古市高屋村陵◇27 ┼↑高鷲駅 ┼┼┼┼↑藤井寺駅 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼↑土師ノ里駅 【上記記載陵】 河内惠賀之長江陵◇14 恵賀之裳伏岡◇15 河内之惠賀長枝陵◇19 河内多治比高鸇◇21 河内古市高屋村陵◇27 【鉄道駅名】[→] 一方、皇后だが、事跡について詳しいが、出自は直接的に記載されていない。不明なのではなく、下巻末尾近くになって、唐突に天之日矛(新羅国主の子)が登場し、赤玉伝説が語られるが、そのなかで明かされる。 祖は但馬国に渡来した新羅国王子で、土着一族に迎えられたが、その系譜の葛城一族に嫁いだ姫の娘だとされている。 天之日矛┬阿加流比売(赤玉@新羅国 阿具奴摩) ┼┼┼┼《無》…逃亡し祖国帰国@難波の比売碁曽社 天之日矛┬前津見(多遅摩俣尾の娘)@但馬国 ┼┼┼┼└─多遅摩母呂須玖 ┼┼┼┼┼┼〃┬n.a. ┼┼┼┼┼┼┼└─多遅摩斐泥 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼〃┬n.a. ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─多遅摩比那良岐 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼〃┬n.a. ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─多遅麻毛理 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─多遅摩比多訶 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─清日子┬当摩之灯 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼├─酢鹿之諸男 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─[妹]菅竈由良度美 ┼┼┼┼多遅摩比多訶┬[姪]由良度美 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─葛城之高額比売命 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼…息長帯比売命/[14]皇后の母 皇后は100歳で崩御。御陵は狹城楯列陵。 天皇の御陵は、河内であるから古市古墳群だが、皇后は平城京北の佐紀古墳群。[→] ┼┼↓秋篠川 ┼┼│┼┼│┼┼┼┼┼┼┼│○ ←JR平城山駅 ┼┼│⊥┌┘┼┼┼┼┼┼┼││ ←[北西側]☚ ┼○──┘┼┼┼⊥┼┼┼┼││ ←[北側] ┼│├─┼┼┼┼┼┼⊥┼┼││ ←[東側]a ┼││┼⊥⊥⊥┼┼┼■┼┼││ ←[西側]a,b,c ┼││┼⊥┼┼┼┼┼■⊥⊥││ ←[西側]d [東側]b,c ┼││┼┼┼┼┼┼⊥┼┼┼│└ ←[南側]a ┼○─┐┼┼┼┼┼⊥┼┼┼│┼ ←[南側]b ┼││└┐┼┼┼平城京跡┼↑R24 ┼↑平城駅 大和西大寺駅 ----北西側 --- 五社神古墳 =狹城楯列陵[14]皇后☚ --- 北側 --- 塩塚古墳 --- 西側 --- a 佐紀石塚山古墳 =沙紀之多他那美陵◇13 b 佐紀陵山古墳 =沙紀之寺間陵[11]天皇妃日葉酢媛命 c 佐紀瓢箪山古墳 d 佐紀高塚古墳 --- 東側 --- a ヒシアゲ古墳 =[16]皇后磐之媛陵 b 小那辺古墳 c 宇和奈辺古墳 --- 南側 --- a 市庭古墳◇51 b 神明野古墳 --- 遠東方 --- 奈保山南陵◇45 --- 遠南方孤立(大和西大寺駅南の尼ケ辻駅) --- 宝来山古墳 =菅原之御立野中陵◇11 [→] 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |