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■■■ 古代の都 [2018.12.7] ■■■
[番外-7] 墓制と「古事記」
(2:"土偶")

土偶の意味について、納得のいく説明はできかねるのが現実。
 →「土偶の意味を探る」(2013.8.28)
 →「一寸、土偶を考えてみた」(2015.11.2)

様々な説があるが、多くの場合、反証を細かく記載していないから、そこだけ読めば納得感が得られるように書かれてはいる訳だが。
そうなると、色々なコンセプトが混在しており、一様ではない、と見なすのも手。そうなると仕訳する必要に迫られる。これはこれで矢鱈に難しそう。そもそも感覚的にそのようには見えないから無駄骨に終わりそうだ。

一番分かり易いのは、世界共通的に存在する「地母神」信仰の母性人形と見る説。"間違い無く男性偶像"と見なせるものが無いことが大きいし、故意に像をバラバラにしたように見えるから、イカニモ感を誘う。(古代ユーラシアからすれば、当然視されて当然であろう。・・・"多様化牧畜+穀物農耕"のメソポタミア ハラフ文化@B.C.6000-5100年の特徴的な出土品が彩色された女性裸体フォルムを強調した土偶。豊饒多産の母神と解釈されている。インダス先文化バルチスタン メヘルガル遺跡@B.C.5500-2600年からも、女性土偶が出土。)
もちろん、反証あり。しかし、他の有力な代替説もない以上、この辺りで妥協しておこうとせざるを得まい。"不明"では、時代観が全く湧かないからである。

だが、「古事記」の感覚で眺めると、土偶の意味が読めて来る。不思議な現象という訳ではないし、秘密が隠されているといったものではない。もともと、そのように書かれた叙事詩だからだ。古代人が何を思っていそうか、なんとなく伝わってくるといったところ。
と言っても、個人的センスを土台にした想像の産物以上ではないが。

まず、「地母神」説だが、これは温帯モンスーン地帯で狩猟主体の定住生活を送っている社会では成り立つまい。「地母神」的記載箇所があるが、縄文時代しか登場しない土偶には当てはまりそうにないからだ。

高天原を追放された建速須佐之男命が空腹を覚え、大宜都比売神に食物を求めると、鼻・口・尻から食物を取り出したため怒って殺す話が由縁。紛れもなき「地母神」のお話。体の各所から蚕と五穀が生じる訳で、神話の基本パターンを踏襲している。しかし、縄文土器が生まれたばかりの時に蚕と五穀が登場ということはおよそ有りえまい。
(有田遺跡@福岡 早良から絹片が出土しているが、大陸では春秋戦国時代に当たり、現時点では華北と長江流域しか生産されていなかったようで、品質から見て日本養蚕品と考えられている。そうなると、かなり古い時代に長江地域から養蚕伝来ということになる。)
確かに、土偶をバラバラにはしているものの、信仰上の祭器用具だとすれば、「古事記」に合わせた部位を用いる筈であり、テキトーに壊して部分を持ち去るなどありえない。
しかも、ベンガラで着色している土偶もある。いかにも死者への副葬品臭紛々。そのような地母神などおよそ考えにくい。

さて、そうなると、どんな説を選ぶか。えらく難しくなる。

葬送(告別)あるいは埋葬に係っていそうと考えれば、「古事記」の伊邪那岐命と伊邪那美命の神生みの最終段階で死に至るシーンが思い浮かぶ。
上記の話の神が生まれる箇所だ。

 鳥之石楠船~/天鳥船
 大宜都比賣神

そして、伊邪那美命の死亡原因となった火傷を負わせる神が生まれる。
 火之夜藝速男~/火之R毘古~/火之迦具土~
伊邪那美命は、病で臥せ
 【吐】金山毘古神+金山毘賣神
 【便】邇夜須毘古~+邇夜須毘賣~
 【尿】彌都波能賣~+和久産巣日~(⇒[子]豊受毘賣)


黄泉つ国の伊邪那美命の遺体には八柱の雷[="厳つ霊/蛇"]神が居たとされる。現代の意味は"神鳴り"であるが、もともとは恐ろしいモノを指したようである。死亡原因である迦具土~が十拳の剣/天之尾羽張/伊都之尾羽張で斬られた成った山津見~と対応するようだ。
 【頭】大雷-------正鹿山津見~
 【胸】火雷-------淤縢山津見~
 【腹】K雷-------奧山津見~
 【陰】拆雷-------闇山津見~
 【左手】若雷-----志藝山津見~
 【右手】土雷-----羽山津見~
 【左足】鳴雷-----原山津見~
 【右足】伏雷-----戸山津見~


「古事記」のトーンでは、あらゆるものを生んだ伊邪那美命であるにもかかわらず、人々の命をたちどころに奪うような恐ろしい神でもある。
そして、見てはいけない神だ。

初期の土偶には、女性である特徴らしき単純な形状で顔が無いという点から、伊邪那美命こと、黄泉津大神/道敷大神/道反大神/塞坐黄泉戸大神の象徴の可能性もあろう。時に、土偶の後頭部に蛇が載っていたりするようだが、それは山の神との対応と見ることもできるかも。
つまり、土偶を8ツ裂にして、遺骸の上に載せるという埋葬儀式があってもおかしくなさそうと考える訳だ。

しかし、顔無しは初期だけ。ほとんどは目立つ顔面が造られており、仮面で顔を隠すならともかく、デフォルメ極地の土偶は顔で自己主張しているとしか思えず、黄泉津大神的ではない。

だが、そんな土偶にヒントが見てとれる。雪中"遮光器"との呼称がついているタイプだ。
この土偶、止むを得ず、その名前にしたのだろうが、どう見ても仮面を被っている造りではない。全体を眺めると、目や手足の形から考えると、その姿が一番似ているのは蛙である。
その蛙が「古事記」に登場してくる。
大国主神の国作りで少名毘古那神が渡来するが、名がわからず、尽く天の下の事を知れる神 多邇具久(=谷蟆/たにぐぐ)に尋ねる。
国土の隅々まで知っている神である。

問題は、そのヒキガエルが、土偶とどう繋がるかだ。土偶とはあくまでも"人形"であり、キメラを嫌う日本の風土からすれば蛙人間像などありえない。しかし、土偶と呼ばない動物像は珍しいものではない。呼称が動物形土製品(実質的に動物偶)とされてしまい、別扱いされているだけ。こちらは、土偶と違って弥生時代遺跡からも出土。
かなりの種類に上っている。・・・
 陸棲動物…猪、犬、熊、猿、土竜、蛇、鳥
 海棲動物…亀、海豹に見える動物
 貝
 昆虫…源五郎、蟷螂、蝉

特別な感情移入があるようで、一番多い猪にしても紋様入りのことが多い。デフォルメされており、本来は違う種かも知れぬモノもある。どういうことか、狩猟対象として重要だった鹿の出土品は無い。蛙もどうなっているのかよくわからないが、鹿と同じ扱いかも。
つまり、"遮光器"土偶は、人形に見えるが、デフォルメされた谷蟆像という可能性もあるということ。
無理な論議に見えるが、谷蟆は特別なのである。
国土の隅々まで知っているとされ、一目置かれた存在だったのだ。
惑へる情を反かへさしむる歌一首、また序[「万葉集」巻五#800]
 ・・・地ならば 大王います
 この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み
 蟾蜍の さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ
 かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか


そこで、ピンとくるのは、そのような人の存在。日常生活での融通性を欠くものの、桁違いの記憶能力と独自性の高い分類感覚があり、分野は限られるものの、超人的才能を発揮する人がいる。
完全な定住生活に入り、一般的な生活能力を欠く人でも集落で生きていけるようになると、このような並外れた分析力を持つ物知りの天才に教えられることも多かったろう。暴力を嫌い物静かな環境を好む体質だから、おそらく、皆に愛された人材でもあったろうし。
しかし、当然ながら、そのような人材が定常的に得られる訳もないから、遮光器土偶が続くことは無い。
ただ、タニググ信仰だけは残ったのである。
(現時点でも人形供養のメッカとされている)淡嶋神社/加太大国主命社@紀州の遷徒殿では蟇(黒一色の"瓦蟇")が授与されていたが、これなどその時代を彷彿させるものがあろう。

そんな風に考えると、「古事記」国生み冒頭のシーンが俄然気になってくる。
蛭子が産まれたので流してしまうと記載されているからだ。
そこには、性行為に関するタブーがある訳だが、同時には死産が多かったことを意味していそう。古代だから致し方ないと言えなくもないが、近親相姦を是としていたから、流産や死産が多かった可能性は捨てきれまい。どう見ても、極く自然な性習慣だったのは間違いないし。
そう考えると、谷蟆が紹介した案山子とは、生まれつき片足が不自由な人を意味している気にもなってくる。

・・・これだけでは、思い付きでしかない。この手の話なら、おそらくいくらでも作れるだろう。

土偶の展開に合わせて、これをシナリオ化する必要がある。

現実の出土品からすると、その流れは概略こんな具合らしい。
 【東北系】十字形板状⇒三角形板状⇒屈折⇒遮光器
 【関東甲信越系】出尻⇒円筒形⇒ハート形⇒山形(写実的)⇒木菟

前述したように、はっきりしているのは、どれも"人形"ではあるものの、登場した時は平板であり、顔が無かったという点。畏れ多くて、顔など出せぬということか、顔が無いのが本来の神や霊魂の概念だったのか、どちらかはわからぬが。
(平板土偶は佩用護符として、さらに楕円あるいは長方形の土版となったと見られている。蛇的な渦巻き文様が付くことが多い。)
平板土偶を持ち歩くとすれば、狩に野に出向く時であろうか。「古事記」の神生みは、現代人から見れば名前一覧表でさっぱり感興が湧かぬが、叙事詩であるから古代人にはピンとくるものがあった筈。そう考えると、該当するのは女神の"野ツ霊/蛇[チ]"かも知れぬ。
 次生 野~ 名 鹿屋野比賣~ 亦名謂 野椎~

ともあれ、度風には顔が付けられる。信仰的には大きな飛躍。しかし、その登場した顔たるや、仮面を被っているものや、恐ろしくデフォルメされた姿。生々しい顔など一つもない。動物像とは違い、具象的な塑像造りはタブーだったのは間違いない。
(土製仮面も出土している。祭祀の際に着用する習慣があったようだ。)
そして、全身像化とほぼ同時に、像は自立するように下方安定性重視設計に。中空化されたのは、このためで、その結果壊れ易い箇所が生まれたと見るのが自然だ。
動物形土製品では、安定性が重視された形状になっており、自立が難しそうな形状の場合は穴が開けてあるから、そこに棒を挿して設置したと見てよいだろう。
このことは、土偶や動物形土製品は葬送/埋葬儀式に至る前から、表標として使われていたことを意味していそう。そうだとすれば、重要人物のアイデンティティと言ってもよいだろう。壊れたら捨てるなどありえない訳で、補修してしかるべき場所に安置した筈。
死亡すれば、動きださないように包まれた遺骸と共に、霊を其の地に封じ込めるために副葬される。故人の力が強かったので土偶だけでは心配なら、頭に甕をかぶせるなど、他の手も併用されることになろう。
殯が終わり、正式な埋葬までに、土偶は壊れることも多かったろう。そうなると、親族が祭祀でその破片を頂戴するということもあり得よう。もちろん、懐妊とは祖先の誰かの霊が子宮にお戻りになるとの信仰が存在していたからならではの行為。

このストーリーだと、葬送/埋葬儀式において、土偶が不可欠ということではなかろう。頂戴するのは、骨の欠片でもよいからだ。
儀式で重要なのは、あくまでも宴会である。

黄泉津大神たる伊邪那美命が、そこから現世に戻れない理由は「共食」でその"国"に所属してしまったから。
つまり、儀式では、死霊にはあちら側で宴を繰り広げてもらえるように十分な料理を提供し、生きている人々はこちら側で宴で大騒ぎすることになる。しかし、両者は繋がっていないと困る訳で、全体としては死霊との特別な共食行為ということになる。
死者と生きる人々とは同じ共同体に属すとの観念ができあがっていると考える訳だ。

言うまでもないが、赤ん坊を負ぶったり、抱いたりする姿の土偶も存在する。黄泉津大神がそんなことをする訳がない。

【付言】
何度も喚起して申し訳ないが、「古事記」を読むのに、「日本書紀」を持ち出しては絶対に駄目である。
前者は、くどいが、神権政治の叙事詩であり、それが忘れ去られ解体されそうだから文書にして残そうと苦闘した結晶。過去の記憶を呼び覚まそうとした書籍。従って、伝承をできる限りママ伝えようと努力しているに違いない。
後者は、律令国家体制をさらに強化し、国家を一枚岩に仕上げていくために、人々の頭に残っている記憶を再整理している書籍。将来を見据えて、過去の事跡を編年体に再構成した公式文書。ビジョンに沿って整理されている筈で、だからそ価値がある。従って、ストーリーに乗らない話や、いかにも冗長な部分は切り捨てたに違いないし、相互矛盾部分はできる限り揃えた編集がなされることになる。
両者の歴史観は全く異なる訳で、類似情報だから参考になるという代物ではない。


   表紙>
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