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■■■ 「古事記」解釈 [2021.1.5] ■■■
[4] 中華帝国が倭国=ヰ国を認定

「風土記」で阿波国が取り上げている部分を見た後で、突然、話は飛ぶことになるが、中華帝国の正史での日本"國"の記載について見ておきたい。
但し、唐より前。(後漢書倭伝/魏志倭人伝、晋書倭人伝、宋書倭国伝、南斉書倭国伝、梁書倭国伝、隋書倭国伝、北史倭国伝、南史倭国伝)

ご存じのように、これらの史書では、例外なく、"國"の名称は倭である。

「魏志倭人伝」での"倭"の扱いはこんな感じ。再掲しておこう。📖"倭"考
  倭人="魏の時代"の日本列島の倭種
  邪馬壱国=倭種最大の国"やまと"
  女王国=200年頃の倭種30ヶ国の連合国の俗称
  倭国=大陸東端の東夷に分類される列島国

甲骨文や金文に「」はあるが、「倭」は見つかっていないようだ。さらに、"倭人"以外の用法は無いらしいから、"委"の人ということで、わざわざ作った文字と考えるしかあるまい。(表示字体は白川フォントの篆文。)
従って、小生の結論は、"このことは、ワは自称だったことを意味する。"

ここで、ふと、阿波国奈佐の浦の呼称の頭に付く一文字名称を思い出してしまう。📖地方「風土記」には阿波国関連話

"和"奈佐だ。その地から出雲へと船で渡来したと見て間違いなさそうな神名では、"委"奈佐と記載されている。もともとの表記は"委"だった可能性を窺わせる書き方だ。そして、"委"の音は常識的には"イ/ヰ"である。
  委/=禾+女・・・イ/ヰ ゆだねる/まかせる

ところが、その文字を用いた中華帝国新造文字の発音は突然に変わる。
  倭・・・ワ ヰ(南方) ウェイ(北方)

これを考えれば、委⇒倭⇒和という変遷があったと見なすのが自然だろう。

中華帝国では、日本列島の無文字国家をイ/ヰと呼んだが、それを文字化した倭にすると、ワ国と読むこともあったことになる。
"委"奈佐⇒"和"奈佐ということ。大倭/ダイヰ⇒大和/ダイワ⇒ヤマト(山都)の流れを想起させるものとなっている。

状況証拠でしかないが、阿波国は中華帝国から、倭国と認定されたと考えるとの見方をするしかなかろう。阿波国が日本列島各国の代表となるとはとうてい思えないという常識的考え方とは、両立しえないが。
マ、素人の場合、こんな無理筋のトンデモ推論もできるのが古代史の面白さですナ、ということで有耶無耶にするのが習わしだが、古代史フェチではない人間からするとそれは極めて気分悪し。
小生は、太安万侶は、このことを指摘しているに違いないと思うから尚更。

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