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■■■ 「古事記」解釈 [2021.2.16] ■■■
[46] 神宮祭祀の大胆な転換
伊勢神宮斎宮制度は7世紀(天武天皇代)成立とされている。素人には、制度化にどのような意義があるのかわからぬが、そこで一線を引くことになっているようだ。(天皇即位毎に未婚の内親王を占で定め、初斎宮で精進潔斎した上で、斎宮で本格的に潔斎を済ませ、神宮の居宮たる斎宮へと群行して、神宮での奉祀役たる斎宮/斎内親王の任にあたる。)

「古事記」では、[10]代の皇女の奉祀が最初の記載であり、古くから斎宮が存在したことがわかるが、その割に、触れている箇所は限定的である。しかし、関心が薄いと解釈すべきではなさそうだ。
天神の"神宮"は伊勢と石上しか登場していないからである。つまり、天皇が半直接的に奉祀する特別な存在であることを指摘していることになるからだ。
@[10]代記載部分
 皇女 豊鉏比賣命 拝祭伊勢大神宮
@[11]代記載部分
 天皇 坐鳥取之河上宮 令作横刀壹仟口是奉納石上~宮
 皇女 倭比売命 拝祭伊勢大神宮
@[12]代記載部分
 太子 倭建命 參入伊勢大御神宮拝祭朝廷
@[26]代記載部分
 皇女 佐佐宜郎女 拝伊勢神宮

こんなことが大いに気になるのは、倭建命が倭比売命から、劔を渡されるからでもある。衣類ならわかるが、宝剣はもともとは石上~宮に奉納する慣習ができあがっていたように見えるのに、突然の展開。(石上~宮には刀剣保管倉庫的風貌の校倉造り的社殿にするとの伝承がありそう。伊勢神宮と同じ神明造りだが。)
伊勢神宮が天照大御神奉祀のお社ということなら、ご神体は鏡ということになりそうに思うが、どうもそういうことでもなさそうなのである。
ともあれ、天照大御神が指定したレガリアを、宮に置かないのだから、奇妙な姿勢と言わざるをえない。

そうなると、解釈は難しいが、大物主や師木県主といった土着の女王を皇后にしていた時代からの決別を意味していそう。婚姻関係から見て、祭祀女王に仕える男王というイメージも浮かんだりしかねず、王権と神権が相互浸透して曖昧な状態だったのを、峻別に踏み切ったと見るのが、一番素直。倭比売命-倭建命の関係が、そう想起させるように編纂されているということ。
つまり、古代の女系王国(南島母系制)の名残として、皇女を天照大御神の奉祀役にしたということ。
だからこそ、後世のことだが、平安京に於ける磯城鴨を祖とする"天孫系"賀茂一族の祖神を祀る社にも、斎王を送り出すことになったとは言えまいか。(磯城こそ、皇女の精進潔斎の地としてふさわしい。)📖大斎院@今昔物語集の由来

「古事記」を叙事詩として仕上げようとする太安万侶にとっては、これはことの他重要だったと言うこともできる。

[10〜12]代により、"言葉の威力"が過去のものにされてしまったとも言えるからだ。"荒ぶる神等を言向"とは言うものの、その言葉は儀礼的になってしまい、全面的な武力の時代に入ってしまったことになろう。
一言主神信仰の実体は霧消し、神の名称だけが残された訳だ。結局のところ、それを引き継ぐことになったのは、真言呪術的な修験道である。📖葛木川古瀬こそ大和土着族の地

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