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■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.6] ■■■
[64] 太安万侶流の歌分類
"仮名序"の第4パラグラフを取り上げよう。・・・
  ❶"やまとうた"とは
  ❷やまとうたの"みなもと"📖歌のみなもとは古事記
  ❸うたの"ちちはは"📖大雀命のどの歌を重視するか
  ❹"うたのさま"むつ
  ❺"はじめ"をおもふ
  ❻"かきのもとのひとまろ"と"やまのべのあかひと"
  ❼ちかきよに "そのな きこえたるひと"
  ❽なづけて"こきむわかしふ"
  ❾ときうつりとも うたのもじあるをや


そもそも、歌の様、六つなり。唐の歌にも、かくぞあるべき。
その六くさの一つには、諷
[そへ]歌。
大雀帝を、諷奉る歌、

  難波津に 咲くやこの花 冬籠り
   今を春べと 咲くやこの花

と言へるなるべし。

ここで言うのは、「詩経」六義だが、当時、漢詩を読む人にとっては、ほぼ常識。小生などは非常識人に当たる訳だ。Wikiベースではこのように。・・・
---内容での3体裁分類---
(諷/国風/風騒)
  …諸国の風俗・習慣や風潮をうたった民謡:160篇

(政治賛美)
  …貴族や朝廷の公事・宴席などで奏した音楽の歌詞:小雅74篇 大雅31篇

(天子賛美)
  …朝廷の祭祀に用いた廟歌の歌詞:40

---修辞上の3表現分類---
(直接表現)
  …その事柄についての心情を素直な気持ちで表す。

(比喩表現)
  …詠おうとする対象の類似のものを取り上げて喩える。

(暗喩表現)
  …恋愛や風刺の内容を引き出す導入部として自然物などを詠う。


これを無理に和歌に当て嵌めたのが"仮名序"の六種風体。
紀淑望:"真名序"では、"和歌有六義。一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。"と。
つまり、"仮名序"はその翻訳語となるが、実際はピタリではない。・・・
そへ[諷]歌≒風
  …他の事にこと寄せて思いを詠む歌。

かぞへ[数]歌≒賦
  …(感じたことをそのまま表した歌、物の名を詠み込んだ歌とも。[語義不明])

なずらへ[擬]歌≒比
  …物事になぞらえて詠んだ歌。

たとへ[喩]歌≒興
  …物に喩えて詠んだ歌。

ただごと[只事]歌≒雅
  …物に喩えないで、ありのママ(正言)に詠んだ歌。

いはひ[祝]歌≒頌
  …御代をことほぎ、人の長寿を祝福する、祝儀、宴席の"祝い歌(ほぎ歌)"。


・・・概念思考がことのほか苦手なようだ。と言うか、中華帝国のように評価の仕組みを整えよという要請に応えるにはこれしかなかったということであろう。

コレ、実に厄介な課題と言えよう。
文字導入がなかなか須々万なった風土だからだ。このことは、官僚によるヒエラルキー的整理や、形式統一・規格化を嫌ってきたことを意味する訳で。
突然にして、一気に規格化を進めて、評価軸をも決めようと言うのだから、そう簡単に頭がついていける訳がなかろう。

例えば、久米部歌謡は"たとえ歌"で"たとへ歌"ということになるが、そのような分類にはたしてどれだけの意味があるかだ。

「万葉集」も「古事記」もそこらはよくわかって編纂されているが、"仮名序"はその精神を無視して走っていると言ってよいだろう。

繰り返しになるが、「万葉集」冒頭歌は"雑歌"である。用語的には、その他諸々だが、これが最初であり、諸々以外の特別な歌が"その他"に当たる。"雑"とは、分類してどういう意味があるの?、という考え方とも言えよう。叙事詩の歌とはそういうものでは。
《万葉集での分類》
【内容】雑歌(宮廷歌・旅歌・自然/四季歌) 相聞歌(恋歌) 挽歌(哀悼歌) 東歌
【様式】寄物陳思 正述心緒 詠物歌 譬喩歌
《「古今和歌集」の構成》
<春夏秋冬><賀・羈旅 物名 恋 哀傷><雑歌 雑体><大歌所御歌>


久米部歌謡の"撃ちてし止まむ"にしても、軍人賛歌でありながら天皇賛歌でもある。宴席の祝い歌だが、比喩や暗喩が駆使されている。言うまでもなく、勝利の感興の単純な歌とも言える。同時に、それは一般的な歌でもなく、入墨来目族の風習歌と考えるのが自然だ。分類など、どうにでもなる。
「万葉集」の編纂者はその点に関して鋭い目線で眺めている。第一級の歌とは、"雑歌"なのである。
標準化された規制の枠内にとどまっておらず、儀式に使われても、それを飛び越えて人々に感興を与えることをわかっているからだ。

ただ、これは久米部が伝承する歌であり、一般分類外で、習う対象にならないが。

歌謡という点では、「古事記」が明らかに力を入れている話をあげておくべきか。
[19]代男淺津間若子宿禰命/允恭天皇代の、木梨之軽王と美しい軽大郎女/衣通郎女の、禁忌である同母恋愛関係譚のこと。

皇太子の御歌なので、"仮名序"では云々できないのかも知れないが、太安万侶は全く異なる観点での分類名称を提示しており、極めて印象的。

後世の名称から言えば、これは"歌物語"であり、貴族に愛され続けたので収録されたのだろう。名付ければ「軽物語」とでもなろう。


あしひきの 山田を作り 山高み
 下樋を走せ 下賜ひに
吾が問ふ妹を 下泣きに
吾が泣く萎を 今夜こそは 安く肌触れ

此者。【志良宜歌】也。…後[尻]上[挙]歌
禁忌ということで心のうちを隠しておいたが、妹が打ち明けてくれ、一気に流れが加速し、激流へと。

笹葉に 打つや霰の たしだしに
率寝てむ後は 人は離ゆとも

此者。【夷振之上歌】也
もう世間のことなどかまわぬ。激情にまかせよう。

大前 小前宿祢が 金陰
かく寄り来ね 雨たち止めむ


宮人の 足結の小鈴 落ちにぎと
宮人響む 里人も斎め

此歌者。【宮人振】也。
宮人が里人に畏怖感を与えたのであろう。

天飛む 軽の乙女 甚泣かば
人知りぬべし 波佐の山の
鳩の 下泣きに泣く


天飛む 軽乙女 したたにも
侍り寝て通れ 軽乙女ども


天飛ぶ 烏も使そ 鶴が鳴の
聞えむ時は 吾が名問はさね

此三歌者。【天田振】也。
軽の地の独特の言い回しがあるのだろう。

大君を 島に放らば 船余り
い帰りこむぞ 吾が畳斎め
殊をこそ畳と云はめ 吾が妻は斎め

此歌者。【夷振之片下】也。
雅の感覚を排除した表現であろう。

夏草の あひねの浜の 磯貝に
足踏ますな 明かして通れ


君が行き け長くなりぬ 山統の
迎へを行かむ 待つには待たじ


隠国の 泊瀬の山の
大峰には 幡張り立て
さ小峰には 幡張り立て
大峰にし
汝がさだめる 思ひ妻あはれ
槻弓の 伏る伏りも
梓弓 立てり立てりも
後も取り見る 思ひ妻あはれ


隠国の 泊瀬の川の
上つ瀬に 斎杙を打ち
下つ織に真杙を打ち
斎杙には 鏡を掛け
真杙には 真玉を掛け
真玉なす 吾が思ふ妹
在りと 言はばこそに
家にも行かめ 国をも偲ばめ

如此歌。即共自死。故此二歌者。【讀歌】也。
哀悼の意を表現した読み方をして了となり、余韻が残るように謡うのだろう。

兄妹近親婚は、世界的に、神話では定番に近い。にもかかわらず、タブー化が進んだ理由はよくわからない。
同腹は禁忌で、異腹は推奨されたりする理由も、よくわからない。中華帝国のように、同宗族婚禁忌のような人為的なルールでもなさそうだし。兄妹が同じ家で生活する実態を考えると、恋仲になるのはありそうなことなのに。
大雀命/仁徳天皇にしても、庶妹の、八田若郎女と宇遅能若郎女との婚姻関係がある訳で。
天皇戀八田若郎女賜遣御歌
其歌曰

八田やたの 一本菅は
子持たず
立ちか荒れなむ
あたら菅原 言をこそ
菅原と言はめ あたら清し女

爾 八田若郎女答歌曰
八田の 一本菅は 独り居りとも
大君し 宜しと聞こさば 独り居りとも


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