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■■■ 「古事記」解釈 [2021.3.19] ■■■
[77]「記・紀」は神の概念が異なる
「古事記伝」の話をしたついで、といっては何だが、ほんの少しだけ触れておきたくなった。
「記」と「紀」では神のとらえ方(概念)が違っている点について。

「古事記伝」では、そこらが明らかとは言い難い。・・・そうと感じていないのか、そのような見方は間違いと断じているのか、はたまた、それを隠蔽したいのか、よくわからない。

と言うことで。・・・

「古事記伝」のある一行に、以下のような見立てが記載されている。研究者としての真摯な解析結果として。
  ○○大人ウシ神⇒○○ヌシ

それもあるか、と思っていたが、次第に疑問が湧いて来た。

"大人"とか"真人"、"仙人"は道教用語だからだ。「古事記」序文のトーンからすれば、そのような主旨で用いていると考えるのは至極妥当であるが、序文と本文はどう考えても全く異なると判定するなら、こんな見方ができる訳がない。
言うまでもないが、「古事記」では、天之御中主神とは、宇宙の創始神だが、この解釈からすれば、"天の御中の大人"ということになる。編纂を命じた天武天皇が"真人"ということでの対応を考えればそれもアリという気にならないでもないが、正直なところ納得感皆無。

ナンダカネ感が生まれる源泉は、小生は、「古事記」は公的史書たる「日本書紀」と一線を画すことに精力を費やしている書と見なしている点にある。"主神"もその観点で捉えることになるが、その場合、このような見方に意味があるのか、ということ。

よく知られているように、「日本書紀」では、付記(6種異伝)の一書中に"天御中主尊"が記載されているにすぎない。
常識的に考えれば、「紀」は以下のような流れを確定できれば十分との編纂方針。国史上、重要なのは、あくまでも国常立尊。そして、国家が尊崇する最高神はもちろん天照大御神。
ここさえはっきりさせることができれば必要十分。他の神々はほぼ自動的に"尊"称。
"国史"編纂の立ち場を考えると、極めて真正直な附称姿勢と言えよう。・・・
┼┼┼┼┼---"国史"の見方---
國常立┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼天御中主
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
伊奘諾┼┼┼┼┼┼┼┼┼高皇產靈
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
天照大神┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼
┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼栲幡千千姬
正哉吾勝勝速日天忍穗耳┼┼┼
┼┼└─────┬──────┘
┼┼┼┼天津彥彥火瓊瓊杵

一方、「古事記」では、全巻を通じて、称号は吟味されて使用されていそう。
従って、冒頭の"主神"は特別な用語と考えるべきだろう。単純に道教の"大人"と見なし、そこらを考えずに済ますのは考えもの。

"主神"と言えば、大國主神の称号と言うのが通り相場。

しかし、そこで驚かされるのは、大國主神系譜中の、出自事績一切不詳の神にもこの称号が付けられている点。大國主神、御諸山に祀られた大物主神、国譲りの事代主神とは影響力のレベルが全く違うから、単なる"神"と記載してもよさそうなものだが。
しかも、原始たる天之御中主神を除けば、天孫系神の称号には一切使われない。

これは、なにか考えがあってのことと思われる。大人という称号を使っているか否かという問題ではなく、なんらかの評価がなされており、その結果としての"主神"称号と見るべきではなかろうか。
📖古事記の聖数への拘り 📖宇都志國玉~の宮

もっとも、そうは思うのだが、答がみつからぬ。

ただ、説明など無くとも、すぐにわかる称号も場合もある。・・・

上巻冒頭では、天之御中主神を含めた別天神5柱と、それに続く神世七代に渡ってはすべて、○○神である。ところが、伊邪那岐神と妹の伊邪那美神まで来たところで、話が先に進むと、突如、称号が変更になる。
 天神諸以 詔 伊邪那岐 伊邪那美 二柱神
 修理固成是多陀用幣流之國
使命の詔が発せられたので、命に変更になったのである。
新たな称号に、成程感を覚える箇所だ。

そうなると、彦・姫の婚姻関係にしても、姫の称号が"命(=御言/御事)"にされているなら、なんらかの使命が与えられていることを意味していることになろう。
「紀」の場合、そのような配慮はなさそう。従って、"命"は滅多に使用されない。しかも、使うと言っても諸"尊"に埋没させたくないというに過ぎないのではなかろうか。

<天之御中主神
 :
<大國主神系譜 八柱+重要神一柱
【-】(多紀理毘売)[再掲:胸形]=大黒主神妻[4]
【1】阿遅高日子根アヂスキタカヒコネ神/迦毛カモ大神┘↓
【2】高比売タカヒメ/下光比売シタデルヒメ=天若日子妻
【3】神屋楯比売カムヤタテヒメ=大黒主神妻[5]
◆◆事代コトシロヌシ/八重言代主神
【4】八島牟遅ヤシマムヂ
【5】鳥取トトリ神←=大黒主神妻[6][1]
【6】鳥鳴海トリナルミ神←
【7】日名額田毘道男伊許知邇ヒナテルヌカタビチヲイコチニ=鳥鳴海神妻[2]
【8】国忍富クニオシトミ神←
-----------
<大黒主命系譜続 十七柱(一柱多い?)
【1】葦那陀迦アシナダカ神/八河江比売ヤガハエヒメ=国忍富神妻[3]
【2】速甕之多気佐波夜遅奴美ハヤミカノタケサハヤヂヌミ神←
【3】天之甕アメノミカヌシ
【4】前玉比売サキタマヒメ神←=速甕之神妻[4]
【5】甕主日子ミカヌシヒコ神←
【6】比那良志毘売ヒナラシヒメ神[淤加美神の娘]=甕主日子神妻[5]
【7】多比理岐志麻流美タヒリキシマルミ神←
【8】比比羅木之其花麻豆美ヒヒラギノソノハナマヅミ
【9】活玉前比売イクタマサキタマヒメ神←=多比理神妻[6]
【10】美呂浪ミロナミ神←
【11】敷山シキヤマヌシ
【12】青沼馬沼押比売アヲヌウマヌオシヒメ=美呂浪神妻[7]
【13】布忍富鳥鳴海ヌノオシトミトリナルミ神←
【14】若尽女ワカツクシメ=布忍富神妻[8]
【15】天日腹大科度美アメノヒバラノオホシナ神←
【16】遠津待根トホツマチネ神[天之狭霧神の娘]=大科度美神妻[9]
【17】遠津山岬多良斯トホツヤマサキタラシ神←
   ---註では、八島牟遅神からここまでで、17"世"---

さらに、御諸山の大物主大神が加わる。

「紀」的発想だと、国の歴史の骨格に係わる神については、おそらく"大神"とするというだけの単純な方針ではなかろうか。
「古事記」の場合は、"大神"称号の論理を感じさせるからだが。
①【伊邪那岐命】追往【伊邪那美神命】@黃泉國
  黃泉津大神
  道敷大神
  道反大神
  黃泉戶大神
 そして、最終的に、
  伊邪那伎大神
②【伊邪那伎大神】@筑紫日向橘小門阿波岐原
  墨江之三前大神
  伊都久三前大神=胸形之三柱神
  天照大御~…3貴神で唯一(月讀命 建速須佐之男命)
③【速須佐之男命】営田畔毀損 斎服殿暴虐
  ⇒【天照大御~】@天石屋
④【速須佐之男命】作須賀宮
  大神
⑤【大穴牟遅神(⇒葦原色許男)參向根堅州國
  大神=須佐能男命
⑥【天照大御~】@高天原
⑦【天鳥船神・建御雷神】降到出雲國@国譲り
  大~八重事代主~の父/大國主神
詔⇒【天宇受賣命】仕奉@降臨
  猿田毘古大神
⑨【火遠理命(天津日高御子 虚空津日高)大歎@海~宮
  大神(豐玉毘賣命父)=綿津見大神
⑩【神倭伊波礼毘古命】得布都御魂@入熊野
  高木大神
⑪【[10]御真木入日子印恵命】御皇女の役割
  伊勢大神…[妹]豐鉏比賣命 拜祭@宮]
⑫【[10]御真木入日子印恵命】祀大神
  大物主大神⇒意富美和之大神@御諸山
⑬【[11]伊久米伊理毘古伊佐知命】の御子への祟り
  出雲大神=葦原色許男大神
⑭【建内宿祢】神命⇒百済・新羅
  天照大神
  底筒男・中筒男・上筒男 三柱大神
  墨江大神
⑮【建内宿祢】皇太子と角鹿(敦賀)行宮へ
  伊奢沙和氣大神之命
  御食津大神⇒気比大神
⑯【新羅國主の子 天之日矛】居留但馬国
  伊豆志之八前大神
  (渡來物;玉津宝 振浪比礼 切浪比礼 振風比礼 切風比礼 奧津鏡 辺津鏡)
⑰【[21]大長谷若建命】登幸葛城山
  葛城之一言主大神/一言主大神

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