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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.11] ■■■
[100] 枕詞「蜻蛉島」考
「古事記」では国生みで、大倭豊秋津島として名称がはっきり記載されている。亦の名は天御虚空豊秋津根別。それは、豊葦原之千秋長五百秋之水穂国の中核の嶋でもある。
国生みの当初から、"秋津"嶋の"大倭"なのだ。📖枕詞「敷島の」考

もちろん、宮名にも"秋津"は登場してくる。
  [6]大倭帯日子国押人命/孝安天皇の宮📖葛城室之秋津嶋宮

ただ、秋津から蜻蛉への読み替えについて、太安万侶も気になったようで、とってつけたような由来譚を挿入している。・・・

大長谷若建命/雄略天皇"あきづ"への行幸で、
  卽蜻蛉來咋其𧉫而飛[訓:蜻蛉=阿岐豆]
三吉野の 小室岳に 鹿猪伏すと 誰そ 大前に白す やすみしし 吾が大王の 鹿猪待つと 胡坐に坐し 白妙の 袖着装束ふ 手脛に 虻齧きつき 其の虻を 蜻蛉[阿岐豆]早咋ひ 斯くの如
  何に負はむと
そらみつ[蘇良美都] 倭の国を 秋津洲[阿岐豆志麻]と云ふ

流石、太安万侶という印象を与える収録の仕方である。

これは、神(天皇)が御言葉を発して座すことで、地名が授けられるという形式で書かれた譚。されば、トンボとアブが居た場所の地名になるのが普通で、それが倭の国の名称の由来になるのなら、もう一段の説明が必要となるが、それは欠いている。
何故に、そんな飛躍ができるのか、勝手に想像せよ、ということ。

と言うことで、小生が想像するに、そこに介在するのは磯城島では。
磯城島の醸し出すイメージはあくまでも奈良盆地であるが、その風景は大倭の原初と被るからこそ、大八洲の象徴として機能するのである。
アブの地は宮地があった葛城地区のようで、南西高台から奈良盆地を眺めることになった筈、「磯城島」の原風景を高見から眺めることになる。
「磯城島」はあくまでも1天皇の宮の地の名称で、イメージ的にはわかるものの、大八洲国の比喩としては妥当とは言い難いものがあろう。しかし、その原風景をトンボイメージに重ね、秋津という言葉を生かすなら、なかなか乙なものというところでは。

誰でもが、日本の国をトンボと見なすことを知っているものの、納得できる理由ありと感じる人は希なのは、太安万侶の時代でも同じだったのだと思う。そこで、ローカルな地名譚の"あきづ"を収録することにしたと考えるのが自然。
つまり、"秋津"⇒"蜻蛉"比喩は、なかなかに優れていると書いたのである。

「万葉集」の【秋津島・蜻蛉島】収載歌は以下。
"言挙げ"については、別途とりあげることにしたい。

●[蜻嶋]… [「萬葉集」巻一#2(舒明天皇が香具山に登り国見歌)
《高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌》
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
●[蜻嶋]… [「萬葉集」巻十三#3250]
《相聞》
蜻蛉島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 しかれども 我れは言挙げす 天地の 神もはなはだ 我が思ふ 心知らずや 行く影の 月も経ゆけば 玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸の苦しき 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは 我が命の 生けらむ極み 恋ひつつも 我れは渡らむ まそ鏡 直目に君を 相見てばこそ 我が恋やまめ
●[秋津嶋]… [「萬葉集」巻十三#3333]
《挽歌》
大君の 命畏み 蜻蛉島 大和を過ぎて 大伴の 御津の浜辺ゆ 大船に 真楫しじ貫き 朝なぎに 水手の声しつつ 夕なぎに 楫の音しつつ 行きし君 いつ来まさむと 占置きて 斎ひわたるに たはことか 人の言ひつる 我が心 筑紫の山の 黄葉の 散りて過ぎぬと 君が直香を
●[蜻嶋]… [「萬葉集」巻十九#4254]
《向京路上依興預作侍宴應詔歌一首并短歌》
蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ
●[安吉豆之萬]… [「萬葉集」巻二十#4465]
《喩族歌一首并短歌 右縁淡海真人三船讒言出雲守大伴古慈斐宿祢解任 是以家持作此歌也 以前歌六首六月十七日大伴宿祢家持作》
久方の 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし 皇祖の 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますらたけをを 先に立て 靫取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を すめらへに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを 惜しき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる 大夫の伴

ちなみに、赤トンボは、秋になると突然現れてくる。谷地に群がる数は半端ないし、朝は穂先という穂先にすべて止まって壮観である。生殖行動も目立つし、収穫を寿ぐ御遣いイメージが生まれて当然。それ以外のトンボは、虫喰い行為がよく見られ、「古事記」のトンボ譚的な現象は驚くような話ではない。
従って、トンボまでもが天皇を寿ぐという印象を与えるお話にはなっていないと思う。
トンボを眺めて感極まるのは、食虫現象ではなく、ヒトに平然と止まってくる点だろう。指を出せば、そこにやってくるのであるから、愛着を感じない訳もなく、じっくりその姿を眺めることも多かった筈。📖秋津遊び@2014年
そこで何を想うかであるが、やはり羽の見事さとなるのでは。その模様は、師木嶋の宮から眺める奈良盆地の見事さとなんらかわるところがない。太安万侶的な発想からすれば、師木嶋が大八洲の象徴という論理は納得できないが、秋津⇒蜻蛉と換えてた比喩的表現は結構素敵、と感じてもおかしくなかろう。

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