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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.19] ■■■
[108] 新羅百済征服譚の特殊性
[14]帶中日子天皇/仲哀天皇の崩御から大后息長帶日賣命/神功皇后の朝鮮半島への遠征へと繋がる話は解釈が極めて難しい。

読む限りは、半島南端の、新羅・百済の平伏を記載しているに過ぎない。一般に言われているような、半島全般に対する"三韓征伐"イメージは全く無いと言ってよいだろう。("三韓"とはもともと馬韓・弁韓・辰韓で、高句麗・百済・新羅になったのは唐代から。)
  📖新羅友好話挿入の意図不明 📖[附]朝鮮半島と周囲の国々

史書には、5世紀の倭五王時代、中華帝国に対して朝鮮半島南部支配権公認を要求したと記載されており、「古事記」の書き方だと、時代を画するような国家的進軍が行われた話とは思えない。

それはともかく、小生の眼から見るに、どうしてこのような話を取り上げるのか、どうにも腑に落ちないのだ。しかも、どこか一か所が疑問というのではなく、最初から最後迄、チグハグなのだ。
新羅を取り上げたこともあり、せっかくだから、この話をしっかり見ておこうという気になった。
9パートに分割し、それぞれ気になる点を書いてみた。


大后、その時神懸かり。
天皇と共に、熊曽国を撃つため筑紫国訶志比宮に滞在中のこと。
建内宿祢大臣が神命を請う。

神命を伺うのは当たり前。中華帝国では殷の時代から戦争に於ける占卜が行われていた訳で、倭国の場合、亀卜だけでなく、神が憑依した巫女のお告げに従う慣習もあったに過ぎまい。皇后がその役割を担うのが、姫彦制度とも言える訳で。
しかし、その場合、常識的には、薩摩・大隅に何時どの様に進軍すべきかを伺うのではないか。ところが、その話は全くされない。極めて異例。
 其大后息長帶日賣命者 當時歸神
 故天皇坐筑紫之訶志比宮 將撃熊曾國之時
 天皇 控御琴而 建内宿禰大臣 居於沙庭 請神之命



神命下る。
「西方に国が有り、そこには金銀から、種々の珍宝まである。天皇に行かせてあげよう。」

このストーリー展開には驚かされる。突然、財宝があるから奪えとの命に聞こえるからだ。
と言っても、典型的なステップの民の姿勢であり、こちらの頭がそれについていけないだけ。オアシスのソグドの民と遊牧民の交流の端緒はそこにある訳で。西域仏教はそれを交易や、施しという形に変えたのであろう。
儒教国家とは、これ以上に熾烈な奪い合いを行ない、徹底的な殲滅を図るのだが、常に、正当性の理屈をつけることが特徴と言えよう。そもそも、宗族第一主義である以上、奪われたら子々孫々までそのリベンジを果たす義務が生じてしまう。敵対血族は抹消させたいが、合理主義的に考えて踏み切らないこともあるだけで、儒教的な友好関係とは功利主義に基づいた合理的判断の結果でしかない。当たり前だが、表だってそんなことを正直に言う人がいる訳がない。
(外国人にとっても安全な素晴らしい街であるとジャーナリストが喧伝に忙しかった頃、外人に怪我でも負わせたら即刻消されかねない社会だからネとビジネスマンが言っているような状況を思い浮かべればよいだろう。善悪で見てはいけない。)
言うまでもなく、そういった"正義"の理屈を評価するのは官僚であり、最終的には天子。そこがこの宗教の本質と言ってもよかろう。(倭国は儒教を宗教として入れなかったし、革命や科挙を否定した来たから、ここらの風土の違いには気付きにくい。)
そんなことを考えると、ここは中華圏の儒教国家間覇権争いを揶揄している話ともとれる。
少なくとも、儒教道徳をあざ笑う話になっている。儒者にはとても読めたものではなかろう。
 於是大后歸~ 言教覺詔者:
 「西方有國金銀爲本
  目之炎耀種種珍寶多在其國
  吾今歸賜其國」



それを聞いた天皇は、偽物の神とみなし、弾琴を止めて黙ってしまう。
神は怒って、「この国を治めるな。」と。
建内宿祢の大臣が、奏琴はお続けになるようにと申し上げたので
再開したが、琴の音がすぐに聞こえなくなり
見ると崩御されていた。

理屈は天皇の言う通りでは。
大海を越えると財宝ありなら、それは中華帝国領と考えるのが普通だからだ。それに、帝国領に接している属国が富んでいるとの論旨も、よくわからない点だ。
属国化している小国がことのほか裕福とすれば、中華帝国官僚がその富を見逃すとは思えないからだ。もし、中華帝国が手が出せないほど強固な国になっていたとするなら、倭国が攻撃して勝てるとも思えないし。
そもそも、熊曽国平定はすでに終えているのだ。国内反乱が再来したのであり、これを放置し、海外派兵してよいのか、という基本的な疑問が生まれて当然では。
従って、神命の意味が今一歩よくわからないのである。
 爾天皇答白:
  「登高地見西方者 不見國土 唯有大海」
 謂:「爲詐神」
 而 押退御琴 不控 默坐
 爾 其神大忿 詔:
  「凡茲天下者 汝非應知國 汝者向一道」
 於是建内宿禰大臣白:
  「恐我天皇 猶阿蘇婆勢其大御琴」
 爾 稍取依其御琴
 而 那摩那摩邇控坐
 故 未幾久
 而 不聞御琴之音
 即擧火見者 既崩訖



殯宮が造られて、悼んで、種々の罪の大祓いが行われた。さらに、建内宿祢がご神命を請うことに。
そこで、お腹の御子が皇位継承者とのお言葉を確かめると、
男子と。
さらに、神は、天照大神の御心で、 底筒男・中筒男・上筒男三柱の大御神と名をあかす。

神のコンセプトとしては極めて斬新に映る。
心は大神だが、実体としては、別の3柱の神なのだから。
4柱の神が習合していることになるが、神名を伺っているのだから、招請したのではなく、神自ら習合したことになる。
合体しながら降臨したとすれば、かなりの違和感を覚える。
渡海が必要ではあるものの、あくまでも征伐であり、大神が命ずべき課題ではなかろうか。
とはいえ、三柱は、もともと倭五王時代の神でもあったろうから、大御神の後押しのもと、再度立ち上がったということか。どうも、しっくりこないが。
 爾 驚懼 而 坐殯宮
 更 取國之"大幣"[大奴佐]
 而
 種種 求生剥 逆剥 阿離 溝埋 屎戸 上通下通婚 馬婚 牛婚 鷄婚 之罪類
 爲國之大祓
 而 亦 建内宿禰居於沙庭
 請神之命
 於是教覺之状 具如先日 凡此國者 坐汝命御腹之御子 所知國者也
 爾 建内宿禰 白恐
 我大神 坐其神腹之御子 何子歟
 答詔:「男子也」
 爾 具請之
 今 如此言教之大神者 欲知其御名
 即答詔:
  「是天照大神之御心者
  亦 底筒男 中筒男 上筒男 三柱大神者也・・・」



 今、その国を求めようと思うなら諸神に、すべて幣帛を奉り
 船上に我の御魂を座し
 真木の灰を瓢に納めて、箸と枚手を数多くに作り
 すべてを大海に散らし浮かべ渡るべし。」
 教え通りにすると、魚が軍船を背負ってくれ、渡海できた。

ここは中巻であって、上巻的な神話世界から離れてよさそうなものだが、そういう訳にはいかないようだ。
魚が軍船を運ぶとはどのような情景を指すのかイメージがつかみにくいが、長門から北九州辺りの海人がありったけの船を出して、総がかりで軍船を囲んで渡海した情景の比喩と考えるしかないが、そうなると不退転で臨む侵攻と見なすしかないが、そこまでする理由がわからない。
 「・・・今 寔思求其國者 於天神地祇 亦 山神及河海之諸神 悉奉幣帛
  我之御魂 坐于船上
  而 眞木灰納瓠 亦 箸及比羅傳多作
  皆皆散浮大海以可度」
 故備如教覺整軍雙船
 度幸之時 海原之魚 不問大小 悉負御船而渡



 さらに、大順風が起き、御船は波に流され
 そのお蔭で、新羅の国に押し上げられ
 国の半ばに到達してしまった。

まさに圧巻。
鎌倉幕府の時代の元寇の時は、台風到来で撃退できたとされるが、この場合は高潮で流されて戦闘無しに軍勢が上陸できたという話になっている。
征服譚は、戦闘で活躍した英雄の行状や、敵兵の無惨な敗退シーンがつきものだが、一切記載無し。そのため、無血制覇イメージさえ漂う。異例。
 爾順風大起 御船從浪 故其御船之波瀾
 押騰新羅之國 既到半國



 国王は怖れ畏み奏上:
  「今後、天皇命に従い、御馬飼になり、
   毎年、船を連ね、船腹も梶も乾かさず、
   天地を共にし、退くことなく、仕え奉ります。」
 そして、新羅国を御馬飼と定めた。

新羅国王が平伏したことはわかるが、何処で、どのような状態でのことか何も記されていない。これでは神話の態をなしていない。恣意的に削除したと考えるべきだろう。
それに、駄洒落でもあるまいし、突如、"御馬甘"が出てくる理由が、わかりにくさを助長する。どう繋がるのか全く想像もつかぬ。
新羅が馬の調達役になっただけのこと。大陸同様に馬の入手が緊要な課題だったことになるが、島嶼地域で、どれだけの価値があるのかよくわからぬ。
後世の古墳から、煌びやかな馬具が副葬品として出土するから、良馬を得たかったのは間違いないとはいえ。
 於是其國王畏惶奏言:
  「自今以後 隨天皇命而 爲御馬甘
   毎年雙船 不乾船腹 不乾
 䑨檝 共與天地 無退仕奉」
 故 是以新羅國者 定御馬甘

尚、大后の御子が皇位を継承してから、百済から馬が献上されており、この結果と考えるべきということかも。
 百濟國主照古王 以 牡馬壹疋 牝馬壹疋
良馬獲得は中華帝国にとっては緊要な課題であり、ステップの道では早々と良馬飼育が進んでいたことを示すのであろう。馬を自由に操る遊牧民による柔軟な部隊編成方式と機動的攻撃体制の威力が認識されたということでもある。


 百済国を渡の屯倉と定めた。
唐突に登場する百済の方は、位置付けがよくわからない。話の流れからすると、制圧して百済も従うようになったと考えがちだが、そう書いてある訳ではない。
屯倉とは普通は各国の出先機関を指すから、半島南端部の倭国の代表を務めることになったように思えるし。
 百濟國者 定渡屯家


 御杖を新羅国主の門前に突き立てた。
 そして、墨江の大神の荒御魂を国守の神としてお祀りした。
 鎮座したところで、帰還の途へ。

門に杖を立てるのは、なんらかの呪術的な意味があるのだろうが、王権の象徴ということなら、新羅王に引き継ぐという意味としか思えない。ともあれ、状況からすれば、大御神の命ずるまま、杖となってここまで来たお印であるとは言えそうだ。(「出雲国風土記」には、国引を終え意宇社に御杖を衝き立てたとの地名譚がある。)
しかも、そこに倭の海の神を祀るというのが、またまた、よくわからないところ。倭国守護とも思えず、新羅国を守るとの意向なのだろうが。百済−新羅−倭航路を敷いたことを意味する可能性はあるが。ただ、荒魂であるから、高潮を鎮めるために祀ったようにも思える。
 爾以其御杖 衝立新羅國主之門
 即 以墨江大神之荒御魂 爲國守神 而 祭鎭 還渡也


これで、このパートは終わりだが、そもそも、倭で、新羅をシラキと読み、百済をクダラと読む所以さえ、思い付き的な説しか見掛けない。尊称ではなさそうだが、蔑称とも思えない。
と言って、自称の筈もない。しかも、両国からの大勢の渡来帰化人が居るにもかわらず、その読みが変わることはなかった。どういうことなのか。
このことは、ステークホルダーが多種多様で複雑に絡み合う社会だったことを示唆する。
しかも。有名な白村江の戦いは天智代であり、「古事記」成立時点では、まだ生々しく皆の記憶に残っていたことだろう。従って、太安万侶もリスク回避を第一に記載したということか。

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