→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.20] ■■■ [109] 突然に呉を特別扱い しかし、年代的には、呉ではなさそうとなりそう。 呉(222-280年) ⇒西晋(265-316年)⇒東晋(317-420年)⇒南朝宋(420-479年) ⇒南朝斉(479-502年)⇒南朝梁(502-557年) ⇒南朝陳(557-589年)/北斉(550-577年) ⇒隋(581-618年)⇒唐(681-690年 705-907年) しかし、たとえそうであっても、ココはどうしても呉越でも知られる名称の、呉であるべきなのだ。喩えとしては悪いが、史書であるにもかかわらず、隋という国号を無視して唐と記載して、その姿勢を示すようなもの。 魏・蜀・呉 三国時代の呉に目を向けヨということ。細かいことなどどうでもよいのである。 この時点で、中華帝国の"南"文化が生まれ、その後の六国の宗教全盛時代を切り拓いたと言う意味で象徴的な存在だからだ。つまり、梁や北齊も含めた広い概念と見なす訳だ。 📖崇佛皇帝賛辞も記載 それを確信しているのは、日本の仏教経典の読みが、"呉"音だからだ。 普通に言うところの"音"は漢音と記すが、"唐"音とすべきもの。標準に指定したから、そう呼べない訳だが、"呉"音が消え去ることはなかった。心に響く音として定着していたからと見て間違いなかろう。 「古事記」には、叙事詩読みのために発声記号を文章に挿入までしている位だから、"南"中華帝国の風土で生きてきた人々を"呉"人としてどうしても一括りにしたかったのだと思う。中華大帝国に呑まれて消え去ったかに見える文化を指摘したかったのではなかろうか。・・・ 大長谷若建命/[21]雄略天皇 坐 長谷朝倉宮 治天下也 天皇 娶 大日下王之妹 若日下部王 無子 又 娶 都夫良意富美之女 韓比賣生御子 白髮命 次妹 若帶比賣命 二柱 故 爲白髮太子/[22]清寧天皇之御名代 定 白髮部 又 定 長谷部舍人 又 定 河瀬舍人 也 此時 呉人參渡來 其呉人 安置於呉原 故 號其地 謂 呉原也 ほほう、地名譚で持ってきたかと、ココの記載を流してしまいがちの部分だが、ここには太安万侶の気付きがある。 地名譚の由来を読む際の常識を知らないとわからないかも知れない。「風土記」には山のようにお話が収載されているが、事績があって、それを地名にすることにしたというパターンで書かれている。統治者ならではの命名権という風情。 その通りだが、地名無き地に新たに名称をつけても誰も使わない。もとから呼び名がある地だったからこそ命名に意味がある。しかし、為政者が強引に名称変更させることなどそうそうできるものではない。古くから呼ばれていた音に合わせた物語を提供し、それを由来とさせただけと考えるべきもの。 それを考えると、"呉原"という地名は異例である。どう見ても音の読み替えではなく、初めからの名称だからだ。 同じような名称に"百済の原"があるが、「古事記」では登場せず、池の名称でしかない。扱いが違うのである。 [高市皇子(天武天皇長男)尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌] かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に ひさかたの・・・ 思ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り・・・ [「万葉集」巻二#199] 小生は、百済より重要ということで、この地名譚を入れ込んだ可能性が高いと思う。それは呉服の発祥元というような話ではない。 太安万侶は、直観的に文字表記を教えてくれた人々ではないかと睨んだからこそ、ここに入れ込んだのだと思う。仏教公伝は百済からだが、もっとずっと古くから入ってきており、呉からに違いないと睨んでいたのではなかろうか。それに加えて、道教も。 そんな風に見てしまう理由は"原"にあるが、そこらは別途。 尚、呉が、"北"のメインストリーム中華帝国や、朝鮮半島内を指すことは有りえないと見る理由は、確実な"呉原"比定地があり@明日香村栗原、そこは壁画で有名なキトラ古墳近隣だからだ。そう言えばおわかりになると思うが、壁画は彩色されており、同様な作風はメインストリーム中華帝国や朝鮮半島内には存在していないからだ。ここらに"南"中華帝国の文化が到達していたのは確実である。もちろん、ご存じのとおり、建造時点は遣唐使以前と推定されている古墳である。 そうそう、言うまでもないが、ここの地名は通常の地名譚のように、栗原⇒呉原ではなく、逆。その残滓は見つけることができる。・・・ 卍栗原寺跡[創建:7世紀後半 旧名:呉原寺] …伝 700年初火葬地(入唐僧 道昭) 📖鳩摩羅什@今昔物語集の由来 ⛩呉津孫神社/栗原宮(ご祭神:呉津孫神 木花咲耶姫命) ご想像がつくかと思うが、太安万侶としては、呉について触れずという訳にはいかないので、ココで決め打ちしたということ。 倭者 自云 "太伯之後" [「梁書」卷五十四列傳第四十八諸夷#2東夷諸戎#4倭] (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |