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■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.24] ■■■
[113] 天之御中主神をどう見るか
天之御中主神とは道教の神、と考えて間違いない。序文で、太安万侶が道教信仰であると明言しているようなものだから。
ただ、それは倭の信仰の原初の神が道教の神という意味ではない。
太安万侶は、道教信仰の天皇のために、道教最高神=天之御中主神=天皇としたに過ぎない。それに応じて、伝承系譜を再整理したということ。
そう書くと道教信仰一色に見せるための改竄に熱心だったように思われるからもしれないが、その努力の方向はそちらではない。改竄することで、かえって、倭の信仰状況がわかるように工夫したということ。極めてレベルが高い知的作業がなされていると見てよいだろう。
読者を知識人階層に限定しているから、そんなことができるのであろう。

ただ、ここにおける天皇とは、天文における、紫微垣の天皇大帝と同一という訳ではない。天皇大帝は、天文(星占い)に教義を当て嵌めただけと見た方がよいだろう。もちろん、儒教的な天子独裁-官僚差配構造として描かれることになる。中華帝国の社会構造を、そのまま天球に精緻に当て嵌めたのである。・・・
《三垣》…天球上3区画
 ㊤太微垣/天庭[20星官]…政府(貴族・大臣居住区域)
  五帝座…[五星]
  太子…[一星]
 ㊥紫微垣[39星官]…皇宮
  北極…[五星]太子 帝 庶子 後宮 天樞
  北斗…[七星]天樞(七星樞紐) 天璇(美玉) 天璣(耀珠) 天權 玉衡 開陽 搖光
  天皇大帝…[一星]天帝
  五帝內座…[五星]
     東方蒼帝靈威仰 南方赤帝赤熛怒 西方白帝招拒 北方K帝汁光紀 中央黃帝含樞紐

  天柱…[五星]一〜五
 ㊦天市垣[19星官]…市集(平民・百姓居住区域)
  帝座…[一星]天皇大帝座

ここらは混乱しやすい。

小生も天帝を星神として解釈したりするが📖天皇称号の開始時点、それは、星神の北辰妙見信仰が存在しているから。天之御中主神と習合しており、その信仰基盤は昔から広くて強固なものがあり、新興とも言い難いからである。
【飛鳥期】<妙見信仰渡来>
    …
北辰妙見信仰≒星宿信仰/道教+密教+修験道+陰陽道
【平安期】 信仰形跡無し。(「延喜式神名帳」に非収載。)
【鎌倉期】<反本地垂迹説としての伊勢神道/度会神道>
【江戸期】<平田篤胤等の国学(反儒反仏)主導の復古神道>
【明治期】<神仏分離・廃仏毀釈運動>
    …ご祭神の神社創建多数
[妙見菩薩⇒天之御中主神]
但し、"天御中主尊"は、勅撰史書としての正式な国書「日本書紀」720年の正文には記載されない。「延喜式神名帳」神名/ご祭神の神社にも記載は無い。

道教は、もともとバラバラだった地場信仰の寄せ集め。はっきり言ってナンデモカンデモ入れ込む訳で、その過程での解釈替えはお手の物。もちろん、儒教や仏教もその対象である。実際、「酉陽雑俎」を読めばすぐに感じるが、漢字仏教は道教的色彩満載だし、道教も仏教的な教義・教団宗教化に邁進してきたのは明らか。

そういうことで錯綜してはいるものの、結局のところ、道教最高神は三清に落ち着くことになる。ただ、それは星神ではない。当たり前だが、教義上、宇宙がソコ存在する観念の宗教ではないから、☆が生まれる前に祖神が存在していることになる。従って、その道祖補佐役が星神ということになる。それが四御(or 六御)で、本来的には三清と切り離すことはできないが、それぞれ独立の信仰とすることも可能なのが道教の特質でもあろう。理屈から言えば、天地が存在する状況では、崇拝対象の最高神は星神と言える構成になっている訳だが、創造神の一神教対応ということでは、三清が登場してくることになろう。
 昊天至尊玉皇上帝
 中天紫微北極大帝
 勾陳上宮天皇大帝
 承天效法后土皇地祇
  東極妙厳青華大帝
  南極神霄玉清大帝
[南極老人星]
従って、天之御中主神は天神の最高神だから、星神として扱おうという考え方も有りうる。しかし、「古事記」の場合、それを避けるが如く、星神信仰は"注意深く"カットされている。・・・流石。

ところが、周到にも、原初的北極星崇拝の存在を示唆している。国生みシーンで、時計回りと反時計回りにおける正統性が語られているからだ。どう考えても、これは、南極星と北極星を中心にした天球回転をなぞった表現。
要するに、道教は、なんでもござれの、混沌とした宗教というだけのこと。後付けで詳しい教義ができるものの、構造が安定している訳ではないので、様々な解釈が成り立ってしまうというに過ぎない。

太安万侶はその辺りをよくご存じだったようである。

「古事記」での天之御中主神の位置付けはあくまでも宇宙が現れる時に"成る"神だからだ。しかも、それを"造化三神"として他の2柱とグループ化している。道教が大いに拘る聖数の3を最初に示したのである。(さらに上下平面の方位数で分化されていくことになる。)

この見解は実に鋭い。道教の、神祖は必ず3柱だからだ。天之御中主神は、そのうちの天皇に当たる神ということになろう。・・・

要するに、こういうこと。・・・
 三元の氣(始氣+元氣+玄氣)
  三天(清微+禹余+大赤)
   三柱の神(天寶+霊寶+神寶)
    化成(玉清[青]+上清[白]+太清[黄])
     教義(洞真+洞玄+洞神)
(これは当たり前の展開ではないかと思うが、どういう訳か解説されることは滅多にない。逆に、道教は様々な観念が入れ込んであり、どうなっているかわからないという解説は山ほど。面白いのは、わからないとしながら、選定理由なしに、お好みの観念を中心に解説がなされるのが常道らしい。わからないのではなく、わかってもらってはこまる訳か、との印象を受けるが、そう感じる人はほとんどいないようである。)

現存する最古の道教書北周武帝[撰]:「無上秘要」巻六帝王品には、そこらの展開が書かれている。・・・
 天寶君者 是 大洞太元玉玄之首元
 靈寶君者 是 洞玄太素混成之始元
 神寶君者 是 洞神皓靈太虛之妙氣
   故 三元凝變號曰三洞・・・
 大洞之氣 則 天皇 是矣
 洞玄之氣 則 地皇 是矣
 洞神之氣 則 人皇 是矣
   天皇主氣 地皇主神 人皇主生 三合成コ萬物化焉
   故
 天皇起於甲子元建之始 治於太元三玄空天
 地皇起於甲申太靈之始 治於三元素虛玉天
 人皇起於甲寅虛成之始 治於七微浩鬱虛玉天
 ・・・右出老子コ經
「古事記」の造化三神が、天皇:地皇・人皇に当たるとは思えないが、そこが太安万侶の工夫である。
倭の信仰を道教的に転換すると、このようにしか描けませんゾと言っているに等しい。反論のしようがあるまい。

そうなると、その趣旨はこういうことになる。
 天皇≒天之御中主神は、神々存在の場、高天"原"。
 地皇≒神產巢日神は、倭国の地母神。
 人皇≒高木神は、自然(生物)霊。
   …中華帝国古代の東から昇る太陽が懸かっている樹でもある。
造化三神は気が生じた頃に成った祖神なので、人格神ではないし、表に現れることもないが、神產巢日神と高木神は、人格神化されると登場してくることになる。

以上、ズルズルと書いて来たが、はっきり言って、天之御中主神をどう道教の神に当て嵌めようと、その信頼度はたいしてかわらない。太安万侶が天皇命に従って、道教的な皇統譚を宇宙創世期から作成することになったということさえ確認すれば十分。
しかし、それは、壊滅させられる可能性を感じてしまう社家が、祭祀や伝承を天武天皇的道教に合わせて変更するのとは違い、簡単なことではなかったろう。

なんといっても厄介なのは、太陽女神の天照大御神を最高神とみなす天武天皇の信仰が、渡来してきた道教教義と齟齬をもたらしかねない点にある。道教を持ち出せば、星神を至高神としたり、天皇は北天に座すという話をせざるを得なくなるからだ。もちろん、太陽が沈んだ後に目立つ天体の神々にはできる限り触れないといった無難な道を選ぶしかあるまい。📖別天神をどう位置づけるか
しかも、軍事独裁型親政統治モデルの中華帝国北部型政祭では、太陽神は必ず純男。ここらも曖昧にした方がよいのである。岩戸では、姿見を知らないようにも読めるし、女性の露わな踊りで男神の喝采を読んだりと、そこらの問題をそれとなく語ってはいるものの。
ただ、中華帝国の道教とは、ナンデモござれの習合体質なので、それに倣って整理することはできる訳だ。その結晶が「古事記」である。

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