→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.4.29] ■■■ [118] 「三位一体」と「造化三神」の類似性 いずれも隠れ神だが、それは神として認知されていなかったという意味ではなく、人々が認知できる場に座するタイプの神ではないため、どこに存在するのかさえわからないということだろう。従って、お祀りする方法も無かった筈である。 この状況に気付いた太安万侶は、造化三神こそ、八百万もの多神教の真髄と言うべき神々ではないかと感じたのでは。三神構造は、見掛け道教の三皇にそっくりだが、全く異なることに。 こうした感受性は人によってかなり異なると思われる。 造化三神は「三位一体」のコンセプトに影響を受けて出来上がっているとの説を結構見掛けるからである。📖最高3神信仰の文化的違い そこで、どうして、このように考えるのか、簡単に触れておきたい。 キリスト教について、たまたま気付いたことを書いたことの📖意外にも「創世記」に親和性続きでもある。 結論を先に家なら、「三位一体(父・子・聖霊)」と「造化三神」には、一致点は3という数字以外に何も無いが、ここに、信仰の中核があると考えるなら、全く同じタイプに映ってもおかしくないということ。 素人からすると、神学的発想だとそうなるかも知れぬということで。 (大学受験勉強時代、新宿御苑+新宿図書館へよく足を運んだもの。宗教に興味があった訳ではないが、開架式なので、名前さえ知らなかった木下尚江という人について調べたことがある。関係する本が色々ある訳もなく、ついつい、キリスト者の活動の本にも目を通すことになってしまった。そこで、気付いたのだが、キリスト教と神道との習合としか思えない神学が生まれていたので驚いた。弾圧回避の方便ではなく、本気だったらしい。それこそ目から鱗。 多神教の神道と唯一絶対神のキリスト教の習合などあろう筈は無かろうとアプリオリに考えていたからである。) 但し、それは三位一体をどう見るかによる。 (Wikiによれば、三位一体は教義の中核。公式に"三神"ではないとされて来たし、3つの役割という意味でもない。信仰者以外には余りに難解。・・・「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えている。」ということで。言うまでもないが、ユダヤ教徒やイスラム教から見れば、これは多神教の教義に映るから、容認できまい。 <イスラム教> 絶対神アッラーフ ⇔ 預言者ムハンマド ⇔ 信仰者 <ユダヤ 教> 父=神ヤハウェ ⇔ 民族祖アフラハム ⇔ 信仰者 そのため、古くから、この正当性を巡って、凄惨な戦いが発生してきたことが知られている。・・・非聖書の民からすれば、さわらぬ神に祟りなしとの姿勢をとらざるを得まい。 日本には、キリスト教文化は、儒教同様に、かなり深いところ迄浸透したが信仰は広がらずのままなのは、ここらに起因している可能性もあろう。) 信仰者以外は理解できない三位一体に対して、天竺・震旦で語られる三神構造はいずれも、常識の範疇で理解できる。しかし、わかり易いということは、裏を返せば、それが信仰の真髄では無いとも言えるかも。 キリスト教…三位一体 (父・神の子イエス・聖霊) ヒンドゥー教…三神一体/トリムルティ (創造/ブラフマー・維持/ヴィシュヌ・破壊/シヴァ) ゾロアスター教…善悪二元論(至高神/アフラ・マズダー) (善神群筆頭/プンタ・マンユ・悪神群筆頭/アンラ・マンユ) 仏教…三身(法・報・応) 道教…三皇(天・地・人) or 三清 「古事記」…造化三神 (天之御中主・高御産巣日・神産巣日) キリスト者から見れば、造化三神とは原初の神・天照大神・諸々の神々という構造に映ってもおかしくないというだけのこと。 ちなみに、民族祖神の一神教であるユダヤ教で該当するとすれば、生命樹の三柱(峻厳・慈悲・均衡)ということになるらしい。 シュメールにも3神が存在するとされているようだが、都市国家群であるから、至高は7大神と見るのが妥当ではなかろうか。そこから代表を選べば3神(天アン+大気/地上エンリル+水/深淵エンキ)にはなるものの。 (「創世記」で記載されている、水が天と地に分かれるコンセプトと似た感じがする。相対的に天体神は軽視されていることになる。…月ナンナ 太陽ウトゥ 金星イナンナ 地母ニンフルサグ) エジプトに至っては、数々の王朝があり、3神信仰ありとも無いとも言い難い。一般には、原初の水ヌンと創造[太陽]アトゥム<ラーと習合>が至高に当たると見られているようだ。(続くのが対偶神。…大気/シュウ+湿気/テフヌート 大地/ゲブ+天空/ヌート)オシリス、イシス、セト、等々のよく知られる神々から3神を規定するのは意味が薄いように思われる。 以上、どうでもよさそうなことを、素人なりにつらつら書いて来たが、実は、3神コンセプトに焦点を当てたいのではない。 「造化三神」が本文上で浮いているように見えるので、後から付け加えられたと見なす説が語られることが少なくないという点に注目すべしということ。 これこそ太安万侶が感じてもらいたかった点と見ているからだ。この箇所こそ、古事記の肝なのだ。・・・ 倭が、国家と呼ぶには"稚"でだった時代。それぞれの勢力は、地場の自然信仰を紐帯としていたに違いない。、次第に、広域支配が進むようになると、支配者の祖先信仰主導になる訳だが、自然信仰との習合も進むことになろう。しかし、広域と言っても、国の態をなすのは、王権・神権の統治の仕組みが整ってから。こうなれば、必然的に信仰か国家の枠組みと歩調を揃えることになる。 この時点で、信仰に不可欠なのが、国土形成の神。各地の寄せ集めなど無理だから、なんらかのシンボルに集約せざるを得まい。同時に、国土形成神と統治者祖神が習合して行くのも、自然な流れであろう。 ただ、島国であるから、全国土をカバーする統治体制ができれば、国土形成神のもとで一元化されれば、王権・神権政治体制はほぼ完成と言ってよいのでは。 しかし、国際的視野で眺めればそうはいかない訳で、宇宙創成時の神(天地創造)が無ければ、宙ぶらりん。国土形成に至る前段階の至高神は不可欠となる。 これが実態とすれば、神の系譜を作れば、創成神から始まり、国土の構築の神々が生まれ、統治者の祖がその流れに位置付けられることになる。時の流れという概念がある社会なら、他に描きようがあるまい。 そう考えるなら、宇宙創成神が最初の信仰対象だったなど、原始共産制ありき論と同じで、夢想そのもの。 と言っても、創成神が後世の個人の創作である筈もなく、自然神の時代からなんらかのイマジネーションがあった筈。それが次第に洗練されていくことになる。 つまり、「古事記」の造化三神は荒削りの、地のまま記載されたと言えよう。自然神時代のイマジネーションを彷彿させるように書かれたのである。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |