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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.5] ■■■
[155] 西王母信仰渡来に気付いていたか
太安万侶は"多"家の人であり、"太"とは、自他共に朝廷での道教の第一人者として活動していたことを物語る。

それを踏まえての「古事記」序文だと思われるが、度々触れているように、本文はそれを感じさせないトーンで仕上げてある。それに、反儒教的な姿勢をちらほら見せるし、仏教については完全黙秘と、えらく頑な態度を貫いている。内容から判断するに、インターナショナルなセンスの持ち主で、漢籍に通じ、抜群の言語知識があるにもかかわらずだ。

そうなると、知識人の体質を考えると、暗喩的になんらかの形で道教信仰について記載している可能性があるのではなかろうか。

そんな風に考え、「酉陽雑俎」を振り返ってみると、よく引用される箇所があることを思い出した。1つはシンデレラの原初譚であるが、もう1つは月の桂の木である。(仙術で過誤を犯し、月で桂の木伐採役をさせられている"呉剛"譚)📖月の見方@「酉陽雑俎」の面白さ
後者は今でこそ当たり前になっているが、人々から無視されがちなので、どうしても指摘しておきたかったからだろう。

ところが、その"桂"が、「古事記」にも登場してくる。・・・
爾鹽椎~云:"我爲汝命作善議"
即造无間勝間之小船 載其船以教曰:
"我押流其船者差暫往 將有味御路
 乃乘其道往者 如魚鱗所造之宮室 其綿津見~之宮者也
 到其~御門者 傍之井上有 湯津香木
 故坐其木上者 其海~之女見 相議者也"
[訓"香木"云
加都良木]
忘れ去られているが道教にとっては聖木だったのである。
必ずしも、この加都良木が<呉剛伐>を暗示しているとは言い難いところがあるが、呉剛は樵になってはいるが卑という訳でなく美麗な男であり、そんな仕掛けをしていないとも限らない。📖月神@墓制と「古事記」

この発想の筋はそう悪くないと考えるのは、月に関係するからである。
と言うのは、倭人が拘った道教的呪器が「三角縁神獣鏡」だからだ。名称から創造しがたいが、これは西王母信仰の鏡であろう。
従って、この鏡の時代、道教譚が広がっていた筈だと考える訳である。
そうなれば、月譚と言うことになろう。・・・

  <嫦娥奔月 月中蟾蜍
何故にヒキガエルが登場するのかさっぱりわからなかったが、道教で重視されているからだったか。

  <玉搗薬>
因幡の素菟譚も要は兎を薬にちなんで登場させたかったか。兎神が言挙げしたのではなく、西王母のお遣いの詞ということになろう。
おそらく、沢山の伝承話を聴いて、その中の面白そうなモチーフを指摘すると、稗田阿礼がその意図を読み取って仕上げたのだろう。

ヒキガエルだけでなく、案山子まで登場するので、まことに奇異な話だが、一本足ということを考えると、それも渡来の山信仰を伝えているようにも思えてくる。
  <夔 獨足魍魎>📖山の精のイロイロ@酉陽雑俎的に山海経を読む

もちろん、烏も該当する。
  <日中有踆 而 月中有蟾蜍>

マ、太安万侶と稗田阿礼はおそらく馬があって、議論が愉しく、上記は編纂作業に於ける一種の遊びではなかろうか。
「酉陽雑俎」を見ていると、読者をインテリに限定しているから、結構、遊びが多い。幼少期から文字と一緒に生活しているから、そうなって当然かもしれない。
太安万侶も同様と違うか。
史書の真面目一方で、エリートの自負から整合性や忖度しながらの編纂には肌が馴染めなくてもおかしくなかろう。

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