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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.28] ■■■
[178] 兄弟姉妹婚と洪水生き残りは無関係では
兄弟姉妹婚については、洪水を巡る兄妹始祖創世神話として、東アジアの基本モチーフとされているようだ。
  📖「大洪水神話」の分類@本を読んで 2018年

「今昔物語集」でも、四国に類似譚ありと。
  📖妹兄島
従って、「古事記」編纂の時代にこのようなモチーフが日本列島内に伝播していたに違いないと見るのは自然なこと。
そこで、「古事記」国生み譚にもこのモチーフが入り込んでいると見がちだが、待てヨ。

伝播に論理的根拠がある訳ではないからだ。
洪水兄弟姉妹始祖譚の類とする必然性も、実は薄いのでは。

と言うのは、常識的に考えて、儒教国が、宗族主義の掟のイの一番に来る同一姓婚禁忌を破る、このような創世神話を容認できる訳がないと思うからだ。中華帝国で嫌われる話であっても、日本列島では大いに歓迎されるという論理は見つけにくかろう。(中華帝国の一支族と史書に記される朝鮮半島の国も、当然ながら、この手の始祖伝説は伝播しようが排除したに違いないのである。)
そもそも、支配階層峻別なくしては宗族第一主義は頓挫しかねないから、始祖伝説には、貴族のトーテムあるいは霊的な誕生を必要とし、一般人民はどうでもよさそうな発祥とするのが好都合に違いないからだ。
もっとも儒教的合理主義から、後世に、なんらかの必要性があれば、にわかに書き加えられておかしくないが。

そんなことを考えると、ここらを読む際には十分な注意を払うべきということになる。

洪水神話の生き残り譚には、それなりの古代の天変地異の記憶を含んでいると考えれば、始祖婚姻にポイントがあるのではなく、一族絶滅の危機に晒されたことを語っているだけかも知れない訳で。
東太平洋地域では、スンダ大陸消滅、日本海や瀬戸海誕生等々があるし、地震発生による大津波や、大河の大洪水などの記憶が各地で受け継がれていておかしくなかろう。さらに環太平洋火山帯では、数世紀に1回は大噴火が必ず発生しており大災害に見舞われた地域もあろうし。
もちろんメソポタミアにも超大洪水は発生した筈だ。上流で雨が続き、氷河が一挙に溶け出せば、膨大な水量が広大なデルタ地帯に流れ込み、動きがとれず、食料も枯渇すればどうにもなるまい。それこそ箱舟で移住できた一家以外は生き残れまい。

これを考えれば、天変地異で部族絶滅の危機に直面したものの、どうにか生き残ることができたという話は、どこにあってもおかしくなかろう。文化の伝播としての類似譚として見るべき対象なのか、はなはだ疑問。

逆に言えば、そのような天変地異が少なかった、内陸部の中央アジアや北アジアにはほとんど見つからない筈。

従って、「古事記」には洪水生き残り譚が収載されることはない、と見る。・・・絶滅の危機を感じるレベルの体験は希ということで。それは、葦原中国は、温帯モンスーンの島嶼だったせい。台風や豪雨等の災害は常にあるが、箱庭的地勢で河川など大陸からみれば滝だ。従って、被害甚大と言っても、一過性だし、全面的壊滅には至らない。そのような災害は織り込み済みで生活するしかないのである。

そのようなセンスで考えた方がよいと思う。

例えば、中国南部には数々の洪水伝承譚があるが、大河であり、見渡す限り沼になり数ヵ月続くことになりかねないのであり、生き残りは至難という事態に直面してもおかしくない。
重要なのは、どこにどのような類似譚が存在することではなかろう。この一大事を、それぞれの部族はどのような観念でとらえているかを見つめることが出発点だと思う。

例えば、こう整理することもできる。・・・
 《中華帝国南部一般》
神の見返り(前兆神託) ⇒ 洪水等 ⇒ 兄妹生存 ⇒ 婚姻(始祖)
 《苗族系:伝揚子江中流域》
(雷)の復讐 ⇒ 洪水等 ⇒ 兄妹生存 ⇒ 婚姻(始祖)
 《古羌/彝族系》
 (多種)  ⇒ (多種) ⇒ 男生存 ⇒ 天女婚(始祖)…天女の父からの試練克服

小生は、たったこれだけの整理だが、直観的に「古事記」とは無縁な観念と結論付ける。

繰り返すが、「古事記」には洪水譚は無い。
ヒトあるいは神が居る場所が洪水で襲われ、生きていけなくなったが、かろうじて男女一組が生き残ったという話などどこにも書かれていない。

「古事記」は、あくまでも原初の海から小島を造るストーリー。そのシーンを洪水生き残り譚類似と見るのは強引すぎるのでは。国土が洪水に洗われるのと、海に島ができるのでは、概念が全く違うと思うが。
しかも、神々の総意による国造りの命を受けて開始するのである。洪水によって選別されて生き残った男女を祖とするのと、本質的に神の意向だから同じと考えるセンスにも違和感を覚えるし。

文化的類似性を見るなら、婚姻と出産の行儀の方にすべきと思う。

特に、婚姻については注目したい。
「古事記」記載内容は現代人にはさっぱりピンとこないからだ。
屋敷と御柱が男女交合に不可欠とは思えないし、先ずは、柱を回る意味も図りかねる。歌垣や盆踊りの原初形態だろうか、と言う程度しか思いつかない。
この行儀が他の地域でも存在するとすれば、同じ観念を持った人々が居ることになり、なんらかの文化的紐帯ありと言うことになろう。はたして存在するのかは、わからぬが。

もう一つ、最初の2子が"できそこない"とされる点も挙げておこう。
現代人から見れば、ナンダカネの類にしか映らないが、島嶼文化では極く自然な観念の可能性もある。
と言うのは、島嶼は、箱庭のようもの。一村落の生産力はたいしたものではない。だからといって、貧困とは言い切れない。スキルに合えば住み易い場所になる場合も少なくなく、工夫すれば余裕だらけの生活を謳歌することもできるからだ。但し、そのためには大前提が必要。適正人口を保たねば、すぐに悲惨な状態に陥りかねないのである。
そうなると、この出生譚は、人口調整のための手段を、出産時の胎盤や臍の緒の扱いに模していると解釈できるかも。

近親婚についても気になるところだが、劣勢異伝問題を引き起こす可能性が増すのは確かだが、皇統譜を見る限り、そのような事例が発生していたとは思えない。「古事記」成立時の皇統譜は近親婚だらけだから、そちらにハイライトを当てる必要はないかも。

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