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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.5] ■■■
[185] 安万侶と阿礼のお好みシーン
場当たり的に書き続けてきて、かなりの回数に達してしまった。そこで、ここらで、自分なりに少し振り返ってみることにした。
題して、小生推定の、"安万侶と阿礼のお好みシーン"だが、それほどの意味はない。

おそらく二人の気分は反儒教。
というか、史書のベースは儒教であり、それとは異なる書を追求したに過ぎない。太安万侶は官僚だから、儒教の重要性は百も承知だし、国史編纂大プロジェクトチームのメンバーだったに違いないが、その仕事がさっぱり面白くなかったのでは。と言うか、うんざりしたのだと思う。・・・メンバーは皆真面目一方。網羅的に資料を集め、矛盾なきように情報を取捨選択し、齟齬が無きよう"訂正"していく。その上で、記載内容の政治的影響を勘案し、忖度の上で表現を変えるという膨大な作業だからだ。
もちろん、殿上人レベルの官僚にとっては、ただならぬ仕事量であること自体はどうということはない。有能な官僚が衆議を通じて智慧を出すプロセスも当たり前だ。しかし、このプロジェクトの場合、国家的に必要なこととはいえ、成果物とは、時々コラムがついている年表でしかない。そこには、何の生気も感じられぬと思ったに違いない。その瞬間から、仕事に、飽き飽きして来ることになろう。

・・・マ、こんな風に見る人は少ないだろうが、たちどころに同意する人もいておかしくない。

と言うのは、「古事記」は想定読者層の日常言語で記載されているから。一方、国史は、勉強して身に付けねば読むことができない公文書様式である。
もちろん、そんなことは誰だって知っているが、それが何を意味するか考える必要があろう。

国史とは、読むというよりは、編年整理された事績をできる限り丸暗記することが求められる書物とも言える。反体制の立場の人は別だが。

現実的には、最低限でもかまわないから、国史の知識を得たいと考えるのがフツーの人々。そのためには、それこそ絵本でもかまわないし、大きな流れを記した解説書を求めたくなる人もいよう。そのような形であり、その原本は史書である。

従って、史書ではない「古事記」には、ご紹介・解説本は全くそぐわない。国史と似た情報がいかに多かろうが、その内容は齟齬だらけだからだ。
このことは、語弊が有るが、「古事記」は、史書のように真面目な顔で取り組むべき本ではないということ。・・・これこそが、太安万侶の意向では。

従って、「古事記」の全体観と言うか、そこに描かれている社会観や歴史観を取り上げようという試みなら、太安万侶にしてみれば大歓迎だろう。それこそ、「漫画"面白古事記"」も大いに結構となろう。
一方、史書と比較して云々だけはご勘弁だ。儒教ベースの、四角四面の道徳観で読まれたのでは、せっかく苦労して上梓した意味が無くなってしまうからだ。

(アナロジーで言えば、「今昔物語集」を仏教説話集として読むべきではないと言うようなもの。せっかく編纂者が苦労して、社会の根底となっている思想が見えるように編纂しているというに、それを見えないように解説するなどもっての他だ。
「山海経」を妖怪怪物紹介の書としたり、インテリ向けの高度な書である「酉陽雑俎」を奇書と見なすようなもの。もちろん、それはイデオロギーに基づいた意図的なレッテル貼りのせいでもあるが、実態からすれば、それに気付かない振りをして上手に社会を泳ぐのが生きるコツということに過ぎず、当たり前の姿勢である。ただ、それは、知識人としての精神の自由を棄てることを意味しているのは間違いなかろう。)


こんな感覚で振り返ってみると、大長谷若建命の歌が目につく。これこそ、安万侶と阿礼のお気に入りと違うか。

すでに取り上げたが。再度見ておこう。
  📖大悪有徳天皇の魅力を余す所なく記載

《大長谷若建命/[21]雄略天皇@長谷朝倉宮御製》
     …[豐樂之時]長谷之百枝槻下 [天語歌3/3]
  百礒城の 大宮人は
   鶉鳥 領巾取り懸けて
   鶺鴒 尾行き和へ
   庭雀 髻華住まり居て
  今日もかも 酒みづくらし
  高光る 日の宮人
  事の 語り事も 此をば


豊明節会は新嘗の行事が滞りなく挙行された翌日に〆として行われる。風俗的な歌舞音曲に酒が入った大宴会であり、愉し気な様子が伺える。

この天皇の記述は余り好意的ではないが、安万侶と阿礼は、こうした宴会こそが文化そのものと考えていて、この歌に感じ入っているのではなかろうか。"高光る"という枕詞が係るのは宮人なのだから。
  📖「古事記」が示唆する枕詞発生過程

大して着飾っている」訳ではないが、呪的に寿ごうという身なりを整え総集しており、男女も嬉しそうに交流しており、それなりに飾りたててピーチクパーチクと華やいでいると、天皇が皆の様子をみながら寿いでいるのである。この情景を後世に伝えたいものだという辺りには、感激に近いものを覚えたかも。釋奠のような、典礼の祭とは、根本的に異なると考えておかしくなかろう。

そもそも、前段は皇后が寿ぐのである。
形式的なものではなく、総員集合の宴席の心地よい雰囲気を造り上げようとした歌である。天皇御製は、それを踏まえている訳だ。・・・
《大后歌》 [天語歌2/3]
  倭の 此の高市に 小高る 市の司
  新嘗屋に 覆ひ樹てる 葉広 斎つ真椿
  其が葉の 広り座し 其の花の 照り座す
  高光る 日の皇子に 響みて 奉らせ
  事の 語り事も 此をば


言うまでもなく、高市から始まるのは、直前の危険な状況から脱することになった、機転を利かせた歌を受けてのこと。
切欠はたわいもないミスだったが、死罪を免れることは出来そうになく、場は緊張に包まれたであろう。ところが、采女はミスを倭国の歴史になぞらえた歌を詠むことで、ことなきを得たのである。
《伊勢國之三重婇歌》 [天語歌1/3]
  纏向の日代の宮(@山邊之道:大帶日子淤斯呂和氣天皇/[12]景行天皇)
   朝日の 日照る宮 夕日の日翔ける宮
  
(長谷長谷朝倉宮[@初瀬]は)
   竹の根の根足る宮 木の根の根延ふ宮
  (伊勢神宮]は)
   八百によし斎の宮
  真木さく日の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る槻が枝は
   上枝は天を覆へり
   中枝は吾妻を覆へり
   下枝は鄙を覆へり
    上枝の枝の裏葉は 中枝に 落ち触らばへ
    中枝の枝の下つ枝に落ち触らばへ
    下枝の枝の裏葉は
     あり衣の三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に
      浮きし脂
  …くらげなす
      落ち足沾ひ
      水"こをろこをろ"に
  …おのごろ嶋
      来しも 綾に恐し
  高光る 日の皇子
  事の 語り事も 此をば


3宮が突然登場の印象を受けてしまうが、新嘗祭りであるから、おそらく、賢所・皇霊殿・神殿の宮中三殿の儀に対応しているのだろう。

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