→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.13] ■■■ [193]倭の火神概念は不透明 📖竈神はインターナショナルな視点で眺めたい 「古事記」の竈神。・・・ ○記載されている箇所から見て竈と火は直接関係していない。 ○竈神祭祀は大年神祭祀の一部と見なされている。 ○奥の彦/姫という神名は火を示唆していない。 ○竈は火を扱うものの、家の設備名と言ってよいだろう。 ○奥は、家宅の奥ということか、煙穴を意味するとしか思えない。 (漢語の竈神は前者。門と奥の侵入阻止役の守護神。) (新年祭祀は中華帝国型だが、天帝-竈司ではなかろう。) (小生は後者と見た。宅内開放系囲炉裏の代替ということで。) ギリシア神話の観念は完璧に異なっている。・・・ ○竈神は家庭の神だが、本質的には火神である。 ○但し、宅内の囲炉裏、宅外の焚火と同類と見てよさそう。 ○竈神は極めて重要な位置を占めている。 火に関係する神名は堂々と登場。 (高位12神に火神ヘスティアが選ばれている。) ○おそらく、火はトーチで持って来るもの。 人がコントロールするのである。 ○火は、プロメテウスが禁を犯して人にもたらした。 名目上の最高神ゼウスの意向に逆らった結果。 ⇒キリスト教文化が引き継いだ。(オリンピア聖火) ○火は神殿内で祀られるべきもの。 竈神がコミュニティの意思決定の場を提供。 ○火山神たるヘーパイストスも存在している。 (個々の火山信仰と抽象概念の火山の関係性は不透明。) 実際には、鍛冶の神と化している。 現代の火という概念からすると、コンプレヘンシブな体系の存在を感じさせる。ポリス毎に神々が存在するので、それらを集めただけだと収拾がつかなくなる筈だが、それをなんとかして整理していこうという意志が感じられる。(但し、それは信仰死滅後の解釈を反映している可能性もある。) さて、そこで、竈神以外の火神をと思ってみると、余りの違いに愕然とさせられる。 "神生み"の〆のような形で登場するが、火をもたらして歓迎されるどころか、配偶男神から、女神に火傷を及ぼしたけしからぬ存在として斬首されるのだから。 伊邪那美神者。因生火神。遂神避坐也。 御子であるが、神名が"火の"であるし、生んだために、美蕃登(みほと=御女性器)見炙と記載されている。光輝く神のイメージは無い。 火之夜藝速男~/火之R毘古~/火之迦具土~ 火山(⇒鍛冶)神的な印象を与えるが、その後の神々の名称からだが、そのように記載されている訳ではない。少なくとも、火を示唆する文字は使われていない。 📖火山信仰の扱いは要注意 火の信仰がこの話にどのように表れているかを見抜くのは難しい。どうともとれるからだ。 <多具理邇(吐瀉物)>金山毘古~+金山毘賣~ <屎>波邇夜須毘古~+波邇夜須毘賣~ <尿>彌都波能賣~+和久產巢日~(+[子]豐宇氣毘賣~) それでは、他に火神は登場するかというと、これが結構悩ましい。 過酷な試練に火が登場するが、火神の意思決定でそうなった訳ではなく、単に火が使われただけだし。 火燒似猪大石 火廻燒其野。・・・火者燒過。 国譲り完了時には、多藝志之小濱で天御饗が挙行され、火鑚臼と火鑚り杵で火を鑽り出して、祝詞をあげており、祭祀に火を用いていることが謡われてもいるのだが、それだけ。明らかになんらかの呪具であり、火を貴ぶ信仰があるのは明らかだが。 「是我所燧火者 於高天原者 神産巣日御祖命之登陀流天之新巣之凝烟之 八拳垂摩弖燒擧 地下者 於底津石根燒凝」 有名な産小屋を土で目張りして放火してから出産するシーンも火神は登場しない。あくまでも、天神の御子であることを証明するためであり、火は浄だから、濁心なら焼失させられるという極めて強固な観念が存在しており、火焔神の存在が示唆されてもよさそうに思うが、聖水による禊や誓約のようなもので、浄水・浄火は神という概念とは次元が異なるのかも知れない。 火焔のなかで無地出産し、3御子が生まれたが、当然ながらそれを彷彿させる名称になっている。・・・と読むべきかは、実はナントモ。火遠理命は穗穗手見であり、火⇔穂を行っているようで、炎のホは稲のホとの一般解説は当たっていそうにも思えるからだ。しかし、穂は最初から使われていたのだから、何故に火に変換する必要があるかについて語れないなら、恣意的な語呂合わせでしかない。 それよりは、文脈上では火に無関係なのに、"火明”と記載している方を気に留めるべきだろう。天照系の尊称として火が使われているのかも知れないし、系譜からすれば、火表記は火中出産とは無関係で、高木神の系譜を示す文字のようにも映るからだ。・・・ ○[皇太子]正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 └┬△ ┼○天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸 ┼└┬△万幡豊秋津師比売…高木神の娘 ┼┼├┐ ┼┼○天火明命 ┼┼┼○天津日高日子番能邇邇藝能命/火瓊瓊杵命 ┼┼┼│ ┼┼┼│┼○大山津見~ ┼┼┼│┼└┬△ ┼┼┼│┼┼├┐ ┼┼┼│┼┼△石長比賣 ┼┼┼│┼┼┼△~阿多都比賣/木花之佐久夜毘賣 ┼┼┼└─┬─┘ ┼┼┼┼┼│【火中出産】 ┼┼┼┼┼│ 作無戸八尋殿入其殿内 ┼┼┼┼┼│ 以土塗塞而方産時 ┼┼┼┼┼│ 以火著其殿而産 ┼┼┼┼┼│ ┼┼┼┼┼├┬┐ ┼┼┼┼┼○火照命(海佐知毘古)…隼人阿多君祖 ┼┼┼┼┼┼○火須勢理命 ┼┼┼┼┼┼┼○火遠理命(山佐知毘古)/天津日高日子穗穗手見命 ギリシア型の火に対する姿勢を見ると、天の高木の太陽と地上に於ける火焔が一括りになっておかしくないが、それが、穂⇔火に結びつくとは思えない。と言うことは、穂と火にはなんら関係なく、御子の出自は火の国というに過ぎないのかも。もともと肥は、火だったと見てもよさそうだし。 葦原中国は、どうも火の神には冷たいようだが、南島はそうではなかったようである。家宅の竈神的ではあるものの、火の神と明確に言い切っており、火の信仰は体質的にかなり違っていそう。 と言っても、南方神(南嶽大帝)的な風合いは感じられない。 【琉球王国】 ヒヌカン[火ヌ神]/ヒヌカンカナシ[火ヌ神加那志]/ウミチムン[御三ッ物] (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |