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■■■ 「古事記」解釈 [2021.7.28] ■■■
[209]竹具は海人が伝えたのだろうか
🀤松とくれば竹。📖針葉樹の意味は何だろう

竹はイネ科とされているが、別立てにして欲しい。
自生しているかに見え、竹林にもよくお目にかかるが、森林面積にすれば1%にも満たぬ筈。
稲より古いのは間違いなかろうが渡来種と見られているが、南九州原産種もあるかも。

櫛材は黄楊ツゲが定番だが、斎つ爪櫛は椿材か竹材だろう。男柱を点火材にしているから竹か。・・・
   《黄泉国訪問(掟破り)譚》
  故刺左之御美豆良 湯津津間之男柱一箇取闕 而
  燭一火

竹は笋[たかむな]として登場するのが「古事記」の初出だが、それは投げ捨てた櫛だから、やはり竹櫛と見るべきだろう。筍料理でも、切り方によっては見かけ櫛状になるから、古代人にはなかなか鋭い目があることがわかる。ただ、現代人が食す孟宗竹筍は島津藩が琉球から18世紀に移植して広がったと野」説がある。(黄檗山万福寺の僧が持込んだとの見方も。)・・・
   《黄泉国訪問(逃亡)譚》
  伊邪那岐命・・・
  逃行猶追
  亦刺其右御美豆良之湯津津間引闕 而 投棄
  乃生 是拔食之間 逃行

竹の呪術性という点では、なんと言っても弓矢。数多く記載されているものの、材の矢竹については全く触れられていない。必ずしも竹でもなかったからかも。ただ、鞆だけは、竹製とされている。
   《速須佐之男命參上天時譚》
  天照大御神・・・
  ソビラ[背:曾毘良]邇者 負 千入之靫[ゆき=矢筒] 附五百入之靫
  亦臂佩 威つ[伊都][とも=弓引用装具]
  而 弓腹振立

竹と笹は、区別されているが、「古事記」の表記漢字は同じ。笹と言うより、雌竹/篠竹のようにも思えるが。舞踊で手草にするなら笹が様になる。
   《天石屋戸譚》
  天宇受賣命・・・
  手草 結天香山之小竹葉 而 【訓小竹云ささ[佐佐]

竹は釣竿としても常用か。鱸は大型であるから、かなり太い棹が撓んだことになる。漁師としての腕前は凄い。
   《国譲り(饗宴)譚》
  鱸佐和佐和邇控依騰而
  打之登遠遠登遠遠邇獻天之眞魚咋也
  故建御雷神 返參上 復奏
  言向和平葦原中國之状

山彦は鹽椎~(≒潮ッ霊)の籠船(漆固竹籠)に乗る。南島域では竹は船材にも使われていたのである。
   《綿津見大神宮訪問譚》
📖インターナショナル視点での无間勝間之小船

天皇代に入ると、丹場・但馬の人名に竹が使われており、ここらの地域が 竹の栽培・伐採加工に注力していたと見てよさそう。
   《---名前---》
  此天皇/大倭日子鉏友命/[4]懿コ
   師木縣主之祖 賦登麻和訶比賣命 亦名 飯日比賣命
   生御子 多遲麻之別・・・之祖
  此天皇/若倭根子日子大毘毘命/[9]開化
   旦波之大縣主 名由碁理之女 竹野比賣
  此天皇/若倭根子日子大毘毘命/[9]開化・・・又娶
   葛城之垂見宿禰之女 鸇比賣 生御子
   建豐波豆羅和氣王・・・丹波之竹野別・・・等之祖也
  此天皇/沼名倉太玉敷命/[30]敏達 娶 庶妹 豐御食炊屋比賣命
   生御子・・・次 竹田王 亦名 小貝王

堤防に竹を植えたりもしたようだ。一般的には竹林は地下茎が発達しているので、確かに表土が固まってしまい、土砂流出防止にはなる。しかし、その深さは1m程度と浅いため、大きな力がかかると全体が一気に動いてしまうので、溜池的場所ならよいがダムだとするとリスクがありすぎる。
   《12代天皇事績@[12]景行
  於是天皇・・・又作坂手池 即植其堤也

落葉樹林帯に繋がる野は笹藪が多いのだろう。・・・
   《倭建命薨去譚@[12]景行
  於是化八尋白智鳥 翔天而向濱飛行 爾
  其后及御子等 於其小竹之苅杙 雖足䠊破 忘其痛以哭追
  此時歌曰:
   浅小竹[阿佐士怒波良] 腰難む 虚空は行かず 足よ行くな

話自体は面白いが、どのように他と繋がるのかわからぬ譚があるが、そこでは、竹葉で包んだ河石・塩を入れた籠を用いた呪詛の威力が絶大だったことが示されている。・・・
   《伊豆志袁登売神婚姻譚@[15]應神
  (弟・春山之霞壮夫)・・・
  恨其兄子[秋山之下氷壮夫]
  乃取其伊豆志河之河嶋節
  作八目之荒籠 取其河石 合鹽而 裹其竹葉
  令詛言:
   如此竹葉青 如此竹葉萎 而 青萎
  ・・・<此者~宇禮豆玖之言本者也>

竹は寿ぎに最適ということもありそう。
   《皇后求婚譚(行幸帰還時御製)@[21]雄略
  日下辺の 此方の山と 畳薦
  平群の山の 此方ごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫
  本には い組み[陀氣]生ひ
  末方には た繁生ひ
  い組み い組み宿ず
  た繁 確には率宿ず
  後も組み宿む 其の思ひ妻 憐れ

   《長谷之百枝槻下爲豐樂之時譚(采女歌)@[21]雄略
  纏向の 日代の宮は
  朝日の 日照る宮
  夕日の日 翔ける宮
  [多気]の根の 根足る宮
  木の根の 根延ふ宮
  八百よし 斎の宮

"𥫗"漢字の、篩(ふるい)、箕(み)、笊(ざる)のような農具より、漁具の簀(す=すのこ)を記載したかったようである。ざっと上記を眺めると、竹具は海人の伝えるものとされていたようだ。・・・
   《兄童袁祁命の舞譚@[22]清寧
  立赤幡見者
  五十隱山三尾之
  掻き[訶岐]苅 末 押縻魚[なびきす]

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