→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.13] ■■■ [224] 雉が楓にとまるの図は秀逸 雉は、天若日子之門湯津楓上にとまり、騒がしく鳴いたのである。雉と楓の関係は知らないが、李迪:「楓鷹雉雞圖」1196年@故宮博物院蔵が存在するところを見ると、なんらかの話があるのかも知れない。もっとも、この絵では、鷹が木の上から、地表を歩く雉を狙っているので、イメージは異なるが。ただ、雉とは野鶏でもあり、木の上で過ごすこともできるので、「古事記」の記載は創り事ではない。 ただ問題は、多くの註で、楓とは"かつら"であるとされている点。 こまったものである。太安万侶はわざわざ"かつら"でなく、"フウ"と伝えるためにわざわざこの文字を使ったと思われるのだが。 実は、"かつら"については、すでにとりあげている。海神の宮の地の香木である。📖西王母信仰渡来に気付いていたか こちらは桂を意味していると見たということで書いているのだが、細かいことを捨象している。 桂というのは、大陸では香木とみなされており、基本的にはモクセイを指す。現代のトイレタリー製品でお馴染みの金木犀の香りでよく知られるが、色の違いで4種ある。(尚、木犀情報は注意が必要である。) 木犀/桂花(金 銀 丹 月)[モクセイ属] この桂という表記は、香木を意味するようで、別な類も桂としている。 藪肉桂/天竺桂[クスノキ属] この香木としての桂概念と月桂観念は大陸に根付いていると言ってよいだろう。・・・ ローリエ/月桂樹/月桂[モクセイ属]…ギリシア神話桂冠 肉桂[クスノキ属]…樹皮からシナモン しかし、倭で、現代まで通用するカツラ/桂は、大陸の桂とは全く異なる樹木。間違うようなものではない。・・・ 桂/連香樹[カツラ属]=楿[国字]本来はこちらの文字。 感心したのは、このカツラが南海の海神宮の地で登場するものの、文字表記が"香木"とされていること。これは、大陸における"桂"の定義そのもの。流石、よくご存じだが、この樹木に割註をわざわざ加えている。 【訓 "香木" 云 加都良木】 倭でカツラと呼ぶ樹木は、大陸で云うところの桂ではないが、比較的広い香木の呼称だから、それでかまわぬと説明しているようなもの。 一方、雉が降臨した樹木の表記は、香木でもないし、表音でカツラにしてもいない。このことは、大陸の桂には当てはまらない樹木ということになろう。 但し、ここはカツラと読むべしというのがお約束事。他に読みようが無いから致し方なし。 湯原王贈娘子歌二首 [志貴皇子之子也] [「萬葉集」巻四#632] 目には見て 手には取らえぬ 月の内の 楓のごとき 妹をいかにせむ …記載文字は楓だが、月の桂のことであり、カツラと読むことになる。 大陸では、一貫して楓≠桂である。(但し、科学・哲学の日本語用語大量導入期の影響を見つけることは可能。)・・・ 楓フウ/楓香樹 or 香末リ[フウ属]落葉高木 <台湾楓 賀茂楓 男桂 三角葉楓> …江戸時代(1727年)渡来とされるが、化石存在説も。 (唐)楓モミジ(紅葉)/かえで(蛙手)/槭[カエデ属] <呉音>フウ <唐音>ホウ <訓>かえで かいで かつら おかつら 江戸期の辞典では、楓は雄カツラである。雌カツラの香木概念の延長とし、桂=楓と見なしたのである。大陸の植物学が倭の植生に合わなかったからでもある。大陸でのモクセイ樹木は雌雄別の自生種だが、その種が"渡来"したとされる日本列島では、大陸同様の繁殖で広がってはいないからだ。 しかし、太安万侶は、南海での香木の時と違い、楓については割註で訓はカツラとしていないし、読み訓表記も避けたことになる。 そうなると、大陸の概念から逸脱していることを伝えたいので、楓の表記を採用した可能性が高かろう。 楓は、天若日子が還矢で射殺されることになった樹木であり、血の色に染まった紅葉を示しているようにも思える。燕は消え去り、鴨に替わる季節ということで。 この時期になると、雉狩りが行われるが、成功したら楓の枝に付けて献上するのが習わし。わざわざ、鳴女はそのような樹木に降臨し射てみよとばかりに鳴き喚いたのである。当然ながら、鳥巫女こと天佐具売がここぞとばかり、天若日子に、雉射るべしと教唆することになる。但し、この場を客観的に眺めれば教唆となるが、巫女の占自体はおかしな内容ではない。突然の楓樹上への鳥来訪とは、魂を運ぼうとの意思が示されたとも言え、不吉そのものだからだ。 ・・・この箇所は、いかにも鳥の仮面を装着した人々による、アドリブ的な奉納歌舞踊シーンを彷彿させるものがある。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |