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■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.15] ■■■
[226] 波照間島の聖地観念が倭の古層か
日本国有人最南端の波照間島には兄妹始祖油雨譚@冨嘉ありと記載したが、もう少し詳しく書いておきたくなった。📖南島と本土の創世神話の関係

この島は、西表が臨める先島の一島で自治体も竹富にもかかわらず、日本本土から仏教も神道も全く入っていないようだ。琉球王朝を通じた儒教的影響もほとんど感じられないそうで、稀有な風土が形成されていると言ってよいだろう。それなら、宣教師も足しげく訪れたに違いないが、その様な痕跡は全く残っていない。

情景的にはサンゴ礁石積み塀の路沿いに福木に囲まれた南向き赤屋根があるといったところ。しかし、現在は、砂糖黍農業の地であり、古代とは程遠い雰囲気が形成されている。このため、石垣島からの航路訪問の"観光地"と見がち。ところが、それは表向きで、日本のなかで唯一、古代信仰がママ生き続けている地かも。

先ず、知っておくべきなのは、この島には先島最古の遺跡があるという点。ところが、これに引き続く動きが見られず、大分たってから、無土器だが銭が出土する時代に入る。断絶的なのである。
その遺跡とは、島北岸に位置する下田原貝塚。推定紀元前1800年の掘穴掘っ立て柱形住居集落跡である。
島全体が石灰岩質土壌なので火成岩の堅石が存在せず、猪も棲息していないと考えられている。にもかかわらず、そのような材が出土するのが特筆モノ。要するに、西表島対面の良港があり、湧水地が近傍にあることで、定住の好立地条件を備えていることになる。出土品はこんなところ。・・・
骨器
 骨製針・錘
 猪牙製錐・鑿
 犬牙製有孔道具
 鮫歯製道具
 ウツボ顎骨製有孔道具
 椎骨製有孔道具
貝器
 刃(夜光貝 シレナ蜆)
 匙(シレナ蜆 法螺貝 護法螺貝 芋貝 硨磲貝 大鼈甲笠貝 宝貝)
 装飾(宝貝 芋貝 巻貝[ビーズ})
 有孔道具(シレナ蜆 姫硨磲 琉球猿頬貝)
 道具(水字貝 蜘蛛貝)
石器
 斧 尖頭器 鑿 敲用…造船可能
 錘
 磨器 砥石 円盤
 石皿
土器…独自様式(牛角様耳付鍋)

(source)「沖縄県八重山郡竹富町波照間下田原貝塚出土品展示」平成29年度沖縄県立埋蔵文化財センター 2017年

考古学はどうしても推定年代の信頼性問題は抱えてしまうが、学習させられてきた歴史の見方では説明できそうにない"事実"が突きつけられていると言ってもよいのでは。
それだけでなく、後述するが、「古事記」の内容と親和性が高そうな信仰も残っており、ここらの状況は見ておく必要がありそうな気になる。
すでに触れたが、石垣島東部の石灰岩洞穴遺跡から、推定28,000年前の化石人骨が出土していることでもあるし。しかも、推定10,000年前の素焼き土器が出土しているとされる。黒潮域である台湾〜フィリピンではこの年代の土器は出土していないにもかかわらず。📖道教について

さて、その波照間だが、島内の5集落のうち代表と呼べそうな西村/イリムラの冨嘉部落では、独特な行儀を伴う信仰が続いており、部落独自の創世譚も伝承されている。・・・
 (source)波照間島あれこれ(C)HONDA,So

ご神体や偶像は一切なく、信仰対象は森である。当然ながらそこは禁足地。遥拝は集落に存在し、血縁継承の神司が管理している。
【集落内/シムスケーに遥拝所/ウツィヌワー井戸が近傍にある筈。
   …阿底御嶽/アースクワー
【集落遠隔地に原野の森/ピテヌワー<神様/ウヤーン所在地(無建造物)>
   …真徳利御嶽/マトールワー
  阿底御嶽傍らに宗家/トゥニムトゥ…祭壇相当の石/ブー>の祭祀役
  真徳利御嶽は神司/カンツカサ以外禁足(参道清掃/ミヤクツァイだけ例外
  前拝所/メーパナジ@入り口/フナミ

降臨する依り代も神殿も無く、神の地が森であるという樹木霊=祖霊信仰と思われ、その場所から離れて立地する集落地域に遥拝するための拝殿相当の地が設定されている。
島嶼であるにもかかわらず、南島一般のニライカナイ型の海のかなたよりの渡来神の雰囲気はまるで感じさせない行儀と言ってよいだろう。

御諸山/三輪山信仰を彷彿させる行儀であるし、猪が棲息していそうにないにもかかわらず、猪由来の利器を使っていたりして、倭の状況と似ている点がある。詳細を調べた訳ではないので、なんとも言い難しだが、前拝所が設定されているということは、高天原のような"天"観念が無い可能性があろう。御嶽は葬礼と無縁だとすれば、風葬後の死霊の行く先は、"根国"あるいは"妣国"イメージの場所では。そこで精霊化して森に住むと考えるしかなさそう。火山と関係しない珊瑚礁隆起的な島であり、山的な場所を欠いており、"常世"は海の彼方との発想は無さそうだから、それ以外に考えられない。

海人的な信仰ではなさそうに感じるが、《冨嘉部落創世譚》が海人から陸人への転換を伝える話になっており、その経緯を説明しているのかも。・・・
 島に油の降雨。
 兄妹が洞窟へ避難@西北海岸沿いのバショーツィ
  (島の生物は兄妹以外絶滅。)
 成人し結婚。出産。
  ❶"ボーズ"魚
 東@パルミツヌウガンに移住し出産。
  ❷ムカデ
 ミシュク@西浜に移住。
 掘立小屋を建造し、井戸【聖地】を掘った。
  ❸アラマリヌパー・・・部落民の始祖(祭祀家)
あくまでも出自は海人だから、ヒトは魚類ということになる。しかし、その世界から脱皮し、陸人に変身をするのだが、中途半端が続いたのであろう。栽培で生活するのはそう簡単ではないが、集団での模索の時代があったのだろう。
しかし、意を決して定住。それが、波照間のヒトの生活開始を意味することになろう。

・・・と云うことで、「古事記」解釈に参考になる材料が揃っていると思う。

波照間は独自信仰に固執していたようで、倭⇒南島⇒先島⇒波照間というルートで信仰が入っていると見なすのは無理だが、かといって、大陸信仰が源流と見なすのも難しい。無理矢理に想定するなら、古道教以前と考えるしかないが、年代的に合わない。

一方、台湾は大きな島であり、珊瑚礁生活的な地を欠いていて、西は農耕域で、東側は山勝ちなので、その地に派遣国家が存在すれば別だが、文化的類似性を探ること自体考えもの。(先島域には西表・石垣という比較的大きな火山性の島があるが、両島の間はほぼ珊瑚礁海に近い。)
パラオやミンダナオ〜スンダ域・メラネシアとの関係ならわからないでもないが、ほとんどが現代化されているので、調べる手立てを欠いており、残念ながら想像の域でのお話しかできそうにない。

【追記】言語で見ると、広域琉球-琉球先島-宮古八重山-与那国八重山8島(ほぼバラバラ)-波照間語という分類になるようだが、島嶼集落文化にありがちな、複雑で統一性を欠く状況と見てよさそう。尚、波照間だけ、人名を複数にする時に性別表現が生まれるとの指摘もあるとのことで、日本語とは異なる規則も入り込んでいるようだ。ただ、原住民が古代の系譜を引き継いでいるとは限らないので、参考にしない方がよさそうだが。

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