→INDEX

■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.29] ■■■
[179] 南島と本土の創世神話の関係


「古事記」を読むために、南島域の話を続けざまにしてきたが📖インターナショナル視点での南海海神、注意すべきことを挙げておこう。

忘れてならないことは、依拠する文字情報は中華帝国冊封の琉球王朝樹立後のモノという点。
しかも、この王朝は、それからすぐに薩摩の支配下にも入った。

従って、残っている文字情報は、あくまでもその状況に合わせて作成されたもの。
検討しているのは、王朝樹立の遥か以前のことであり、離島だらけだから、王朝支配の実態も不明だし、どれだけ全体ぞを知り得たのかも判然としない。しかも、王朝の都合に合わせた記載内容であるのは当然であり、そのような情報から古代の状況を想定しているに過ぎず、確定的に言えそうなことは何一つないと考えるべきだろう。

言語にしても、琉球語を同定するのはかなり難しかろう。素人から見ても、音韻変化的な単純な日本語方言との混淆化が著しいからだ。

と言っても、朝鮮半島とは違って、流教王朝樹立迄は古代から中華帝国や倭の圏外だったから、独自の文化を形成していたのは間違いない。

ところが、その独自性を読み取るのはえらく難しい。琉球王朝は冊封国化の道を選ぶことで樹立したようなものであり、支配層は儒教への体質転換を余儀なくされたからである。統治に不適合な信仰や観念の類は排除せざるを得ないし、ヒエラルキー強化のための潤色は必然である。
そうなれば、例えば、このような見解に達することになる。・・・
  "慣用(名での)・・・琉球神道(は)・・・
   事実に於ても、内地の神道の一つの分派と見る方が、
   適当な位である。"
 [折口信夫「琉球の宗教」@青空文庫]
「古事記」を読む限り、そのような状況は有りえそうにないから、琉球神道とは本土から導入した新興宗教と見なす以外になかろう。大陸から儒教+道教・仏教、本土からも日本仏教+神道が短期間に流入し、全く異なる様相を呈する国になったと考えるのが自然であろう。

【天竺】【震旦】【本朝】を見て来たが、
  📖三国の男女関係観が見えて来る
  📖三国の理念重視度が見えて来る
  📖三国の現世利益追求姿勢が見えて来る
表面的には王朝変遷はあるものの、根本的なところはさっぱり変わっていないと考えるしかないようで、南島も同じことが言えるのではないかと思う。

すでに、有名対偶神とそれに絡む対偶審だけ取り上げてきた。
 ニライ/儀来 + カナイ/河内
 照子[テルコ] + 鳴子[ナルコ]
 聖地[ウボツ] + 御座[オボツ]

しかし、琉球王朝が創世の対偶神として公認している訳ではない。そこで、そこららの状況を整理してみた。

結論から言うと、小生は、"いかにも"感を覚えただけ。「古事記」と比較する意味はほとんど無いと見た。・・・

いかにも儒教国らしいというのが、小生の印象。

琉球王朝の祖神たる阿摩美久は女神ということしか示していないと見てよかろう。要は、本土と同じ最高神の詔で国造り人生みが進んだというストーリーにしただけ。ニライ・カナイでわかるように、祖は、あくまでも海原からの渡来神であり、神名は無いのかあえて呼ばない。そこで、改めて一般的神名を付けたのであろう。音韻的対応はどうでもよいのであって、例えばこうなろう。
 [アマ][][≒女][]
公的史書には男神が記載されていないが、対等な対偶神でないからだろう。
アマミクを天神とすると、天地概念から、男神は地神となり、根の国ということになってしまう。おそらく、風葬洞窟の意味での神を指すことになる。男系の王にとっては避けたかろう。
 /ヒ[][][][≒男][]

時間軸で順番に眺めると、そう考えるしかない。
袋中良定(本土浄土宗僧侶):「琉球神道記」1605年
  5巻本(仏教宇宙+天竺仏法+震旦王法+琉球伽藍垂迹+琉球神祇[末尾に目次])
 アマミキュ+シネリキュ
  波に漂っていた小島に草木を植え国土を形成
  並んで居住し風で懐胎
    長子:諸所の主の祖
    次子:祝[女性祭祀者]の祖
    三子:土民の祖
  龍宮から火受領
  キンマモン登場:陰陽2神
    天から降臨のギライカナイのキンマモン[君眞物]
    海から上がったオボツカグラのキンマモン

②「おもろそうし」1623年
 あまみきよ+しねりきよ
  日神テダが島造り詔
羽地朝秀(琉球政治家:本土渡来人祖説)[編]:「中山世艦」1650年[初琉球国史]
 阿摩美久+ (無)
  (テダ⇒天帝)
蔡鐸(儒学者)[編]:「中山世譜」1701年
 阿久弥姑+志仁礼久
鄭秉哲(中国帰化人)[編]:「球陽」1745年(琉球王国編年体史書)
 阿摩弥姑+志仁礼久
   嶽森形成@海大荒
  [自称]天帝子(民の中から登場)
    長男:天孫氏の祖
    次男:国君の祖
    三男:按司(諸侯)の祖
    長女:君君(神職)の祖
    次女:祝祝(神職)の祖
  [神出見託遊]君真物/君摩物


御嶽は、このような国土創成人格神の来訪地@琉球神道とされている。しかし、常識的には、白砂浜に続く、南方からの黒潮が洗うリーフからの上陸地を意味しているのではあるまいか。
そんな場所に降臨依り代があるとは思えないから、そのような伝承は後世の付託では。ただ、リーフそのものではなく、その近辺にあった集落跡地(真水が得られる場所近く)の可能性もあろう。どうあれ海人としての、祖神信仰そのもの。(聖地が見える島ということは、その地が本願地というに過ぎず、本来的な御嶽は別だろう。)

台湾〜先島〜沖縄〜九州 島嶼域推定航路で見る御嶽
  より詳細:📖インターナショナル視点での无間勝間之小船
《九州》薩摩半島南西部
┼┼┼┼《九州》大隅半島
┼┼┼┼【種子島】
┼┼┼┼【屋久島】
吐噶喇───┘
【奄美大島】
奄美嶽/海見嶽
【徳之島】
【沖縄本島】(代表的なものだけ。
安須森御嶽@国頭村辺土
クボウ御嶽@今帰仁村今帰仁城内
知念森@南城知念
斎場御嶽@南城知念
薮薩御嶽@南城玉城
雨つづ天つぎ御嶽@南城市玉城
クボー御嶽@南城市知念
↑<久高島>
首里(+真玉 etc.)森御嶽@首里城内
古宇利島…別な始祖創世譚
久米島


【宮古島】…兄妹始祖洪水譚
漲水御嶽 (神:[始祖]古意角+姑依玉 [水]竜宮神 [島守護]子方母天太)
島尻元島@平良 (祭:パーントゥ・プナハ祭)
来間島…兄妹始祖小舟漂着譚
池間島 大主御嶽 (神[運命神]うらせりくためなうの眞主)
大神島 大神御嶽 (祭:祖神祭)
伊良部島
【多良間島】…兄妹始祖津波譚
【石垣島】…兄妹始祖洪水譚
真乙姥御嶽 (神:征討の祝女)
美崎御嶽
群星御嶽 (祭:マユンガナシ)
【竹富島】
西塘御嶽
国仲御嶽…勧請[園比屋武御嶽]
小浜島
【西表島】─黒島
三離御嶽/請原御嶽 (祭:アカマタ・クロマタ・シロマタ)
鳩間島…兄妹始祖津波譚
├───【波照間島】…有人最南端(漂着可能性が高い。)兄妹始祖油雨譚@冨嘉
┼┼┼阿底御嶽@冨嘉
┼┼┼アルピィンガス2岩@高那崎 (神:イシカヌブヤ イシカヌパー)男女始祖来訪
【与那国島】…有人最西端
[本山]十山御嶽 (祭:月例 豊年 シティ シティガン)(神:チマガニン ソウダルミ ミマタ・ヌチ)
久部良御嶽 (祭:ドゥガヌチ)(神:イユンイリミサテ トンダバニ・ヌチ)
比川御嶽 (祭:豊年/ドゥバダニガイ)(神:ハイミウブダギ ウブムイフチ・ヌチ)
新川御嶽 (祭:アラガダトゥタガビヌニガイ)(神:チマナガデン・ヌチ)
トゥグル御嶽 (祭:ドゥバダニガイ)(神:トゥグルウリ タビガン・ヌチ)
ウヤバル御嶽 (旅行安全)
帆安御嶽 (海上安泰)(神:ウブンダニ クンダニ ンサテウリマイ・ヌチ ヌコイ タムイ・ヌチ)
浦野御嶽 (航海安全 健康)(神:ウブウラノ ンミンク タマンク・ヌチ)
港御嶽 (航海安全 豊漁)(神:ニィヌティ・ヌチ)
ヌック御嶽 (祭:クニティニガイ)
ナウンニ御嶽@キダンギ山 (神:ウヤバル・ブナダラ女神)
ディティグ御嶽@サンバル遺跡 (神:ヒトミバナ・ブナダラ女神)
泊御嶽 (祭:9月9日)(神:チマナギミテ・ヌチ)


《台湾》

マ、素人考えであるが、御嶽の状況を見ると、神の降臨というイメージは南島にはそぐわないと思う。

"御嶽"という表記は強引過ぎよう。(本土の影響力ある地域にはあてはまりそうもないし。)
火成岩と河川域の堆積岩の本土とはそもそも地質が違っているからだ。実際、「古事記」では南島特有の慣習を明確に、"産土"と言い切っており、珊瑚礁(本土と違い、河川流出土砂僅少ということ。)の白砂と石灰岩の環境のなかでの信仰が示唆されている。
それを考えると、"グスク≒具足⇒御城"も同じことが言える。石は石灰石の筈で陵墓の可能性が高い。もともと、水葬・風葬の習慣だったが、骨埋葬墓地が必要となり、支配層の陵墓が必要になったのだと思う。
「古事記」が示しているように、朝廷の場所名と、陵墓地の情報は、王権を示す上で不可欠な記載事項であり、威光を示せる墓を造ることはあってしかるべきだろう。
ただ、南島の慣習は相当に異なっている筈で、遺体に対する穢れ感は薄く、洗骨は神聖かつ重要な行為の筈。当然ながら、骨を納めてある場所を遠ざける姿勢は無いどころか、墓地での祭祀もありえよう。そのような場には、祭祀舎の家屋も付随することもあり、御嶽と墓地が近接していてもなんら不思議ではなかろう。(南島では、漂着水死体は神扱いされておかしくなかろう。葦原中国でも海人系なら、類似の観念はあってしかるべきだが、その前に、死の穢れが気になる人が少なくない、程度の違い。)

付け足し。・・・琉球王朝は冊封国であり基本は天帝を最高神とする儒教。従って、日神テダ・阿摩美久信仰は、政治的合理主義から、習合が図られた結果である可能性が高い。習合が難しい神の場合は、君真物/君摩物とされるようだ。海人の体質を考えると、こちらの信仰のバリアは高かろう。
-------------------------------------
袋中良定(本土浄土宗僧侶):「琉球神道記」1605年
5巻(仏教宇宙+天竺仏法+震旦王法+琉球伽藍垂迹+琉球神祇)の巻五項目
  波上権現事/護国寺
  渾(沖)権現事/臨海寺
  尸棄那権現事/神應寺
  普天間権現事/神宮寺
  末吉(好)権現事/満寿寺
  天父(天久)権現事/姓元寺
  八幡大菩薩事/神徳寺
  天満大政恵大自在天神事/長米寺
  天照大神事/伊勢太神長寿寺
  天妃事
  天巽事
  道祖神事
  火神事
  権者実者事
  疫神事
  神楽事
  鳥居事
  駒犬事
  (キンニモン)事


 (C) 2021 RandDManagement.com  →HOME