→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2021.8.27 ■■■ [238] 「古事記」は蕎麦食存在示唆 蕎麦好きとしては、どういうことかはなはだ気にかかる。 と言うのは、「中華ソバ」が主導となっているものの、"雑穀"と同様な道をたどらずに、現代でも愛好者は多いし、日常食として通用しているからだ。しかも驚くことに、蕎麦花粉は縄文時代遺跡で広く確認されているだけでなく、そのソバと現代の種が同一である可能性が強そうで、蕎麦掻きは縄文食そのものと言えそうなのだ。イメージ的には、野尻湖や更科が浮かぶが雪深い日本海側植物と見た方がよかろう。(ガレットは13〜14世紀の渡来以降の救荒食。) にもかかわらず、国家的見地からすると触れたくない食のように見える。支配者層の食禁忌とも思えないが。 と言うのは、「古事記」成立後まもなくの722年宜令(@「続日本記」卷九元正天皇)に蕎麦が記載されており、知らない食材である筈が無いからだ。 養老・・・六年・・・秋七月・・・ 是以今夏無雨。苗稼不登。 宜令天下國司勸課百姓。 種樹晩禾蕎麥及大小麥。藏置儲積。以備年荒。 考えてみたが、自分なりの納得感ありの結論が出たので書いておくことにした。 蕎麦[=杣麦"そま"むぎ]は、実は、"曾婆"として記載されているのである。 📖実が乏しき三角錐"団栗" 先妻が 肴乞はさば 立ち これは、橅/ブナという当時の工具では扱いにくかった無用な樹木の木の実を指すが、実が蕎麦のように尖っているからの命名。ちなみに、蕎麦とは背が高く伸びる麦との意味だ。 と言うことで、柧棱だが、大陸では、宮闕の屋根の尖りを指す言葉であり、樹木名や草木名とは無縁。当然ながら無用という意味で比喩的に使われることなど考えにくい。 このことは、大和朝廷の人々からすると、蕎麦とは橅同様の無用の食材に近いとの思い込みがあったことになろう。寒冷地の重要な食材という知識と、蕎麦の実を見たことはあっても、穀類イメージとは余りにかけ離れた存在で、わざわざ食す対象ではなかったのではなかろうか。 ただ、太安万侶の性分からすると、食べてみたことはありそうな気はするが。 (C) 2021 RandDManagement.com →HOME |