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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.8] ■■■
[250] <私的解説>道教サミングアップ
道教は錯綜しており、つかみどころが無い宗教に思える。専門家になればなるほど、簡単に説明せよと要求されても答えに苦慮する筈。お蔭で素人も大いに苦労することになる。結局のところ、なんだかよくわからないので、"なんとなく"的イメージで道教をとらえるしかない。

その点、太安万侶は立派である。
序文での本文要約では倭国は道教国であり、天武天皇讃では道教の最高位の神仙に当たると見てもかまわぬといった書き方をしているにもかかわらず、本文を読んだ印象からすればモチーフ的に類似の箇所はあるとはいえ、どう見ても非道教であるし、仏教同様に、道教についても一言も言及が無いとくるからだ。

すでに、道教に触れて来たものの、そこらを勘案して、再度、道教とは何ぞやについて<私的解説>をしておこうと思う。
  📖<私的解説>儒教と五帝・太一
  📖道教について

こう考えればわかり易いのではなかろうか。・・・

《道≒気をすべての元始とみなす。》
《厖大な数の神・人間・死者(鬼)の3種が存在する。》
   すべて有人格。(偶像化可能)
   ヒトは魂と肉体からなるが、分離回避志向。

《宇宙はこの3者が別々に住む世界からなる。》
   天上…神仙世界
   地上…人間世界
   地下…死者[鬼]世界


なんだ、さっぱり道教の説明になっていないではないかと言うなかれ。
ここの読みが重要なのだ。

従って、「古事記」と道教との類似性を分析的に見たら駄目。

中華帝国は儒教ベースの国体と決めたのであり、いかに道教が隆盛を誇ろうが補完の役割以上ではないことを前提に眺める必要があるからだ。
しかし、補完と言っても、精神の自由を希求するという点では、心情的には根っからの反儒教。にもかかわらず、社会的安定には天子独裁-官僚統治しかあり得ないというアンビバレントな信仰ということになる。
つまり、儒教が抹消した、女系崇拝や各地の土着地母神や自然神を生き延びさせるための信仰が道教ということ。

換言すれば、道教は、老子が祖なのではなく、道教集団が老子を祖に祀り上げたと考える方が自然ということ。道教≒老荘思想と見なすのもどうかと思う。荘子を読むと、どう見ても道教一般の死生観と違っていそうだからだ。だが、それでもよいのである。
このことは、宗族信仰強制を通じて、官僚制度による個々人の精神統制を実現する社会に対する、反対者が集められただけということを意味しよう。(反体制ではない。)そうだとすれば、反儒教勢力に転じた博愛主義に近い墨子も、道教勢力に取り込まれているかも。この辺りは、大乗仏教の宗派の違いと似たところがあろう。(「今昔物語集」的に言えば、聖徳太子・役行者・行基を3仏聖とするようなもの。)

現実的な宗教活動指針的には以下のように見れば当たらずしも遠からずではなかろうか。・・・
(既に述べて来たように、魂の救済という発想とは無縁。天帝-天子のドグマがある以上、天上にもヒエラルキーがあり、昇天すればそこは極楽と考えるのは無理がありすぎ。)
《宗教は人間社会に渦巻く欲望に応えるものである。》
 ---生命感放出行動こそ人間の原点---
 ○欲望は個人の自由意志だが長命には節度推奨
 ---中華帝国の儒教的仕組みありき---
 ○儒教的社会倫理を肯定
 ○儒教的ヒエラルキー統治が社会の大原則
 ○ヒエラルキーの頂点は帝(天帝+地上の皇帝)
 ○天上にも階層が存在(昇天しても伺候)
 ○願望成就には見合った奉納は不可欠

 ---天子から奴婢まですべての層に対応---
 ○無理な宗派組織の一元化は回避
 ○非識字層(儒教は非対応)と識字層は異なるアプローチ

 ---この社会では個々人の福禄寿願望は当然---
 ○天上と地下に対する祭祀行儀
 ○地上生活術(養生・房中)
 ○現世主義(魂の救済観念排除)

 ---社会規制からの脱却も可能---
 ○成仙

《宗教は経典と宗教家なくしては成り立たない。》
 ---宗教家は修行し術を身につける要あり。---
 ○教義の源は老子(神格)
 ○道の瞑想が基本
 ○術の習得鍛錬
   易/卜占/占星・巫覡交霊(神託)/降神・解夢
   降雨等
   陰陽五行論・山岳河川・風水
   呪術/蠱術/方術/調伏/霊符
   錬丹/錬金術・本草・気功・巫医
   武術
   進取の姿勢で新規な術を開発

 ---術は秘儀であり、修行の場は不可欠である。---
 ---信仰対象のすべての神々を一括する。---
 ○旧来の神々・信仰対象の尊重(儒教・仏教対象外)
 ○新たな神々・信仰対象の起用
 ○実情に合わせ積極的に経典化
 ○類似信仰の混淆と細密分離化
 ○神々のヒエラルキーやプロフィールの頻繁な改定


倭に道士/方士が渡来したり、道教経典を用いた布教活動が行われたとは思えないものの、上記の様々な術自体は結構早くから流入しており、それを担ったのは仏僧の可能性が高い。「今昔物語集」からすれば、仙人は仏僧扱いのようだし。
それはともかく、倭には教団宗教としての道教は流入していないという見方は間違いではなかろう。

「古事記」を見る上で、上記で注目しておくべきは"成仙"。ここだけ異質だからだ。
と言うことは、これこそが道教の道教たる由縁ともいえるかも知れない訳で。

但し、道教の性情から、その定義は錯綜せざるを得ないので厄介である。

簡単に言えば、自由意志を持つ神人ということになろうか。あくまでも、地上の人間ではあるものの、肉体を保ちながら昇天能力があるというコンセプト。天上に居る神では無いが、神と同格ということになる。

この神人だが、決して天帝の使命で活動している訳では無く、自律的な主神として行動している。しかも死生観を超越した存在。その原点は荘子の神人と見てよいだろう。・・・

藐姑射之山,有神人居焉,肌膚若冰雪,淖約若處子。
不食五穀,吸風飲露。
乘雲氣,御飛龍,而遊乎四海之外。
其神凝,使物不疵癘而年穀熟。吾以是狂而不信也。
  [「荘子」内篇一 逍遙遊]
千歲厭世、去而上僊
乘彼白雲,至於帝鄉;
三患莫至,身常无殃,則何辱之有!
  [「荘子」外篇十二天地]

仙人とは僊人の俗字とされるのは、おそらく、この上僊から来ているのだろう。・・・
 (=人+䙴<死者{襾[囟:頭]+㔾[座位下半身]}を廾[両手]で抱え遷す。>…白川静解釈)
  (≒僊僊)…"屢舞僊僊"[「詩経」小雅]
 ⇒仙≒仚/屳(=人+山)[≒人在山上]

そして、当然ながら、教義的には3世界対応となる。
(1)天仙@虚空昇天
(2)地仙@名山
(3)尸解仙=蜕化:死亡解脱成仙   [葛洪:「抱朴子」内篇 "仙経"]

しかし、それで済まないのが道教の性情で、詳細化と混淆化が一気に進むことになる。
(1)無形委気の神人…気
(2)大神人…天
(3)真人…地
(4)仙人…四時
(5)大道人…五行
(6)聖人…陰陽
(7)賢人…文書
(8)凡民…草木五穀
(9)奴婢…財貨  [「太平経」]

そして、宗派的に依拠しているパトロンに合うように融通無碍に改定されて行く。・・・
(1)人仙・(2)地仙・(3)天仙・(4)水仙・(5)神仙  [司馬承禎:「天隠子」]

ただ、道教の心情には<人修仙>が濃厚であるから、それに合わせたラダーが一番お似合いとは言えよう。・・・
(1)鬼仙・(2)人仙・(3)地仙・(4)神仙・(5)天仙  [「仙秘術庫」]

もっとも、経典化すれば、官僚的緻密さが求められるので細かな定義が生まれることになる。・・・
(1)上仙・(2)高仙・(3)太仙・(4)玄仙・(5)天仙・(6)真仙・(7)神仙・(8)霊仙・(9)至仙  [張君房:「雲笈七籤」]

ここらの論理、おわかりになるだろうか。個々に細かく分析してみたところで意味は薄いのである。

そこを理解すると、"道教の神々"という取り上げ方は、当座人気の観光地ご紹介以上ではないことも、見えてくる。
一番よくわかるのが元始の神"盤古"。道教の神とするなら、まさにその通り。しかし、この神を道教の発祥元と見るべきではない。
儒教国化で捨て去られそうな神だったから、取り込んだだけと考えた方が当たっていよう。当然ながら、元始だから神格化された老子の観念が被せられることになろう。
間違ってはいけないのはこれは南方信仰を護った訳ではなく、北方の中原(@河南 桐柏)発祥の神の残渣。信仰が南にも広がっていたたため、中央は抹消されても、離れた地域に残っただけ。
事程左様に、道教の神々は、儒教が知らん顔をする神や、抹消させようと図ったが難しかった神の集大成でもある。従って、"道教の神々"を検討して、道教の本質を探ろうとすると迷路を歩むことになろう。

太安万侶は、そこらをよくわかっていたようだ。

官僚の立場からすれば、高天原とは無縁で、敵対的だった出雲の神々は、国史では"平定"の一語扱いにしたいところだが、「古事記」は正反対の姿勢を取らざるをえないのである。どのような形で残るかはわからないものの、土着信仰が消えることはあり得ないと確信していたのだと思われる。

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