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■■■ 「古事記」解釈 [2021.9.30] ■■■
[272] 拜祭伊勢の経緯について
伊勢神宮斎宮制度は一般には天武天皇代辺りに確立したとされている。(泉皇女[天智代] 大来皇女 田形皇女)📖書誌的事項から想像すると
と言っても、10代天皇ですでに伊勢大神宮拝祭皇女が存在しており、斎宮的巫女による伊勢祭祀は古代から続いていると見て間違いなさそう。📖神宮祭祀の大胆な転換
要するに、天武代に、伊勢出立前に身を清める場としての"斎宮"が設立され、精緻な行儀が定められたということ。もともと、伊勢の巫女として皇女を派遣することは慣習化していたと考えるべきだろう。・・・

❿御真木入日子印恵命/崇神天皇
└┬△遠津年魚目目微比売(木国造荒河刀弁の息女)
├┐
豊木入日子命
┼┼▲豊鉏入日売命(拜祭伊勢大~之宮也)
⓫伊久米伊理毘古伊佐知命/垂仁天皇
└┬△氷羽州比売命(旦波比古多多須美知宇斯王の娘)
├┬┬┬┐
印色之入日子命
┼┼⓬大帯日子淤斯呂和気命/景行天皇
┼┼│〇大中津日子命
┼┼倭比売命(拜祭伊勢大~之宮也)
┼┼┼┼若木入日子命
┼┼
┼┼└┬△針間伊那毘能大郎女
┼┼┼├┬┬
┼┼┼┼┼小碓命/倭男具那命/倭建命

小碓命の姨である倭比売命との関係は、詣でて呪の品を頂戴するシーン以外には、上記の系譜しか情報が無いので、断言しにくいが、倭比売命は軍勢出立時の勝利の呪の祭祀を担当していると考えるのが自然では。
つまり、国譲りの詔を発した天照大御神の威光を頂戴する重要な儀式を執り行うことになる。

小碓命が父と不仲であると吐露するので、両者の特別な情感を感じさせるが、それは現代の社会生活の視点で眺めてしまうから。"倭比売命(姨)-小碓命"に、"天照大御神(姉)-建速須佐之男命"が被っているに過ぎず、倭の社会的文化と考えた方がよかろう。単に、"倭"の年長姫と年少彦の関係ということになろう。母を独占する父からの離別を意味しており、代理母を介した一種の成人儀式のようなものである。

 於是 天皇惶其御子之建荒之情 而
 詔之「・・・」 而 遣
 當此之時 其御髮結額也
 爾
小碓命 給其姨倭比賣命之御衣御裳
 以劒納于御懷 而 幸行

 :
 :
 故 受命罷行之時 參入伊勢大御~宮 拜~朝廷
 卽白其姨
倭比賣命者:「・・・」

ここで注目すべきは、そんな点より、"參入伊勢大御~宮 拜~朝廷"の方。朝廷の神=天照大御神@伊勢大御~宮としている点。
先代天皇時代にすでに拜祭伊勢大~する皇女が派遣されており、もとからこの地で朝廷神が祀られていたことを示すと言ってよいだろう。
太安万侶はここには相当な拘りがある。

伊勢に祀られることになったのは、天皇の勅ではなく、天照大御神の勅だからだ。・・・

幷 五伴若瘤x加 而 天降也
於是 副賜其置きし
[遠岐斯]八尺勾璁 鏡 及 草那藝劒
亦 常世思金~ 手力男~ 天石門別~ 而
詔者;
「此之
者專爲我御魂 而 如拜吾前斎き[伊都岐]
 次
思金~者 取持前事爲政
 此二柱~者 拜祭 拆釧
五十鈴ノ宮[佐久久斯侶伊須受能宮]
 次 豊受
[登由宇氣]~ 此者 坐外宮之度会[度相]~者也
 次 天石戸別~ 亦名謂 櫛石窻~ 亦名謂 豐石窻~
   此~者
御門之~也
 次 手力男~者 坐
佐那那縣也」
  :
  :
故 其猨田毘古~ 坐
阿邪訶時 爲漁 而
於比良夫貝 其手見咋合 而 沈溺海鹽


つまり、祭祀は以下の5箇所で行うようにとの詔。・・・
<五十鈴ノ宮>(内宮)…鏡(天照大御神)+思金~
<外宮之度会>…豊受~(御饌都神)
<御門>…天石戸別~
<佐那那縣>《二座》…天手力男命+曙立王命
   "曙立王者<伊勢之品遲部君 伊勢之佐那造之祖>"
 佐那神社@多気仁田(佐奈谷)
<阿邪訶>《三座》…猨田毘古~(底度久御魂+都夫多都御魂+阿和佐久御魂)
 阿射加神社@松阪大阿坂小阿坂/壱志郡
 阿射加神社@〃大阿坂
 (⛩阿射加神社)@n.a.

ここで、倭建命の最期についてのまとめを振り返ると📖、これほど各地に祀られているにもかかわらず、伊勢には、近世以降を除けば、その祭祀した形跡が極端に少ないことに気付かされることになる。
成程、そういうことか。

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