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■■■ 「古事記」解釈 [2021.10.15] ■■■
[287] 「播磨国風土記」は参考になる[続々補遺]
補遺🍶"酒用語なら、先ずは、「播磨國風土記」を見よ。"と云うことで、「古事記」を読むなら参考にすべきと書いた。📖
そのなかで触れておくべき点があるので、補遺として書き留めておこう。多少、思弁的になるが、そこらはご容赦のほど。

以下の箇所には十分注意して欲しいと考えるからである。
  天皇歌曰: 「百磯城の・・・今日もかも 酒みづくらし・・・」

実は、ココをどう書くか悩んだ訳ではないが、数分間考えたからである。
と言うのは、すでに、以下のように書いたから。
【「古事記」大長谷若健命/[21]雄略天皇】…<天語歌>【天皇御製】
   百礒城の 大宮人は 鶉鳥 領巾取り懸けて 鶺鴒 尾行き和へ 庭雀
   髻華住まり居て 今日もかも 酒御付くらし
   たかひかる 日の宮人
   事の語り事も此をば
もともと、意味がはっきりしていない箇所の場合、どう"翻訳"すべきかは、それこそ勝手なのが現実。トンデモ当て字もあり得るが、それを否定できる証拠を提示できる訳ではないからだ。
そのため、後代のどの推定を支持するかという政治的な問題と化し易い。学問上の"先学"系譜で決まるようなもの。ただ、"浅学"者にとっては全く無縁な世界であり、自分のセンスで判断するのがベストだと思う。

上記の"酒御付くらし"とした部分は<佐加美豆久良斯>の訳だが、勿論のこと、何の根拠もない。そう書くと、他の歌との比較で、この歌を理解するのに最適と考えたに過ぎない。📖「古事記」が示唆する枕詞発生過程

但し、"さかみづくらし"の語源は、ほぼ自明。と言っても、その根拠が薄弱であるのは致し方ない。・・・
  《酒水漬く》…酒宴をする。
要するに、朝廷生活とは儀式の日々と化し、宴だらけになってしまったということ。
戦乱が消え去った訳ではないものの、中央勢力に武力的に対抗できる地方勢力が消え去り、天皇対抗者が抹消され尽くしたので、天皇を寿ぐ宴会で政治が成り立つ時代に入った訳だ。
経済的には、生産性向上でパイ全体が膨らむ繁栄期であり、醸造技術も発達したので酒宴の質も格段に上がった筈。

要するに、"宴"の時代ということになる。
  《宴》⇒醼[酉+燕]⇒讌[言+燕](=燕)

この《うたげ》だが、表記は上記の漢字の違いを反映して多少ばらつく。・・・
  宴遊して甚く楽しむ [「播磨國風土記」揖保郡貴志川]
  飲酒き宴遊しき [「播磨國風土記」揖保郡佐岡]
  岡に登りて宴賞したまひ [「肥前國風土記」佐嘉郡琴木岡]
  仙歌寥亮 神儛逶迤 其為歡宴 萬倍人間
       [「丹後國風土記(逸文)」與謝郡日置里]
  繽紛ひて燕樂す [「出雲國風土記」意宇郡忌部神部]
  常に燕会する所なり [「出雲國風土記」意宇郡前原崎]
  喜燕きて解散けましき [「出雲國風土記」楯縫郡左香郷]
  神集集而七日七夜樂遊 [「山城國風土記(逸文)」可茂社]

・・・この様に並べると、宴会の風習化が始まっていそうな印象を与えるが、そう考えてよいのかはなんとも言い難し。

ともあれ、重要なのは、あくまでも酒宴であること。
従って、小生は、歌酒を、"宴"の語意とせずに、形式的な行事用語と見なすような、以下の語源説は避けた方がよいと思う。
大饗@平安朝では正客が正席に着くと列座衆が拍手する行儀になっており、"拍ち上げ(柏手手打)"⇒"うたげ"。(本居宣長 折口信夫 等の解説らしい。後世の創作「物語」に描かれる"打ち上げ遊ぶ"センスに従っているのだろう。問題は、「古事記」とは違い、読者はもっぱら貴族層とはいえ、江戸期から主流となった大衆文化的作品であることは否めない点。行事や仕事が完了し、さて、それでは"打ち上げ"の宴会になだれ込もう、という現代感覚にはピッタリ合うものの、㉑天皇代の文化としては、時期尚早ではなかろうか。
素人なら、考えもせず、即、"歌餉"と解釈するだろうが、こちらの方がより本質を捉えているように感じられる。)


つまらぬことに拘るのは、「古事記」には《酒樂之歌》が収録されているからだ。息長帶日賣命が待酒を釀して、歌を詠むシーンはハイライトである。
  この御酒[美岐]は 我が御酒ならず
  酒の司[久志能加美] 常世に坐す 石立たす
  少名御神の・・・
これこそ酒樂の"宴"では。
酔って、少名御神と遊ぶ境地に至ることにこそ意味があろう。敦賀での皇嗣的行事を終えての"打ち上げ"と云えないこともないが、皇子登場に拍手で迎えるシーンが存在したとしたら、小生はただならぬ違和感に襲われる。

と言うか、「古事記」では、そういうことがわかるように熟慮して書かれているのである。上記の酒にしても、物質名"サケ"とは異なる用語が使われており、当然ながら異なる概念が存在していることを示している。・・・
 《酒》
 呉音:シュ
 唐音:シュウ
 訓:さけ/さか[複合語]/ささ[女房語]
  …神酒/御酒:み-き (現代語:御神酒お-み-き)
  くし/ぐし[久志≒奇し(薬, 楠の説も。)]
  (わ)…神酒み-わ@三輪大神 (酒の神ということでの当て訓だろう。)

従って、待酒の記述はことの他重要である。
⑮品陀和気命/大鞆和気命/応神天皇段記載譚からすれば、酒造の元祖は、少名御神と渡来釀酒人の仁番/須須許理とされているからである。(おそらく、後者は大衆化元祖であるが、前者は皇嗣に係わる酒霊ということになろう。)

皇嗣には、この宴が不可欠であって、行事の後の遊興的"打ち上げ"パーティーとは異なるということ。
皇子にとっては、不可欠な3行事の1つだったのである。・・・
天照大神之御心[底筒男-中筒男-上筒男-三柱大神]:
  "御腹之御子所知國者"
伊奢沙和氣大神@高志前之角鹿:
  "欲易御子之御名"…大鞆和氣命(初所生時 如鞆宍生御腕)
 (品陀和氣命):
  我給御食之魚 號御食津大神(⇒氣比大神)
其御祖 息長帶日賣命
  <酒樂> 釀待酒以獻
  "少名御神の神祝き祝き狂ほし 豊祝き祝き廻し奉り来し御酒"
3皇子に役割分担を行っているが、それに対応していると考えることもできよう。・・・
 ●大山守命…山海之政
 ●大雀命…食國之政
 ●宇遅能和紀郎子…天津日繼

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