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■■■ 「古事記」解釈 [2021.10.29] ■■■
[301] 御陵名非掲載の意味
「古事記」記載の宮名を、一般表記と比較しながら、俯瞰的に検討してみた。📖宮地名への拘り

そうなると、眺めて来た御陵についても触れざるを得まい。📖御陵記載が必須である意味

そうなると、何故に【非記載】の天皇が存在しているのかがえらく気になる。探してみたが情報が無かったということは考えにくいからだ。・・・
皇嗣とされ、先代の葬儀を行うことで、崩御後空位の間、御霊をお預かりしていた先代の皇后の計らいで、受け継ぐことでき、初めて即位ということになる筈で、即位儀式が執り行われたなら伝承があってしかるべきである。
しかし、葬儀後は、御陵には御霊は無いから、先代天皇を特別視する人々が存在しなければ、物理的な意味での御陵自体への関心は急速に薄れていくことになろう。御陵名は残れども、御陵自体はどこに存在しているのかさっぱりわからぬということになるのは自然な流れであろう。
ただ、父を殺害した天皇の御陵を毀損する意気があっても、実際には行わないという話が収載されているから、御陵に触れること自体が禁忌だったと見てよさそうである。

眺めてみると、名称での際を感じさせる御陵は無い。もちろん、「古事記」では"美富登"とされていても、儒教道徳に従う官僚からすれば拙い表現ということで、"御陰井"と変更されるようなことはあるものの。

そのような状況で、敢えて【非記載】に踏み切ったということは、その頃の比定地が実態と合わないとか、御陵で無い墳丘名を用いていることに気付いたからではなかろうか。
それぞれになんらかの事情がつきまとっていそうなので、そこらの検討は別途。
 《御陵名(「延喜式」/宮内庁リスト対応)》
㉝大野岡上 河内 科長大(推古天皇)押坂内
㉜倉椅岡上(崇峻天皇)倉梯岡
㉛石寸掖上⇒科長中(用明天皇)河内 磯長原
㉚川内 科長(敏達天皇)河内 磯長中尾
【非記載】(欽明天皇)檜隈坂合
【非記載】(宣化天皇)身狹桃花鳥坂上
㉗河内 古市高屋村(安閑天皇)古市高屋丘
㉖三島(継体天皇)三嶋藍野
㉕片岡石坏(武烈天皇)傍丘磐坏丘北
【非記載】(仁賢天皇)埴生坂本
㉓片岡石坏岡上(顕宗天皇)傍丘磐坏丘南
【非記載】(清寧天皇)河内 坂門原
㉑河内 多治比高鸇(雄略天皇)丹比高鷲原
⑳菅原伏見岡(安康天皇)菅原伏見西
⑲河内惠賀長枝(允恭天皇)惠我長野北
⑱毛受野(反正天皇)百舌鳥耳原北
⑰毛受(履中天皇)百舌鳥耳原南
⑯毛受耳原(仁徳天皇)百舌鳥耳原中
⑮川内 恵賀裳伏岡(応神天皇)惠我藻伏崗
⑭河内 惠賀長江(仲哀天皇)惠我長野西
⑬沙紀多他那美(成務天皇)狹城盾列池後
⑫山邊道上(景行天皇)山邊道上
⑪菅原御立野中(垂仁天皇)菅原伏見東
⑩山邊道勾岡上(崇神天皇)山邊道勾岡上
⑨奈良 伊邪河坂上(開化天皇)春日率川坂上
⑧橿原 剣池中岡上(孝元天皇)劔池嶋上
⑦片岡 馬坂上(孝霊天皇)片丘 馬坂
⑥御所 玉手岡上(孝安天皇)玉手丘上
⑤御所 掖上博多山上(孝昭天皇)掖上博多山上
④橿原 畝傍山真名子谷上(懿徳天皇)畝傍山南纖沙溪上
③橿原 畝火山美富登(安寧天皇)畝傍山西南御陰井上
②橿原 衝田岡(綏靖天皇)桃花鳥田丘上
①畝火山北方白檮尾上(神武天皇)畝傍山東北

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