→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.21] ■■■ [385]「万葉集」軽皇子歌の扱いが違う理由 この譚は典型だが、下巻では天皇の事績を示すことより、伝承歌謡を簡素化した簡素なストーリーで歌物語的に編纂することで、文芸的に洗練させた作品作りに注力しているようにも映る。それでいて、そこに政治的な意味も籠められていそうだから、読むにはハイレベルの素養とセンスが必要となる。凡人にはかなりハードルが高い書と言えよう。 従って、掲載されている歌は、それぞれ相当に磨き込まれていることになる。実際、鑑賞対象として、ピカ一の歌と折り紙付きの解説も少なくないらしい。 それでは、代表歌はどれかということになるが、「万葉集」にも収録されているから、以下の5-7-5-7-7歌ということになろうか。・・・ 《「古事記」#88》 📖下巻軽王・軽大郎女所収歌12首検討 【軽大郎女】どうにもならず軽皇子のもとへ 君が行き け長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ ところが、「万葉集」注記によると、当該歌の主も、シーンも、全く違う歌の可能性があると指摘されているので驚かされる。と云っても、"今案ずるに、(国史には)仁徳代・允恭代(軽太子)のどちらにもこの歌は記載されていない。"として、判定を避けているが。・・・ 《「万葉集」巻二#90》 「古事記」曰: 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王 不堪戀<慕> 而 追徃時歌曰: 君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ [左注] 右一首歌「古事記」与「類聚<歌林>」所説不同歌主亦異焉 因檢「日本紀」曰: 難波高津宮御宇大鷦鷯天皇廿二年春正月天皇語皇后納八田皇女将為妃 時皇后不聴 爰天皇歌以乞於皇后云々 卅年秋九月乙卯朔乙丑皇后遊行紀伊國到熊野岬 取其處之御綱葉而還 於是天皇伺皇后不在而娶八田皇女納於宮中時皇后 到難波濟 聞天皇合八田皇女大恨之云々 亦曰 遠飛鳥宮御宇雄朝嬬稚子宿祢天皇廿三年春<三>月甲午朔庚子 木梨軽皇子為太子 容姿佳麗見者自感 同母妹軽太娘皇女亦艶妙也云々 遂竊通乃悒懐少息 廿四年夏六月御羮汁凝以作氷 天皇異之卜其所由 卜者曰 有内乱 盖親々相奸乎云々 仍移太娘皇女於伊<豫>者 今案二代二時不見此歌也 山上憶良臣:「類聚歌林」所収歌とされているのだが、それは以下を指していることになる。こちらは、題詞に[16]大雀命御製と明記されている。・・・ 《「万葉集」巻二#85:巻頭歌》 相聞---難波高津宮御宇天皇代[大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇]磐姫皇后思天皇御作歌四首 君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ [左注] 右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉 「古事記」下巻冒頭段は、[16]天皇だが、皇后との間での妃をめぐる角逐の歌がハイライト。📖下巻冒頭16代天皇段所収歌23首検討 「今昔和歌集」"仮名序"から見れば、この箇所こそ<歌の"父母">。大雀命の恋歌が傑作中の傑作との評価なのだろうから、この歌はその核であってしかるべしということだろうか。📖大雀命のどの歌を重視するか このような齟齬が発生するということは、「古事記」と「萬葉集」の歌の対する考え方が違うことを意味しよう。それはある意味当然であろう。・・・ 「古事記」は歌謡を歌と簡素なストーリーで表現することに精力を費やしているのであって、その本質は叙事詩と言ってよいだろう。 「萬葉集」はそれを突き抜け、歌を完全独立させ、抒情詩の精神を昇華させ、できる限り短い定型詩にしたもの。 前者はあくまでも伝統である"口誦"の文字記録が目的だが、後者は万葉仮名を使うから似ているものの、第一義的に歌集"読み"鑑賞だろう。根本的な思想が違うことになろう。 もちろん、「萬葉集」も<禁断の情事悲恋物語>の中心歌を別途収載している。異なる部分はあるものの「古事記」とほとんど同じである。・・・ 《「万葉集」巻十三#3263》 (無題詞) 📖[脱線]「万葉集」巻十三の"こもりくの" こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も 鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ [左注] 檢古事記曰 件歌者木梨之軽太子自死之時所作者也 (右三首) 《「古事記」#90》 📖下巻軽王・軽大郎女所収歌12首検討 【木梨之輕太子】心中に当たっての相思相愛確認 隠口の 泊瀬川の 上つ瀬に 斎杙を打ち 下つ瀬に 真杙を打ち 斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け 真玉なす 吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 有りと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ 両者の考え方の違いが、叙事詩としての歌謡を凝縮した歌と、抒情詩化しできる限り短句化した歌の違いだとすれば、この両者にもなんらかの違いがあってしかるべきだと思うが、明瞭ではない。 ただ、素人からすれば、無理矢理説明をつけることもできよう。 5-7-5-7-7歌は、"口誦"を残そうとする「古事記」では、"[5-7]+[5-7-7]+[リフレイン]"の短句化から生まれた訳だが、文字を読む「萬葉集」は[5-7-7]+[7-7]がもともと一番収まりがよい"定型"ということになる。 勝手な想像だが、「古事記」での[5-7-7]とは、"口誦"すると句間は重複伸ばし音となるから、[5〜]+[7〜]+[7(+1)]で、実は、音節的には6-8-8に近いと見ることもできよう。ところが、「萬葉集」は文字読みであるから、あくまでも[5-7-7]+[7-7]。そこから外れるのは単なる字余りの歌。・・・《「万葉集」巻十三#3263》 57(こもりくの はつせのかはの) 56(かみつせに いくひをうち) 56(しもつせに まくひをうち) 56(いくひには かがみをかけ) 56(まくひには またまをかけ) 58(またまなす あがおもふいもも) 58(かがみなす あがおもふいもも) 8_(ありと いはばこそ) 47(くににも___ いへにもゆかめ) 8(たがゆゑかゆかむ) 《「古事記」#90》 57(こもりくの はつせのかはの) 56(かみつせに いくひをうち) 56(しもつせに まくひをうち) 56(いくひには かがみをかけ) 56(まくひには またまをかけ) 56(またまなす あがもふいも) 56(かがみなす あがもふつま) 3_6(ありと いはばこそに) 78(いへにもゆかめ くにをもしのはめ) (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |