→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.22] ■■■ [386]「万葉集」の恋歌は脱「古事記」志向 (「万葉集」"相聞歌"とは、文字の意味からすれば"往復存問"であり、互いの消息を通じ合う心の交流をうたった歌ということになろうが、「万葉集」では、あくまでも私情でしかなく、親子・兄弟・友人間の親愛感情も含まれているが、もっぱら男女の恋心を謳った作品を指している。正確には、相聞歌以外は、死に係わる哀歌たる挽歌とその他の雑歌の3分類である。) その違いは、「万葉集」が文芸精神を意識していることに由来しているのでは。「古事記」の所収恋歌は直截的で抒情を謳っていないと見なしているように映るからだ。 要するに、恋と死の感情表現に重きを置いた"文字読み"抒情詩を歌集の核とする立場からすると、「古事記」の性的な高まりを詠んだ歌を、"素晴らしい作品"として前面に出したくないのだろう。 現代でいえば、"柔肌の 熱き血潮に 触れも見で 寂しからずや 道を説く君" [与謝野晶子:「みだれ髪」]という様な表現を避けたいということになろう。・・・肌が触れ合って、肉体的に結ばれる歓びが謳われてこその恋歌というのが、叙事詩的な歌謡を髣髴させる「古事記」編纂姿勢から転換することに意義を見出したのである。 流石に、現代の自由な表現の時代でも、恋歌といえるのか疑問さえ湧くのが、月経時に睦会うことを一種の歓び的に歌うシーンである。 それに、おそらく現代人の感覚では、枕を共にできたことで、それこそ歓喜雀躍している気分を表に出すのでは、恋歌になるまい。単なる肉欲の塊の下卑た印象を与えるからである。 ともあれ、「古事記」の恋歌は、ベット・インありきに映るので、精神的な意味での恋という観念が薄いとしか思えないのである。 しかし、それは古代の観念と違うというに過ぎない。つまり、太安万侶は歌謡の精神や、歌垣の本質を伝えることに成功したということであろう。 -----📖上巻所収歌9首検討 [_2]【八千矛神(大国主命)】婚高志國之沼河比賣幸行之時 襲をも 未だ解かねば 乙女の寝すや 板戸を [_4]【沼河日売】婚姻承諾 真玉手玉手 差し枕枕き 股長に 寝は寝さむを [_5]【大国主命】嫡后の嫉妬の抑制 真玉手玉手 差し枕き 股長に 寝を為寝させ [_9]【比古遲】答歌妃への愛 我が率寝し 妹は忘れじ 世の事々に -----📖中巻初代天皇段所収歌13首検討 [16]【大久米命】地場婚姻推奨 七行く乙女ども 誰をし枕かむ [17]【天皇】嫁(皇后)選び 且も いや前立てる 姉をし枕かむ [20]【天皇】伊須氣余理比賣との夜を懐かしむ 菅畳 いやさや敷きて 吾が二人寝し -----📖中巻10代天皇段唯一の所収歌検討 無 -----📖中巻の倭建命関連所収歌15首検討 [26]【倭建命】「吾妻はや」と歎息@甲斐国酒折宮 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる …宿泊日数を意味しているのだろうか。 [28]【倭建命】初夜@所期の地 手弱が腕を枕かむとは 吾はすれど さ寝むとは吾は思へど 汝が着せる 衣裾の裾に 月立ちにけり [29]【美夜受比賣】答御歌 我が着せる 衣裾の裾に 月立たなむよ -----📖中巻末15代天皇段所収歌14首検討 [46]【(太子)大雀命】天皇から女を譲り受けて喜んだ こはだ乙女を・・・相枕枕く [47]【(太子)大雀命】得た妃の性情を喜んだ こはだ乙女は・・・寝及惜しぞも 愛思ふ -----📖下巻冒頭16代天皇段所収歌23首検討 [62]【天皇】家出皇后に元の鞘に収まって欲しい、と 枕かずけばこそ 知らずとも云はめ -----📖下巻17代天皇所収歌3首検討 [76]【天皇】宮焼き討ちで焼殺寸前 丹比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば …単なる就寝 -----📖下巻軽王・軽大郎女所収歌12首検討 [79]【木梨之輕太子】志良宜歌同母兄妹婚決意 我が泣く妻を 今夜こそは 安く肌触れ [80]【木梨之輕太子】夷振之上歌同母兄妹婚実現の喜び 笹葉に 打つや霰の たしだしに 率寝てむ後は 人は離ゆとも 麗はしと さ寝しさ寝てば 刈り薦の 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば [84]【木梨之輕太子】天田振捕囚されても尚つのる同母妹への愛 したたにも 寄り寝て通れ 軽乙女等 -----📖下巻21代天皇段所収歌14首検討 [93]【天皇】志都歌若かりし頃睦合えばよかった、と ゐ寝て坐しもの 老いにけるかも -----📖下巻末23代天皇関連所収歌9首検討 無 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |