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■■■ 「古事記」解釈 [2022.1.28] ■■■
[392]"和魂"の表象は2に恋愛
💑恋愛については、「万葉集」では「古事記」とは異なる取り扱いにした、との主旨で一筆したためたが📖「古事記」は恋歌収録で焚書化リスクに直面か、ここらは太安万侶の倭の古代社会観を見事に映し出していると言ってよいだろう。
ほとんど忘れ去られていた「古事記」を持ち出すことになった江戸末期でも、この辺りに関してはまともに語ることはできなかった筈。武士社会下で、精神的に抑圧された儒教社会の問題を取り上げることができる訳などないからだ。明治維新は、それを突破する方向には進まず、さらに強化し続けたのだから、恋愛譚はできる限り表面的な男女愛の話として取り上げる以外にあり得ない。もっとも、それは現代でもなんら変わっていない可能性があろう。

「古事記」が示す恋愛観を理解していたのは、「今昔物語集」編纂者位のものでは。唯一、"三国"という、インターナショナルな発想ができたからである。(もっとも、半島を無視する国粋主義的な発想の書と見る人も少なくないようだ。・・・小中華思想の徹頭徹尾儒教国を外しているのは慧眼と言うならわかるが。)
ここでは、補足説明として、このような「今昔物語集」編纂者の見方に倣って、《歌謡》📖に続けて、《恋愛》について考えてみることにした。

結論から言えば、三国のなかで、倭の恋愛観は異端中の異端ということになろう。

と言うのは、恋愛はヒトの性情としては極く自然な行為であるが、生きていくためには、個人間の恋愛より社会組織の存立を優先せざるを得ないという、基本ドグマが倭では通用していないように見えるからだ。
社会人としては、家庭や親族、所属組織のなかでの自分の役割に応じた婚姻関係を構築することが第一義的に重要であって、その基本ルールをないがしろにしかねない行為は避けるべき、という当たり前の姿勢遵守に結構無頓着ということ。
現代で言えば、反逆児とかアヴァンギャルドなお方とされるタイプ。

太安万侶はそんな話を高々と掲げているから恐れ入る。・・・
"月立ちにけり"の内容は現代人にとっては衝撃的ではあるまいか。面白いと言えないこともないが。

先ずは、香具山の上を飛んで、寝に帰る白鳥の歌から始まる。後背に天体の月が昇るイメージを抱けという句から。
これに対する、返歌が振るっている。
語彙的には、moonではなく、monthの年"月の意味に替えて謳うのである。ところが、〆の表現はえらく直接的で、"衣服の裾に月が立ち"と。月経のことだから、ここで読み手はギョッとさせられる。
しかも、歌を取り返す過程で、二人は<まぐあう>とはっきりと記載されている。
普通の神経だと、ここでゾッとした気分に襲われるのではあるまいか。
(「古事記」は天皇制尊崇のために作られたとの主張だらけだが、この手の話のどこからそのような見方ができるのか、小生にはさっぱりわからぬ。)

8世紀に「古事記」は成立したとみられるが、対象読者がインテリ層だけで一般公開される書ではなかったにしても、尋常ならざる記載内容と言えるのでは。
よって三国観で、そこらを眺めてみようとなるわけである。

天竺だが、記載する必要もないと思うが、基本姿勢はこういった具合。・・・
  "この世で男を堕落させることが女の本性である。
   それゆえに賢者たちは女たちに心を許さない。"

[第2章#213@渡瀬信之[訳注]:「マヌ法典」平凡社東洋文庫2013年/中公文庫1991年]
  "情欲が高まっても、月経中の妻と交わってはならないし、
   同じ寝台で一緒に寝てもならない。
"
[ibid. 第4章#40]

婚姻制度的には部族内での許婚制である。(おそらく財産相続の都合上これ以外の手が無いのだろう。)現代まで連綿とその観念を引きずっており、身分を意味する職業族で細分化されたミクロ社会内での婚姻から脱する方向には進んでいない。当然ながら、幼馴染み婚が必然的に増えるし、近親婚を避けることは考えにくい。

儒教は、上記の「マヌ法典」と同じ観念だろうが、法として書く必要はなさそうである。婚は宗族繁栄のための子孫作り行為であって、極めて重要なもの。理屈では、情欲など考慮の対象外である。従って、もともと、倭とは婚の意味が違うのである。
【婚】
 [音] コン [="娶"婦以昏時⇒儒教社会の嫁娶関係]
 [訓] まぐわ-う/くな-ぐ [=男女性的関係]
宗族第一主義であるため、婚姻は族外婚となり、このルールは絶対的。近親婚発生はあり得ない。(同姓同本貫の禁婚:遵守を示すために夫婦別姓)このお陰で、祖から続く男系の家族(血統書・組織内独自ルール・宗族長独裁)組織は長の独裁組織と化すことになり、組織から外されると生きて行くのも困難になる。宗教的には、死後の世界も孤立無援となってしまう。(夭逝や独身死者も、宗族系譜に記載されない可能性があり、死後の面倒を見てもらえないことになるので、これを避ける特殊な風習が存在することになる。)

本朝では、同腹兄妹婚は女系財産相続制度上混乱をもたらすため禁忌だが、おそらくそれ以上の意味はなく、近親婚は好まれていたのは間違いなかろう。歌垣的群婚が一般的だった時代の、同族内婚(女系なので婿入りは入族を意味する。)が倭の仕組みだったことになろう。
女系財産継承であれば、紐帯がある姉妹同時嫁入り婚も当たり前の風習と言えよう。財産継承制度が同じであれば、妻問いと差異はほとんどなかろう。

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