→INDEX ■■■ 「古事記」解釈 [2022.3.6] ■■■ [429][安万侶サロン]まさかの親父ギャグ ところが、これ又、ナンだかねの、とてもよく似た地名 コリャ遊びかと思える程。よりもよって、 そんな名称に、由緒譚でもなかろうにと思うが、すでに取り上げたように、この大山守命は"那羅"山で足を踏み鳴らして出陣し敗死した皇子なのである。📖[安万侶サロン]奈良の語源が読みとれる ≪大山守命≫ 於是伏隱河邊之兵 彼廂此廂 一時共興 矢刺而流 故到"訶和羅"之前 而 沈入 故以鉤探其沈處者 繋其衣中甲 而 訶和羅鳴 故號其地謂【訶和羅前】也 ここらの話は歌謡から歌を抜き取って収録しているのだが、ちょっと見には、何に注目しているのかさっぱりわからない。📖中巻末15代天皇段所収歌14首検討・・・ [51]【大山守命】反逆失敗で川に流され救助要請 千早振る 宇遅の済に 棹取りに 速けむ人し 我がもこに来む [52]【宇遅能和紀郎子】反逆者大山守命討伐成功時 千早人 宇遅の済に 渡り瀬に 立てる 梓弓真弓 い伐らむと 心は思へど い獲らむと 心は思へど 本方は 君を思ひ出 末方は 妹を思ひ出 楚なけく 其処に思ひ出 悲しけく 此処に思ひ出 い伐らずそ来る 梓弓真弓 よくよく考えてみれば、ここは、難波&宇治 v.s. 中央の和邇の木津川に於ける戦いと記載されているようなもの。と言うことは、常識的にはココの地名は和訶羅=訶和羅と考えるのが自然である。 どうしてこんな記述をしているのか考えヨ、ということだろうが、正直のところわからぬ。 地名の話に戻ると、【訶和羅前】は"河原の埼"ということになる。本当のところは、どう考えても、両岸で軍が対峙し、渡って来て熾烈な殺戮戦闘になったのだから、木津川の泉津の近くの渡しの場所ということになろう。 そうなると、付会としては、随分な理屈。釣り針が沈んだので探すために潜水するというのだが、鎧をつけているため、"かわら"と鳴るというのだから。 何故に (工藤力男:「和名抄地名新考(三)」成城文藝 (187) 2004年 による。祝園等についても記載されており、古事記のこの辺りについては細かく分析されている。小生はよく読まずに書いているのでそのおつもりで。) ほほう、そういうことなのか。 現代解釈なら、「そんなことも、 (C) 2022 RandDManagement.com →HOME |