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■■■ 「古事記」解釈 [2022.4.13] ■■■
[467]倭の臍たる島の比定(補遺)
"淤[水底澱]の碁[黒白石製の棋][背骨]の島"は当て字だと思うが、この地は皇統譜の正統性を示す上では、臍と見なせるほどの最重要性がある。

そこには、天之御柱と八尋殿がある。文字通りの解釈なら、周囲8間、つまり8本の柱の正方形の社殿が存在することになるが、これでは威風を感じさせないにから、壮大な宮のイメージで扱うことになっているが、どちらが妥当か議論する意味はなかろう。と云うのは、御柱も殿も造られた訳ではなく、”見立”とされていて、この言葉の意味さえ皆目分からない状況なのだから。📖八尋殿@"古代の都"

なかには、この言葉は、現在も使われる"見立て"と同じとしたい人もいるようだが、それは明らかに後世に確立した芸術的感性の一種だから、当て嵌めるのには無理があり過ぎよう。
この地は、淡路島の南側にあるが、中央構造線から南に外れていて島の地質とは違っており、ダンダラの岩が連なる小島とであり、小生としてはココを比定地と考えている。📖淤能碁呂島は沼島

その地は、古代から海鵜の一大棲息地だったことは間違いなく、南島との紐帯を有する黒潮海人にとっては神々しさを感じてもおかしくない筈。

ただ、「古事記」の記述にはしっくりこない点があった。
矛の末端から鹽が垂れ落ちて嶋が成るという情景はえらく納得がいくが、その前段階として、矛を指し入れて"畫"くという仕草がわかりにくかったから。"掻き混ぜて"ではなく、"画き鳴らし"たのだ。・・・
  天浮橋 而 指下其沼矛以畫者
  鹽 "許袁呂許袁呂"邇 畫鳴 而
  引上時 自其矛末垂落之鹽 累積成嶋
  是"淤能碁呂"嶋


しかし、この島の観光情報を読んでわかった。東側海岸に、16uという極めて狭い面積ではあるものの、引き潮になると、同心円状の鞘形褶曲の泥質片岩が見えるというのである。地質学的には太平洋プレートとユーラシアプレートの界面でのとてつもなき高圧での変形状況を示していると見なされているが、岩としては奇異な姿である。これを古代人が見たら、神が描いた造形に映っておかしくなかろう。
ともあれ、淡路島とは別な超古代の島ではという気分になってもおかしくないと思う。上立神岩(現存30m)-平バエ-下立神岩(現存岩はその破片)という地は、景色を見た後世の人々の後付け的な場所と考えていたが、ここは縄文期黒潮海人の聖地であった可能性があろう。
と云うか、現代人の科学思考のいい加減さをかいま見る思いをさせられる。
固い岩盤にいかに強い力を長時間かけようが、"全く亀裂ができず"に、同心円状褶曲を生み出すなど、特別な環境無しには、とうてい実現不可能というのが常識的と考えるからだ。他に生成過程が思いつかないから、しかたなくそんな説を受け入れるしかないのである。

八嶋から除外されているから、無人島が似合うと思うが、かなりの広さでの有人島なので、そこらは気になるのだが、比定に当たっては。海人目線で柱らしき自然物が存在するか否かが極めて重要だと思う。
「この、ただよへる国を修理固め成なせ。」との詔を受けての行動だから、この御柱で留めることで、嶋が漂うことがないようにしている筈。この後に生む八嶋と六嶋では、"天比登都柱"と"天一根"がその役割を果たしているようだし。(伊伎嶋と女嶋)

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